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204.ふとした不安
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相談が終わって気が抜けたノアは、その後サミュエルと庭を散策し、楽しい時間を過ごした。
噴水を見かけた時のような、思い出がよみがえってくるような感覚はなかったけれど、美しく整えられた庭は、十分にノアの心を癒してくれた。
(さすが、国一番の大貴族のお屋敷。もはや、城と呼んでもいい規模だ……)
ノアは、用意してもらった部屋で服を着替えながら、午後のひと時を思い返して苦笑する。
ノア自身、侯爵家の後継者で、裕福な生活をしているけれど、やはり公爵家にはかなわない。王都にある屋敷を見ても、経済状況に大きな差があることを感じた。
(結婚してから、サミュエル様がうちのことを貧乏くさく感じて、嫌になってしまわないかな……?)
不意に浮かんだ疑問に、ノアは笑みを掻き消した。正直、ありえると思ってしまったのだ。
「ノア様?」
晩餐会用のジャケットを差し出してきたロウが、ノアの表情の変化に気づき、首を傾げる。
ノアは暫し躊躇った後、恐る恐る口を開いた。
「……ちょっと不安になってしまったことがあるのだけど」
「はい、なんでしょう」
「うちより格段に裕福な生活をしているサミュエル様は、結婚してから環境の変化を感じて、後悔してしまわないかな……?」
真剣な表情で問いかけたノアを、ロウがなんとも言えない表情で見下ろす。
「……確かに、グレイ公爵家は、国一番の貴族で、その財力は王家に並ぶと言われていますが、それはランドロフ侯爵家もさほど変わらないことですよ? 特に、ノア様の影響で、ここ数年の領地の税収は右肩上がりですし」
思いがけない返答に、ノアはきょとんと目を丸くした。
どう見ても財力に違いがありそうなのに、ロウはランドロフ侯爵家を過大評価しているのではないかと訝しく思う。
「この屋敷を見て、ロウは財力がさほど変わらないと言うの?」
「屋敷自体は、歴史と立場を考えれば、違いがあるに決まっています。グレイ公爵家は王家と共に長く繁栄を続けてきた一族ですよ? それに対し、ランドロフ侯爵家が、数ある侯爵家の中で一番上位に見なされるようになったのは、ノア様のお父上が爵位を継いでからのこと。つまり、ここ数十年で急激に成長したということです。先祖代々伝わる屋敷に、差があるのは当然でしょう」
「……なるほど」
納得のいく意見に、ノアは素直に頷いた。
ノアがこの屋敷を城のようだと感じたのも、グレイ公爵家の歴史を考えればあながち間違ってはいないのだろう。
王家と共にある家。それゆえに、グレイ公爵家は特別な一族なのだ。
「――つまり、うちの財政状況をサミュエル様が知っても、さほどがっかりされない?」
「ええ。それに、サミュエル様は、王太子殿下の側近として勤め続けるのでしょう? グレイ公爵家から生前贈与される資産をご自身で運用されるでしょうし、たとえどこに婿入りしようと、金銭的に困ることはないでしょうね」
「……うちでの生活が窮屈だったら、ご自分で改善されるということ?」
「それが必要でしたら」
あっさりと頷くロウを見て、ノアは苦笑した。もしそうなったら、それはそれで複雑な思いになりそうだと考えたのだ。
そんなノアを見て、ロウが軽く肩をすくめる。
「――おそらく、起こりえない未来でしょうが」
「どうして?」
前言を翻すような発言に、ノアは首を傾げる。でも、ロウはすぐには答えず、時計に目を向けて、先に着替えを済ませるよう促してきた。
確かに、晩餐会の時間まで、あまり余裕はない。
ジャケットを羽織り、ロウに軽く整えてもらいながら、鏡越しに視線を注いだ。
「……サミュエル様は、ある意味無欲な方ですよ」
「無欲……」
ノアは軽く目を見開き驚いた後、不思議なくらい腑に落ちた気分になった。
以前、一緒に結婚式の衣装を確認しに行った際は、サミュエルがいくつも宝石を買い求めるので、少し驚いたことがあった。でも、それは、普段のサミュエルが、そうした散財する姿を見せないからこそである。
ノアの家に尋ねてきた際も、もてなしに不満を持った様子は一切なかった。
それは無欲だからだと言われると、そうだろうと思う。厳密に言うと、サミュエルは無欲というより、あらゆる感情が薄いということなのだろうけれど。
例外は、ノアに関することだけで、だからこそロウは『ある意味』と前置きしたのだろう。
「ノア様と共に幸せに生活できるなら、サミュエル様は経済的な豊かさなんて、まったく気にしないでしょうね。たとえノア様が平民で、慎ましい暮らしが好きだと言ったとしても、サミュエル様はいくらでもその暮らしに合わせて、幸せを感じることでしょう」
「……なんというか……価値観が、僕ありき?」
「いまさら理解したのですか?」
返事が質問で戻ってきて、ノアは静かに首を振る。確かに、聞かずとも既に分かりきったことだった。
「……僕は、豪華絢爛な環境での暮らしはあまり好まないけど、サミュエル様が質素に暮らされる姿は見たくないから、ほどほどに貴族らしく暮らそうと思う」
「それがいいでしょうね。でも、ノア様の生活を質素にするなんて、使用人一同も受け入れられませんから、改めて決意されなくても問題ありませんよ」
当然のように言われて、ノアは苦笑した。侯爵家の後継者の暮らしが質素だなんて、体面が良くないのだから、ロウが言うことは尤もである。
ノアは今のノアのままで幸せでありさえすれば、サミュエルも幸せでいられる。そう考えると、グレイ公爵家を見て感じた気後れは、まったく意味のないものだったのだと、深く理解した。
噴水を見かけた時のような、思い出がよみがえってくるような感覚はなかったけれど、美しく整えられた庭は、十分にノアの心を癒してくれた。
(さすが、国一番の大貴族のお屋敷。もはや、城と呼んでもいい規模だ……)
ノアは、用意してもらった部屋で服を着替えながら、午後のひと時を思い返して苦笑する。
ノア自身、侯爵家の後継者で、裕福な生活をしているけれど、やはり公爵家にはかなわない。王都にある屋敷を見ても、経済状況に大きな差があることを感じた。
(結婚してから、サミュエル様がうちのことを貧乏くさく感じて、嫌になってしまわないかな……?)
不意に浮かんだ疑問に、ノアは笑みを掻き消した。正直、ありえると思ってしまったのだ。
「ノア様?」
晩餐会用のジャケットを差し出してきたロウが、ノアの表情の変化に気づき、首を傾げる。
ノアは暫し躊躇った後、恐る恐る口を開いた。
「……ちょっと不安になってしまったことがあるのだけど」
「はい、なんでしょう」
「うちより格段に裕福な生活をしているサミュエル様は、結婚してから環境の変化を感じて、後悔してしまわないかな……?」
真剣な表情で問いかけたノアを、ロウがなんとも言えない表情で見下ろす。
「……確かに、グレイ公爵家は、国一番の貴族で、その財力は王家に並ぶと言われていますが、それはランドロフ侯爵家もさほど変わらないことですよ? 特に、ノア様の影響で、ここ数年の領地の税収は右肩上がりですし」
思いがけない返答に、ノアはきょとんと目を丸くした。
どう見ても財力に違いがありそうなのに、ロウはランドロフ侯爵家を過大評価しているのではないかと訝しく思う。
「この屋敷を見て、ロウは財力がさほど変わらないと言うの?」
「屋敷自体は、歴史と立場を考えれば、違いがあるに決まっています。グレイ公爵家は王家と共に長く繁栄を続けてきた一族ですよ? それに対し、ランドロフ侯爵家が、数ある侯爵家の中で一番上位に見なされるようになったのは、ノア様のお父上が爵位を継いでからのこと。つまり、ここ数十年で急激に成長したということです。先祖代々伝わる屋敷に、差があるのは当然でしょう」
「……なるほど」
納得のいく意見に、ノアは素直に頷いた。
ノアがこの屋敷を城のようだと感じたのも、グレイ公爵家の歴史を考えればあながち間違ってはいないのだろう。
王家と共にある家。それゆえに、グレイ公爵家は特別な一族なのだ。
「――つまり、うちの財政状況をサミュエル様が知っても、さほどがっかりされない?」
「ええ。それに、サミュエル様は、王太子殿下の側近として勤め続けるのでしょう? グレイ公爵家から生前贈与される資産をご自身で運用されるでしょうし、たとえどこに婿入りしようと、金銭的に困ることはないでしょうね」
「……うちでの生活が窮屈だったら、ご自分で改善されるということ?」
「それが必要でしたら」
あっさりと頷くロウを見て、ノアは苦笑した。もしそうなったら、それはそれで複雑な思いになりそうだと考えたのだ。
そんなノアを見て、ロウが軽く肩をすくめる。
「――おそらく、起こりえない未来でしょうが」
「どうして?」
前言を翻すような発言に、ノアは首を傾げる。でも、ロウはすぐには答えず、時計に目を向けて、先に着替えを済ませるよう促してきた。
確かに、晩餐会の時間まで、あまり余裕はない。
ジャケットを羽織り、ロウに軽く整えてもらいながら、鏡越しに視線を注いだ。
「……サミュエル様は、ある意味無欲な方ですよ」
「無欲……」
ノアは軽く目を見開き驚いた後、不思議なくらい腑に落ちた気分になった。
以前、一緒に結婚式の衣装を確認しに行った際は、サミュエルがいくつも宝石を買い求めるので、少し驚いたことがあった。でも、それは、普段のサミュエルが、そうした散財する姿を見せないからこそである。
ノアの家に尋ねてきた際も、もてなしに不満を持った様子は一切なかった。
それは無欲だからだと言われると、そうだろうと思う。厳密に言うと、サミュエルは無欲というより、あらゆる感情が薄いということなのだろうけれど。
例外は、ノアに関することだけで、だからこそロウは『ある意味』と前置きしたのだろう。
「ノア様と共に幸せに生活できるなら、サミュエル様は経済的な豊かさなんて、まったく気にしないでしょうね。たとえノア様が平民で、慎ましい暮らしが好きだと言ったとしても、サミュエル様はいくらでもその暮らしに合わせて、幸せを感じることでしょう」
「……なんというか……価値観が、僕ありき?」
「いまさら理解したのですか?」
返事が質問で戻ってきて、ノアは静かに首を振る。確かに、聞かずとも既に分かりきったことだった。
「……僕は、豪華絢爛な環境での暮らしはあまり好まないけど、サミュエル様が質素に暮らされる姿は見たくないから、ほどほどに貴族らしく暮らそうと思う」
「それがいいでしょうね。でも、ノア様の生活を質素にするなんて、使用人一同も受け入れられませんから、改めて決意されなくても問題ありませんよ」
当然のように言われて、ノアは苦笑した。侯爵家の後継者の暮らしが質素だなんて、体面が良くないのだから、ロウが言うことは尤もである。
ノアは今のノアのままで幸せでありさえすれば、サミュエルも幸せでいられる。そう考えると、グレイ公爵家を見て感じた気後れは、まったく意味のないものだったのだと、深く理解した。
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