内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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203.ノアの相談とサミュエルの望み

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 サミュエルの自室に落ち着いた後も、ノアたちの間では、珍しく言葉数が少なかった。

 一切気まずさを感じない静けさは、サミュエルの私室を訪れることに緊張感を抱いていたはずのノアを、穏やかな心地にさせてくれる。

 それはサミュエルも同じなのだろう。

 胸に寄りかからせるようにしてノアの肩を抱いたサミュエルは、時折ノアの髪を撫で、愛おしげにキスを落とす。
 会話よりも、共に過ごす空気感を楽しんでいるようだった。

(言葉ではなく、想いが通じ合うって、こういうことなのかな……)

 ノアはサミュエルの規則的な心音に耳をすませ、静かに微笑む。なんとも心地よい時の流れに、目がうっとりと細まった。

「……後で、庭に出ようか」
「そうですね。風が気持ちよさそうです」

 ノアは答えながら、少し身を起こした。
 いつまでも、サミュエルの体温を感じて穏やかに過ごしたいけれど、ノアが早めにグレイ公爵邸を訪れた目的を果たす必要がある。

 ザクが淹れてくれた紅茶から立ち上る香気を感じ、そっと手を伸ばした。

「……美味しいです」
「喜んで頂けたのでしたら、何よりでございます」

 ソファの傍に控えていたザクに声を掛けると、冷たい雰囲気の表情が僅かに緩むのが見て取れた。

 そこから離れた扉近くでは、ロウがじっと佇み、ノアたちへと視線を注いでいる。万が一にも間違いが起こらないように、監視しているのだ。

 ノアたちにとっては、そんな視線も慣れたものなので、あまり気にならない。

 ティーカップをテーブルに戻し、ノアはサミュエルを見上げた。愛情深い眼差しで微笑み掛けてくるサミュエルに、ノアも目を細める。

「……サミュエル様に、ご相談があります」
「そうだったね。いったいどういう相談かな? 人目を気にする類だとは分かるんだけど……?」

 サミュエルの指先が、ノアの頬をくすぐるように撫でる。

 ノアは悪戯な手を捕まえて、軽く握った。
 相談内容を告げるのは、とても緊張する。でも、サミュエルの手を握っていたら、その緊張感も少しは和らぐ気がした。

「あの……母から、言われたことなのですけれど……」
「侯爵夫人から?」

 サミュエルが意外そうに僅かに目を丸くする。ノアはそれに頷いて、言葉を続けた。

「はい。……結婚前に、やはり……ね、ゃ……きょう、いく、を、した方が、いいのでは、ないか、と……」

 頬がカァッと熱くなる。きっと真っ赤になっていることだろう。
 ノアは言葉にすることへの恥ずかしさのあまり、近頃ではあまりないくらい、小さくおぼつかない声で告げた。

「ごめん、よく聞き取れなかった。なに教育?」

 不思議そうに首を傾げたサミュエルが、握られたままの手を揺らしながら尋ねる。

 ノアはぎゅっと目を瞑って、ぶつかるようにサミュエルの肩に顔を伏せた。

「……ねや、きょういく、です」

 サミュエルにしか聞こえないような小さな声で囁くと、息を呑んだ気配が伝わってくる。今度は正しく伝わったようだ。

 安心と、さらなる気恥ずかしさと、緊張が押し寄せてくる。
 サミュエルがどのような反応を示すか気になる一方で、一生知りたくない気持ちにもなっていた。

 ザクがそっと距離をとる足音がする。ノアたちの話を聞き取りづらい位置へと逃げたのだ。
 もしかしたら、初めから入り口付近を陣取っていたロウは、この状況を見越していたのかもしれない。

「……閨教育、ねぇ……」

 サミュエルがぽつりと呟く。その声に含まれる感情は、なんとも複雑だ。
 ノアの頭を撫でて宥めながらも、何かを考えるように沈黙を続ける。

「――私としては、それは必要のないことだと思っているんだけど」

 暫くして、母親が予想していたような答えが返ってきた。
 ノアは自分の思いをどう説明するべきか迷いながら、そっと首を横に振る。

「……母も、実践練習は駄目だろうとは言っていたのですが……知識は、あった方がいいだろう、と……」
「知識。……うん、まあ、そうなんだろうけど。なければないで、どうとでもできるよ。――言わせてもらえれば、私が教え込むのも面白そうだと思っているんだけど」

 ふと、サミュエルの声に愉悦が混じった。色気を感じるその声に、ノアはビクッと身体を震わせる。

 サミュエルが言う、『教え込む』というのがどういうものなのか、ノアは想像もできない。でも、母親に教授を願うよりもよほど、恥ずかしいことである気がした。

 この感覚を無視してはいけない。
 そんな危機感に後押しされ、ノアはぎゅっとサミュエルの手を握って、顔を上げる。潤んだ視界に、熱の籠った翠の瞳が飛び込んできた。

「……最低限の、知識は、僕も必要だと、思います。……そうでないと、僕は不安と恐怖に負けて……サミュエル様を、受け入れられないかもしれません……」

 傍に感じる熱に、のぼせ頽《くずお》れそう身体を叱咤して、ノアは必死に思いを告げる。
 サミュエルが真剣な表情で口を閉ざし、ノアを凝視した。

「――僕だって、きちんとサミュエル様を受け入れたいと、思っているんです。甘やかさないで、ください。サミュエル様は、もっと、僕にたくさんのことを、ねだっていいんです……」

 サミュエルがそうであるように、ノアもサミュエルを愛したい。甘やかしたい。何かを願われるなら、どんなことだって叶えてあげたい。

 そんな想いを籠めた言葉は、サミュエルにしっかりと届いたようだ。

「なるほど……大胆なことを言うねぇ……」

 僅かに頬を赤らめ、サミュエルが冗談めかしたように呟く。そして、ノアの目元を愛おしそうに指先で撫で、くすりと微笑むと、言葉を続けた。

「ノアの気持ちは分かったよ。そう決めたのならば、私は反対も文句も言わない。でも、侯爵夫人と教育内容を打ち合わせするから、始めるのはちょっと待ってもらうけど、いいかい?」
「……それは、まぁ……サミュエル様が、そうお望みなら……」

 ひとまず了解を得られたけれど、閨教育の内容を婚約者に知られるという状況は、なんだか変だと感じる。

 そのせいで、ノアの返答はなんとも曖昧で、躊躇いがちになったけれど、サミュエルは一切気にした素振りがなかった。

「うん。――だって、私のおねだりを聞いてくれると言うなら、やっぱり、教え込む隙を残しておいてもらわないといけないじゃないか」
「……言ったことを、後悔してきました」
「後悔は後から悔いると書くわけで。しっかりとノアの思いは受け取ったから、もう取り返しはつかないよ」

 なんとも晴れやかな表情で、サミュエルがノアの唇に軽くキスを落とす。

 ノアは身に迫る危機を感じ取って身体を震わせた。でも、サミュエルが望むことがあるなら、ノアは誰になんと言われようと、やはりそれを叶えてあげたいと思うのだ。
 つまりは、諦めて、サミュエルに身を委ねるしかない。

 ノアは諦念の籠ったため息を零し、再び近づいてきたサミュエルを受け入れ、そっと目を伏せた。

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