内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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199.母親の後押し

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 沈黙がおりる。今回は穏やかな空気だった。
 暫く、心に負った傷を癒すように、静かに目を伏せていた母親が、不意に視線を上げる。

「……ノアがこれほどまでに強くなれたのは、サミュエル様のおかげでしょう?」

 揶揄うように、慈しむように、告げる母親の目は柔らかく細められていた。
 ノアは、サミュエルの名に、母親からされた提案を思い出して、動揺してしまう。だいぶ話が逸れてしまったけれど、元々は、ノアの結婚に向けた、閨教育についての話をしていたのだった。

「そ、そうですね……。サミュエル様が、傍にいてくださったから、に、違いは、ないですね……」

 途切れ途切れの消え入りそうな声が、ノアの動揺を言葉以上に示していた。
 頬を赤く染めたノアを微笑ましげに眺めた母親が、これまでの躊躇いを捨て去ったように、きっぱりとした態度で口を開く。

「それならば、なおさら、ノアはサミュエル様に寄り添う努力をしなければならないわ」
「努力……」

 力強い言葉に、ノアは視線を上げて、母親を見つめる。ノアを鼓舞するような眼差しに、自然と背筋が伸びた。
 この話は、ノアが悩んでいた、覚悟にも繋がる気がした。

「サミュエル様は、ノアのトラウマを初めからご存知だったわ。だからこそ、トラウマを刺激してしまいかねない閨教育をする必要はないと、最初に言われたの」
「あ……」

 それはなんとなく理解できる話だった。サミュエルがノアのトラウマに触れないよう、慎重に対応してくれていたのを、ノアは身をもって知っている。

 おずおずと頷くノアを見て、母親は微笑みながらも、ノアの手の甲を軽く叩く。

「サミュエル様は、とてもあなたを気遣ってくださっている。考えられないほど、心を砕き、身を粉にしてあなたを守ろうとしてくださっているのよ。そのことを、あなたは誰よりも理解していなければならない」
「……はい。分かっています」

 ノアはしっかりと母親の目を見つめ返した。母親は眩しげに目を細める。

「とても大きな愛よ。……一方で、それはサミュエル様を苦しめるものでもあるようだけれど」
「っ……お母様も、お気づきでしたか……」

 目を見開いたノアに、母親は優雅な仕草で肩をすくめた。

「面と向かって話したのは数えられるほどだけれど、いろいろと・・・・・報告は受けているもの。――あなたよりも、殿方の心は熟知しているつもりよ?」

 茶目っ気のある笑みで言われて、ノアはどう返事をしたらいいか戸惑う。
 いろいろと、という言葉の含みも、母親の思いがけない女性的なしたたかさも、受け入れるには少し時間が必要そうだった。

 無意味に口を開閉させるノアの動揺が静まるのを待たず、母親は言葉を続ける。

「……サミュエル様は、あなたが受け入れられるようになるまで、いつまでも待つつもりのはずだわ。それは、結婚したところで、変わらない。どんなに苦い思いをしていようと、あなたを守るために、全ての感情をねじ伏せるでしょうね」
「それは、駄目です……」

 ノアは咄嗟に呟いていた。サミュエルに守ってもらえるのは嬉しいし、ありがたいけれど、それがサミュエルの苦しみの上に成り立つなんて、ノアには受け入れられない。

 眉を寄せて唇を噛むノアに、母親は慈しむような視線を向けて頷いた。

「あなたはもう、守られるだけの人間ではないのでしょう? サミュエル様と共に、これから先を歩むつもりなら、サミュエル様の全てを受け入れることを覚悟しなくてはならないわ」
「……どうしたら、受け入れられるのですか?」

 ノアの悩みの答えを求めて問いかける。
 母親は少し呆れたように目を細めて、ノアの手を軽く叩いた後離した。

「私がした提案を忘れたの? ――夜のお作法を学びましょう」
「うっ……そういうことですか……」

 話が全て繋がって、ノアは急激に気恥ずかしさが込み上げてきた。
 熱い頬を押さえながら、背中を丸めて項垂れる。

 母親の提案が、必要なことだとは分かっている。サミュエルとの結婚を決めたからには、避けられないことも。
 ロウに母親の用件を尋ねた時に返ってきた言葉の意味が、今ならよく分かる。

「ノア、恥ずかしがってばかりでは、話が進まないのよ。どう考えたって、あの貴公子が悩んでいることなんて、それしかないのだから、あなたが覚悟を決めなくちゃ。あなた、そんなことで、まともに初夜を迎えられると思っているの?」

 母親の言葉が、身を刺すように響いた。
 トラウマに関して、長くあったわだかまりがなくなったことで、母親は遠慮さえもやめたらしい。
 もともとの意志の強さ、快活さを発揮して、ノアを叱咤激励する。

 ロウと侍女が、気まずそうに顔を背けているのを横目で見ながら、ノアは僅かに背筋を伸ばした。
 母親の提案に向き合う覚悟は決めたけれど、頬の火照りはどうしようもなく、あまりの恥ずかしさに目が潤む。

「……初夜とか、言わないでください。恥ずかしいです」
「だから、そんな奥手だから、あなたを守る覚悟を決めていらっしゃるサミュエル様は、本当の意味で手を出すことができないのよ?」
「……奥手じゃ、ないです……。それに、誰よりも、お母様にそのようなことを言われるのが恥ずかしいのだと、分かってくださいませんか……」

 ノアの恨めしげな抗議に、母親は片眉を上げて、ジッと見つめ返してくる。

「私じゃなければ、誰が教えられると言うの? 言っておくけれど、あなたのお父様は、あなたの閨教育の話に、あなた以上に顔を真っ赤にして苦悩するから、その辺に落ちている石ころ以上に役に立たないわよ」
「お父様……」

 あまりにもこき下ろされている父親に、ノアは少しばかり同情してしまった。でも、父親ともこんな会話はしたくないから、今聞いた話は生涯父親に伝えることはないだろう。

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