内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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197.躊躇いがちの提案

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 静かなサンルームの中の空気が、不意に動き出す。扉の開閉音に気づいて視線を向けると、侍女を連れた母親の姿があった。

「待たせてしまって、ごめんなさいね」
「いえ、ゆっくり休憩させていただいていました」

 ノアは立ち上がり母親を出迎えた。告げた言葉は嘘ではなく、改めて心を整理する良い時間になったと思っている。
 母親はノアのそんな思いを察したように、「それなら良かったのだけれど」と穏やかに微笑んでソファに腰を下ろした。

 侍女が二人に紅茶を淹れているのを横目に、ノアは母親にテーブルの上のお菓子を勧める。華奢で儚げな容姿の母親が、見た目にそぐわない健啖家で、甘い物を特に好んでいることを、ノアは熟知していた。

 予想通り嬉々とした様子でケーキを食べ始める母親を、ノアは微笑ましく見守る。

 母親はいつまでも若く美しくて、その振る舞いの優雅さも込みで、社交界の花と評されて久しい。こうしてケーキを食べる仕草まで、息子から見ても可愛らしく思えるのだから、その評価は間違っていないだろう。

 ノアは母親似の容姿であると誰もに言われるのだけれど、ノア本人はその評に首を傾げている。
 だって、ノアはこんなに可愛らしくない。淑やかさを残したまま、溌溂とした美しさで人を魅了する母親は、ノアにとって憧れだった。

「あら、そんなに見つめて、いやねぇ。ノアもお食べなさいな。このフルーツ、好きだったでしょう?」
「はい、ありがとうございます」

 勧められて、ノアはふんだんにフルーツがのったタルトを口に運ぶ。
 このタルトだけでなく、テーブルに並ぶもの全てが、ノアの好物である。母親はしっかりノアの好みを理解していて、揃えさせていたのだろう。
 そうした気遣いをさりげなくできるのが、侯爵家夫人としての母親の才能だ。今回は息子への甘やかしという意味合いが強いだろうけれど。

 ひとしきり、紅茶とお菓子と共に会話を楽しんだところで、母親が表情を改めた。ようやく本題に入るようだ。

 ノアはロウとの会話を思い出しながら、姿勢を正した。何を言われるか、今更ながらにドキドキしてくる。

 母親がここまで真剣な表情をしているのは、ノアの婚約について父親と話し合っていたとき以来な気がした。
 あの時とは違い、ノアはもう、自分の意思をしっかり示せるようになっていると思うけれど、それでも不安が忍び寄ってくるのは仕方ない。

「あと二か月もすれば、ノアは学園を卒業するわね」
「……はい」

 思いがけない方向で話を切り出され、ノアは目を瞬かせた。学園の卒業の時期なんて、改めて確認するようなことではない。
 話の展開が読めず、僅かに困惑するノアを、母親は愛しげな眼差しで見つめた。

「ローランド様から、ノアの学園での成長の話を聞いているわ。よく頑張ったわね」
「ありがとうございます……」

 ノアは頬を染めて、僅かに目を伏せる。母親に褒められるのは、なんであっても嬉しい。

 話に出たローランドとは、ノアの叔父である学園長のことだ。彼からどんな話が両親に伝えられているのか気になって、ノアは少しばかり落ち着かない心地だけれど、きっと悪い話ではないはずである。こうして褒められているのだから。

「学園を卒業したら、すぐに結婚式だけれど、準備で困っていることはない?」
「いえ、ほとんど終えていますから……」

 学園のことから、サミュエルとの結婚の話へと話題が変わり、ノアは首を傾げた。

 結婚式の準備については、母親には随時報告している。つつがなく済んでいることは、母親も既に理解しているはずだった。
 それなのに、あらためて尋ねる意図が分からない。しかも、わざわざお茶会という場を整えてまで。

 困惑するノアから、母親が目を逸らす。いつだって話す相手をまっすぐに見つめる母親とは思えない態度だ。
 お茶会に誘われた時に感じていた違和感が、再び浮かび上がってきた。

 行儀よく話の続きを待つノアに対し、母親は躊躇いがちに視線をうろつかせた。暫くして、侍女やロウを見ても、なんの助けも得られないと悟り、ようやく気合いを入れ直したようにノアを見据える。

 その仕草の全てが、ノアにとっては謎だった。どうやら、話しにくいことのようだけれど、ノアにはそんな話題への心当たりがない。

 話の流れを考えると、ノアの結婚に関することのようだ。いまさら、サミュエルとの結婚に反対するわけもないし、母親は何を言おうとしているのか。

「……あのね、一度しか言わないから、しっかりと聞いてちょうだいね」
「はい」

 言いにくそうな母親を促すように、ノアはしっかりと頷く。内心はドキドキとして気が逸っているけれど、それを隠せるくらいには、ノアも成長していた。

「……サミュエル様に必要ないと言われていたから、私はこれまで何も言わなかったのだけれど」
「サミュエル様に……?」

 思いがけない言葉に、ノアはきょとんと目を丸くする。
 結婚に関しての話なのだから、サミュエルの名が出るのは不思議ではない。でも、サミュエルが必要ないとノアの母親に告げたこととはなんなのか。

 純真無垢そのものの雰囲気なノアを、この場にいる誰もが、なんとも言えない感情で見守っていることに、ノアはまったく気づいていなかった。

 暫く沈黙して、ノアの顔をじっと見つめていた母親は、不意に大きなため息をついて言葉を続ける。

「結婚後の夜のお作法について、きちんと学んでおいた方がいいのではないかしら、と私は思っているの」
「よっ――!?」

 あまりに思いがけない言葉に、ノアは言葉を失った。

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