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195.サミュエルの心の中

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「――今さら、そんなことを言う意味が、どこにあるって?」

 サミュエルはひじ掛けに頬杖をつき、ザクを見つめた。
 こうして話しているのも大して楽しくないけれど、他の有象無象といるよりは遥かに有意義だと認めている。ザクはサミュエルの理解者だから、語る言葉は無視できないものが多い。

「ええ。本当に今さらです。ノア様に対して、サミュエル様が感情豊かでいらっしゃるのは昔からですし」

 ザクが軽く肩をすくめた。サミュエルは進まない話に苛立つでもなく、無表情で口を閉ざす。

 サミュエルが黙っていても、ザクは勝手に話を進めるだろう。そもそも、サミュエルから大きな反応が返ってくるなんて思っていないはずだ。

 サミュエルにとっての特別はノアだけ。それは昔から変わらない。

「――私はずっと不思議だったんです。サミュエル様はなぜ、ノア様を手に入れようとしないのか、と」

 自分にもお茶を淹れ、ザクが許しも得ずソファに腰かける。そして、なんの反応も示さないサミュエルを気にすることなく言葉を続けた。

「ライアン様との婚約だって、サミュエル様がどうにかしようとすれば、もっと早くに解消されていたはず。ノア様を手に入れるのも、簡単だったでしょう。それなのに、サミュエル様は、状況の変化に身を任せるだけで、積極的に動くことはなかった」

 サミュエルを分析するように呟きながら、ザクはジッとサミュエルを見つめる。あまりに不躾な視線だったけれど、それをサミュエルが気にすることはない。
 ノア以外からの視線なんて、どうでもいいのだ。本当は言葉さえも。

「ライアン様の自滅で、婚約が解消されて、サミュエル様はようやく動き出した。でも、ノア様との婚約と同時に、ルーカス殿下の補佐役を引き受けるなんて、何故だろうと私は思っていたんですよ。せっかく得られたノア様との時間を、どうでもいいもののために費やすなんて、サミュエル様らしくない」

 サミュエルはゆっくりと瞬きをした。
 その動きをザクの視線が追う。そこに隠れるサミュエルの感情を見逃さないように。

「でも、違ったんですね」

 ザクが微笑む。その笑みこそ、ザクらしくない親しみが籠っていた。長い時を共に過ごした友を眺めるように、あるいは守るべき主人を慈しむように。

 そこでようやく、サミュエルは大きく表情を動かした。僅かに目を眇め、ザクをじっくりと眺める。

「何が違ったと思うんだい?」
「ノア様以外のことに、時間を費やすことは必要なことだったんでしょう? 他のことに気を向ける必要があると、サミュエル様は誰よりも自覚なさっていた」
「ふぅん……」

 自分のことを語られているけれど、サミュエルは大して興味を持たずに頷くだけ。その反応を分かりきっていたように、ザクが苦笑した。

「……ノア様に向ける感情が強すぎる。重すぎる。そのことを理解していたから、サミュエル様は他で発散するしかなかった。ノア様がサミュエル様の感情の全てを受け入れられる時が来るまで」

 そこまで語り、ザクはこれまでを振り返るように呟く。

「ノア様を自分の感情で傷つけたくないから、制御できるようになるまでノア様に近づかなかった。ようやく状況が整ってきたから、婚約を結んだ。近づいたら、予想以上に感情が膨れ上がっていて、サミュエル様は驚いたのでしょうね。その感情を、まだノア様に受け入れられないと思ったから、他の者を嬲って発散できていると思い込むことで、我慢をすることにした」

 見事にサミュエルの思いを読んでいる。気づくのが遅いけれど、ザク以外の誰も、そのことに気づいていないのだから、気づいたことだけでも褒めるべきなのか。
 褒めたらザクが喜ぶだろうかと考えて、喜ばす必要性がないとすぐに忘れた。

「――そろそろ、発散する相手がいなくなりましたね」
「そうだね」
「困りましたね。ノア様はまだサミュエル様を抱えきれない」
「そうかもしれないね」

 サミュエルとザクの視線が交わる。苦笑するザクに対して、サミュエルは穏やかな笑みを浮かべた。慣れ切った仮面で、これもまたノアへの感情を抑制するために生み出した手段だった。

「感情に振り回されて、お疲れなんですね」
「嫌われたくないから我慢するけどね」
「ノア様は、大丈夫だと思いますけど」

 サミュエルの笑みが剥がれ落ちた。
 無表情で見つめてくるサミュエルを、ザクが微笑み見守る。

「……口で言うだけなら、簡単だよ」
「他人事ですしね」
「それを認めるのかい?」

 ザクは主人をたきつけておきながら、あっさりとどうでもよさそうに言い切る。さすがのサミュエルも、少し呆れた。

「事実ですし。だいたい、これまでのノア様への振る舞いだって、とんでもないものだったと思うんですけど。サミュエル様はこれ以上、何をしたいと言うんです?」
「おや、気になるのかい?」

 首を傾げ、珍しく興味津々な顔をしているザクを、サミュエルは僅かに目を眇めて眺めた。

 そんなサミュエルの表情に嫌な予感を覚えたのか、ザクが顔を引き攣らせて首を横に振る。拒否するために口を開きかけているけれど、サミュエルはザクの逃避を許さない。

 サミュエルの心の中に土足で踏み込んだのだから、相応の仕返しは覚悟しておくべきだっただろう。それに気づかなかったのが、ザクの愚かなところだった。

「――今すぐ閉じ込めて、泣いて嫌がっても、ドロドロになるまで愛してやりたい」

 サミュエル自身、ゾッとするくらい重い執着的な愛に満ちた声音に、ザクの顔から血の気が引いた。言葉以上の想いが、その声に詰まっていたのだ。

「……ロウに警告しておきます」
「君が聞かせろとねだったくせに、ひどいことをするね。ランドロフ侯爵邸に出入り禁止にされるじゃないか」
「ノア様のためにも、そうすべきだと思うくらい、ひどい顔でしたよ」
「顔?」

 サミュエルは自分では見られない表情を変えるために、そっと頬をさすった。

「やっぱり、もっと感情を飼いならす特訓をしましょう。それか、新たな発散相手を見つけださないと……。ノア様に怯えられて、サミュエル様が死にそうになる未来しか見えません!」
「……だから、がんばっているし、我慢しているんじゃないか」

 真剣な表情で忠告するザクに、サミュエルは疲労感に溢れたため息を零した。

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