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189.気づかないうちに守られていた

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 暫く雑談をした後に、サミュエルが飽きたようにルーカスを眺める。

「――それで、本当のご用件はなんでしょう? わざわざノアを呼び出してまで……。ノアと過ごすなら、私は二人きりがいいのですが」

 暗にルーカスを邪魔だと言うサミュエルに、ノアは慌てて腕をつついた。いくらルーカスが苦笑して聞き流してくれようとも、あまりに礼儀に反した振る舞いである。

「分かってる。俺はノア殿と話すのは気が休まるから楽しいんだが――」
「私のノアですよ」

 ルーカスに褒められて少し頬を染めたノアを、サミュエルが横目で見る。不満そうな顔ですかさず釘を刺してくるサミュエルに、ルーカスは呆れ混じりの笑みを浮かべていた。

「……だから、分かってるって言ってるだろ。サミュエルからノア殿を奪える人間なんて、この世界に存在しないんだ。――あのお馬鹿なオウジサマとか、悲惨じゃないか」

 ルーカスの声に嘲笑が滲んだ。ソファのひじ掛けに頬杖をつき、サミュエルとノアを眺めるルーカスは、何かを推し量ろうとするかのような眼差しである。

 ノアは不意に変わった雰囲気に、一瞬息を飲んだ。そろりとサミュエルを窺うと、こちらは大した感情を浮かべず、静かにルーカスを見つめ返している。
 二人の間で視線による無言のやり取りが続いているように思えた。

(あのお馬鹿なオウジサマ……マーティン殿下のことか……。そういえば、最近話を聞いていなかったけど、カールトン国は現在どんな状況なんだろう……?)

 ノアは忙しさですっかり頭から追いやっていた騒動を思い出し、小さく首を傾げる。

 ノア自身、騒動の当事者ではあったけれど、サミュエルが全てを片づけてしまったから、どうしても問題の優先順位が低くなっていた。ノアにとって今一番重要な問題は、自身の結婚式を成功させるための準備に他ならない。

「――裏事情を知る奴らは戦々恐々としているぞ。カールトン国だけでなく、この国でもな。状況を把握するだけの能力がある者ほど、今後ノア殿の扱いに慎重になりそうだな」

 続いた言葉の意図が分からない。ノアはパチリと瞬きをした。
 そんなノアを見たルーカスは、片眉を上げて意外そうな表情をする。何かを言おうと口を開くも、サミュエルが不意に足を組む仕草に気を取られたのか、言葉が出ることはなかった。

 サミュエルは膝の上で手を組み、魅了するような完璧な笑みを口元に浮かべた。それを見て、ルーカスは嫌そうに眉を寄せ、目を眇める。
 二人の緊迫した雰囲気に、ノアは口を挟む隙もなく、ただやり取りを見守った。

「素晴らしいではありませんか。ノアを軽視されるのは許されませんから、あらかじめ周知されていれば、私の手間が減ります」
「……なるほど。やはり、情報の統制の不備ではなく、狙ってやったのか」

 ルーカスは苦々しい口調だった。晴れやかな表情のサミュエルとは対照的である。

「――俺は、バレなければ、と言ったはずだが」
「ええ、承知しておりますよ。つまり、咎められるような状況は許されないということでしょう? ――それで、どなたかが、この問題に関して、私たちを咎めるようなことを言い出してきましたか?」

 サミュエルの悪びれない表情を、ルーカスがじろりと睨んだ。そして、一拍おいて大きなため息をつく。

「……いいや。誰も、何も咎めてこないさ。むしろ、知る者たちはみなサミュエルを暗に褒め称え、恩恵を受けようと俺にすり寄ってくる。――鬱陶しい」
「いいことでしょう。貴族との溝が、より一層埋まったということですよね」
「……そうだな。サミュエルが俺の側近であり続ける限り、彼らは俺と敵対しない。それだけ、サミュエルの脅威が伝わっているということで……感謝した方がいいか?」

 ルーカスの何かを探るような声音に、サミュエルがフッと笑った。

「いいえ。殿下がお気づきのように、ノアためにしたことのついでですから。ここ数ヶ月、有象無象がノアに近づこうとして、鬱陶しかったんですよ。私の婚約者に、気軽に話しかけられると思わないでほしいですね」

 ノアは目を丸くして、サミュエルの横顔を凝視する。そんな事情、一度も聞いたことがなかった。
 驚いた表情をしているノアを、ルーカスがちらりと見て、納得したように頷く。

「ノア殿は知らなかったのか。サミュエルと婚約してから、ノア殿のガードが弱まったのではないかと、面倒くさい狸オヤジ共が色々と画策していたんだが」
「えっと……ガード? たぬきおやじ……?」

 ルーカスの言葉を上手く飲み込めず、ノアは困惑の眼差しをサミュエルに向けた。
 サミュエルは僅かに咎めるような目をルーカスに向けるも、すぐにノアに微笑み掛ける。

「ノアは以前よりも人と話すようになって、距離感が縮まってきたよね。それを知った貴族たちが、虎視眈々とノアと話す機会を狙っていたんだよ。今はまだ学生だから、社交界への参加は必須ではないけれど、あと数ヶ月もすればそうも言っていられない。ノアを囲んであわよくば、という下衆な者たちもいてね――」

 あわよくば、という言葉の続きはなかったけれど、サミュエルの目に一瞬物騒な光が宿ったのと、下衆な者という言葉で、なんとなく状況を理解した。

 ノアは少し血の気が下がる気分で、サミュエルの腕を掴む。サミュエルはその手を優しく撫でながら、安心させるように笑みを強めた。

「大丈夫だよ。今の状況で、私の婚約者であるノアに不用意に近づく者はいないからね」
「……本当に?」
「本当に。――ですよね、殿下」

 不意に話しかけられたルーカスは、ノアの視線を受けて、当然のように頷く。

「サミュエルが穏やかで社交的なだけの男ではないと、多くの者が知ったからな。お馬鹿オウジの二の舞には、誰もなりたくないものだ」

 どうやらマーティンの所業とそれへのサミュエルの対応は、一部の者にしっかりと周知されているらしい。それはサミュエルによる貴族たちへの牽制の一手であることも分かった。

 ノアを守るために、サミュエルは早々に手を打っていたわけだ。ノアがその危機さえ知る前に。

「……サミュエル様、ありがとうございます」

 ノアは微笑み、サミュエルに僅かに身を寄せる。すかさず肩に回った手に身を委ねると、抱き寄せられて頬にキスをされた。

「どういたしまして。私がしたくてしただけなんだけどね」

 サミュエルと目が合う。ノアは唐突に『あぁ、好きだなぁ』と思った。

 いつだってノアのことを誰よりも大切にしてくれる人だ。頼りがいがありすぎるほど、才能と魅力に溢れている人だ。そんな人を好きにならずにいられるわけがないだろう。

 サミュエルと恋い慕い合う仲になれたことが、ノアの人生で一番の幸福だと思った。

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