内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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175.時には咎める

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 翌日。サミュエルが来たと言われて玄関ホールに向かう。階段上からも、午前中の爽やかな日差しに照らされた麗しい姿が、すぐに目に飛び込んできた。
 隣にザクを連れ、なにやら書類を確認している様子で、ノアと一緒にいる時よりも、冷たく端正な容姿が際立っている。

(こう見ると、サミュエル様は明るくて華やかな色合いの方だけど、冷淡で硬質な雰囲気があるんだなぁ……。いつも微笑んでいることが多いから、気づかなかったけど)

 ノアはじっとサミュエルを観察しながら、階段を下りる。社交的な装いの内側にある、サミュエルの本質を目の当たりにしている気がした。

(微笑んで柔らかな雰囲気のサミュエル様も好きだけど、こうして仕事ができる男っていう感じも素敵だよね)

 誰に語るでもなく、そう思っていると、サミュエルの視線が上がる。翠の瞳がノアを映して、柔らかく細められた。
 その瞬間、ノアは囚われた気がした。まだ距離があるのに、すぐそばにサミュエルを感じるような、不思議な感覚。
 目を離せないまま、吸い寄せられるように近づいて、サミュエルを見上げる。

「おはよう、ノア」

 手にしていた書類をザクに放り、ノアを腕の中に迎え入れたサミュエルは、甘い声音で囁くと、頬にキスを落とす。
 ノアは反射的にキスを返しながら、ようやく瞳の引力から解放された気がした。でも、息つく間もなく、サミュエルの体温の近さと愛しげな抱擁を感じて、サッと頬を赤らめる。

「……おはようございます、サミュエル様。お迎えありがとうございます」

 呆然と近づいてきた自分に何を思っただろうかとノアは少々不安になったけれど、ご機嫌そうに顔中にキスを落とすサミュエルは、まったく気にしていなさそうだ。
 朝の挨拶にしては過剰なキスを繰り返すサミュエルを、呆れた風に見やったザクも、ノアの不自然さには気づかなかった様子でため息をつくだけである。

「――何かお仕事をなさっていたのですか?」

 ふとザクの手元に移った書類が気になり問いかけると、ピタリとキスが止まった。そろそろ制止すべきか悩んでいたから、正直少しホッとする。
 視線を上げると、再び翠の瞳が視界に入ったけれど、先ほどまでの引力は感じなかった。いったいなんだったのだろうか。

「……まぁ、仕事と言えば、仕事かな。――それより、今日は結婚式の衣装を見に行くんだろう。早く行こう」

 言葉と同時に、背中を押されて促される。何か誤魔化されている気がしたのは、きっと気のせいじゃない。でも、ここで追究するほどのことでもないように思うので、ノアは思考を切り替えて歩き出した。

「サミュエル様、なんだか楽しそうですね。衣装合わせがお好きなのですか?」
「いや? 普段は、馴染みの服飾屋に任せきりだから、まともに衣装合わせをすることはほとんどないけど。ノアがどんな素敵な姿になるか、一足早く見られるのは嬉しいね」
「……サミュエル様は、色んなお洋服がお似合いになりそうですのに」

 どうやら自身の身だしなみには無頓着であるらしいサミュエルに、ノアは『勿体ないなぁ』という思いが滲んだ呟きを返した。
 自分がサミュエルの担当の服飾屋だったら、たくさんの服を着せ替えして、うっとりと見惚れてしまう自信がある。

「そうかい? ノアが選んでくれた服なら、いくらでも着るけど」
「本当ですか? では、今日は衣装以外にも色々と仕立ててもらいましょう!」

 思わずサミュエルの胸元に手を添えて、ねだるように見上げて勢い込むと、サミュエルの目が丸くなった。思いがけないほど強い反応を返すノアに、驚いたようだ。

 ノアは少しはしたない振る舞いだったと、頬を染めて俯く。いつの間にか足が止まっていた。
 すぐそこに馬車があるのに、乗り込もうとしないノアたちに、御者が戸惑った表情だ。

「……ふっ……意外だったな。でも、可愛らしくていい。どうせなら、私の服を全部、ノアが選んだものに変えてしまおうかな。ノアに染められるのは、楽しそうだ」
「そ、そこまでしなくとも……」
「ノアの服は当然私が選んだものにしようね。どの服を見ても、私を思い出せるように」
「え……」

 ノアの躊躇いがちな否定は、サミュエルの耳に入っていないのか、それとも故意に無視されているのか。
 嬉々とした様子で語りだしたサミュエルの言葉に、ノアは戸惑いつつ、想像してみた。

 着替えのために服を見る度に、サミュエルを思い出す自分。その服をまとっている一日中、ことあるごとにサミュエルのことを思い出して、悶えてしまいそうだ。
 まさしくサミュエルで染められる、という感じで、心臓がもつ気がしない。まともに日常生活を送れるかも怪しい。

「――絶対に、ダメです……!」

 あっという間に限界まで火照った顔を両手で押さえる。
 サミュエルが選んだ服をまとうだけで、愛情に包まれて陶然としている自分を想像すると、なんともいたたまれない。愛に溺れて、頭が馬鹿になっていると、みんなに思われてしまうだろう。

「そう? いいと思ったんだけどね……。でも、そうだな。今はやめておこうか」
「……今は?」

 気になる言い回しを、思わず追究すると、サミュエルに両手首を掴まれて、あっさり顔からのけられてしまった。
 僅かに屈んだ体勢で、サミュエルがまっすぐにノアの目を見て、甘く微笑む。

「だって、せっかく服を送っても、まだ私の手で脱がせてあげられないだろう?」

 ノアは一瞬、何を言われたか分からなかった。カチリと固まったノアに首を傾げ、サミュエルはノアの耳元に唇を近づける。耳元に息がかかる感覚が、やけに艶めかしく感じられた。

「――服を送ったら、脱がせるまでが、マナーだよ」
「………………そんなマナーは、存在しませんっ!!」

 珍しく声を張り上げたノアに、サミュエルは楽しげに笑い声を上げた。首まで赤くしているノアとは対照的に、サミュエルは余裕な雰囲気だ。

 ノアは揶揄われたことを悟って、恨めしい目を向けてから、プイッと顔を背け、サミュエルを置いて馬車に向かう。乗り込もうとしたところで、慌てた様子の御者が手を差し出してきたけれど、サッと近づいてきたサミュエルが御者をさげた。
 代わりに、当然のようにサミュエルがエスコートしようとしてくるので、ノアはこれを拒むべきか真剣に悩んだ。

「……ありがとうございます」

 結局、あまり拗ねた態度を取り続けるのも、嫌なやつだと思われそうだと危惧して、礼と共にサミュエルの手を取った。

「拗ねた君も可愛いね」
「……やっぱり、僕を揶揄ったこと、少しは反省してください!」

 借りた手を離す瞬間に、ペシッと叩いたけれど、サミュエルは楽しそうに微笑むばかりで、あまり効果はなさそうだった。

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