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170.お互いの心
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ノアの悩み事相談の後すぐに、その場は解散になった。というのも、サミュエルがやって来て、ノアを引っ張り出したからだ。
ノアが図書室に向かったことを知り、会いに来たところ、ハミルトンと休憩室に籠っていると聞いて、サミュエルは少し怒った雰囲気だった。
「ノア、私は言っただろう?」
背を押されて廊下を歩きながら、ノアはサミュエルの顔を窺う。
むすりと口を引き結んだ表情は、常の社交性のある穏やかな雰囲気とはかけ離れていた。でも、サミュエルが同い年のまだ若い男であることが感じられて、ノアは少し可愛らしいと思ってしまう。
そのように感じるのは、ノアが醜いと思える感情もすっかり受け入れて、心に余裕ができたからだろうか。
無意識の内に口元に笑みを浮かべると、サミュエルにすかさず見咎められた。
「――なんだい?」
「いえ。……でも、ハミルトン殿と話すときも、部屋の扉は開けていましたし、問題が起きようもありませんよね。それに、アダムさんのこともありますし。サミュエル様がご心配になるようなことは――」
話している途中で、不意に抱き寄せられた。サミュエルにぶつかりそうになるのを、胸に手をつくことで咄嗟に堪える。
きょとんとしながらサミュエルを見上げると、間をおかず唇が奪われた。
ちゅ、と軽い音と共に離れた唇を、ノアはぼんやりと目で追う。
「……心配がどうこうという話じゃない。ノアのことはもちろん、ハミルトンのことも信頼しているからね。ただ、ノアが誰かと二人でいる姿を見て、私が嫌な気分になるだけだ」
唇から上げた視線は、翠の瞳とぶつかった。その瞳に浮かぶのは愛情であり、言葉や行動に反して穏やかに凪いでいる。
「――ノアは私を嫌な気分にさせたいかい?」
「いいえ……」
「そう。それなら、気をつけてもらわないと」
「……分かりました」
さらりと自分の要望を押し通すサミュエルに、ノアは苦笑する。それでも、サミュエルのわがままを叶えてあげられるのは、悪い気がしなかった。
「ノアも言っていいよ」
「え?」
再び歩き出したところで唐突に言われ、ノアは首を傾げる。サミュエルがノアの顔を覗き込み、楽しそうに目を細めた。
「私にしてほしいこと、気をつけてほしいこと、なんでもね。ノアの望みを叶えるのは、私にとっての喜びだから」
「気をつけてほしいこと……」
言葉を繰り返しながら、ノアはサミュエルの顔を窺った。どうにも、ノアの最近の悩みを知られている気がしてならない。
サミュエルは首を傾げて、静かに微笑む。
「――他の方とばかり、お話にならないでほしいです……」
「分かった。気をつけよう」
躊躇いつつ囁くと、あまりにもあっさりと返事があった。ノアは目を見開いてサミュエルを見つめてしまう。
ノアの望みは、サミュエルに求められている役割に反している。ノアの代わりに社交を担うよう求められ、王太子の側近としてもその務めは必須だ。
それなのに、これほどまでに簡単に受け入れられてもいいものか。ノアは本音を零してしまったことを、少し後悔した。
サミュエルはノアのそのような気持ちを察したように、穏やかな口調で言葉を続けた。
「――私には役目がある。だから、誰かと話すことをやめることはできない。でも、それを必要最小限にすることはできるし、なにより、寂しく思わせないくらいノアと話せばいいということだろう? それは、私にとっても嬉しいことだね」
「寂しい……あぁ、そうですね」
ノアはサミュエルの言葉でようやく自分の心が分かった。
ハミルトンが言うように、嫉妬心があったのは確かだ。でも、それだけではなかった。ノアもサミュエルも忙しくなる中で、会話が減っていたことが寂しかったのだ。他の人と話す時間も、自分と話してほしかった。
「いい機会だから、ノアが今感じていることを話してみないかい?」
「今、感じていること……」
頭の中に様々な悩みや感情が思い浮かぶ。最終的に強く思い起こされたのはひとつだった。
「――結婚って、どういうものなのでしょう」
「……おや。予想外なところが来たな。いや、むしろ当然なのかな」
サミュエルが僅かに目を見開き、ぽつりと呟いた。表情を戻すと、前方を見据えて暫く黙り込む。
その沈黙は決して嫌なものではなかった。サミュエルがノアとの将来を真剣に考えてくれている雰囲気が伝わってくるからだ。
「――確認だけど、私と結婚するのが嫌なわけではないよね?」
「もちろんです」
「うん、分かっていたけど、安心したよ。最近、ノアを私の思いで縛っているから、それで憂鬱になったのかと、ちょっと不安だった」
サミュエルが微かに笑う。ノアはその横顔をまじまじと見つめ、首を傾げた。
「サミュエル様も、不安に思われることがあるんですね?」
サミュエルが横目でノアを流し見て、片眉を上げた。
「当然だよ。というか、ノアに関することは、いつだって私の心を振り回す。だから、気をつけてほしんだよ。制御できない私の感情が、ノアを傷つけることのないように」
「……はい、気をつけます」
何度目かの念押しに、ノアは思わず苦笑してしまった。
ノアが図書室に向かったことを知り、会いに来たところ、ハミルトンと休憩室に籠っていると聞いて、サミュエルは少し怒った雰囲気だった。
「ノア、私は言っただろう?」
背を押されて廊下を歩きながら、ノアはサミュエルの顔を窺う。
むすりと口を引き結んだ表情は、常の社交性のある穏やかな雰囲気とはかけ離れていた。でも、サミュエルが同い年のまだ若い男であることが感じられて、ノアは少し可愛らしいと思ってしまう。
そのように感じるのは、ノアが醜いと思える感情もすっかり受け入れて、心に余裕ができたからだろうか。
無意識の内に口元に笑みを浮かべると、サミュエルにすかさず見咎められた。
「――なんだい?」
「いえ。……でも、ハミルトン殿と話すときも、部屋の扉は開けていましたし、問題が起きようもありませんよね。それに、アダムさんのこともありますし。サミュエル様がご心配になるようなことは――」
話している途中で、不意に抱き寄せられた。サミュエルにぶつかりそうになるのを、胸に手をつくことで咄嗟に堪える。
きょとんとしながらサミュエルを見上げると、間をおかず唇が奪われた。
ちゅ、と軽い音と共に離れた唇を、ノアはぼんやりと目で追う。
「……心配がどうこうという話じゃない。ノアのことはもちろん、ハミルトンのことも信頼しているからね。ただ、ノアが誰かと二人でいる姿を見て、私が嫌な気分になるだけだ」
唇から上げた視線は、翠の瞳とぶつかった。その瞳に浮かぶのは愛情であり、言葉や行動に反して穏やかに凪いでいる。
「――ノアは私を嫌な気分にさせたいかい?」
「いいえ……」
「そう。それなら、気をつけてもらわないと」
「……分かりました」
さらりと自分の要望を押し通すサミュエルに、ノアは苦笑する。それでも、サミュエルのわがままを叶えてあげられるのは、悪い気がしなかった。
「ノアも言っていいよ」
「え?」
再び歩き出したところで唐突に言われ、ノアは首を傾げる。サミュエルがノアの顔を覗き込み、楽しそうに目を細めた。
「私にしてほしいこと、気をつけてほしいこと、なんでもね。ノアの望みを叶えるのは、私にとっての喜びだから」
「気をつけてほしいこと……」
言葉を繰り返しながら、ノアはサミュエルの顔を窺った。どうにも、ノアの最近の悩みを知られている気がしてならない。
サミュエルは首を傾げて、静かに微笑む。
「――他の方とばかり、お話にならないでほしいです……」
「分かった。気をつけよう」
躊躇いつつ囁くと、あまりにもあっさりと返事があった。ノアは目を見開いてサミュエルを見つめてしまう。
ノアの望みは、サミュエルに求められている役割に反している。ノアの代わりに社交を担うよう求められ、王太子の側近としてもその務めは必須だ。
それなのに、これほどまでに簡単に受け入れられてもいいものか。ノアは本音を零してしまったことを、少し後悔した。
サミュエルはノアのそのような気持ちを察したように、穏やかな口調で言葉を続けた。
「――私には役目がある。だから、誰かと話すことをやめることはできない。でも、それを必要最小限にすることはできるし、なにより、寂しく思わせないくらいノアと話せばいいということだろう? それは、私にとっても嬉しいことだね」
「寂しい……あぁ、そうですね」
ノアはサミュエルの言葉でようやく自分の心が分かった。
ハミルトンが言うように、嫉妬心があったのは確かだ。でも、それだけではなかった。ノアもサミュエルも忙しくなる中で、会話が減っていたことが寂しかったのだ。他の人と話す時間も、自分と話してほしかった。
「いい機会だから、ノアが今感じていることを話してみないかい?」
「今、感じていること……」
頭の中に様々な悩みや感情が思い浮かぶ。最終的に強く思い起こされたのはひとつだった。
「――結婚って、どういうものなのでしょう」
「……おや。予想外なところが来たな。いや、むしろ当然なのかな」
サミュエルが僅かに目を見開き、ぽつりと呟いた。表情を戻すと、前方を見据えて暫く黙り込む。
その沈黙は決して嫌なものではなかった。サミュエルがノアとの将来を真剣に考えてくれている雰囲気が伝わってくるからだ。
「――確認だけど、私と結婚するのが嫌なわけではないよね?」
「もちろんです」
「うん、分かっていたけど、安心したよ。最近、ノアを私の思いで縛っているから、それで憂鬱になったのかと、ちょっと不安だった」
サミュエルが微かに笑う。ノアはその横顔をまじまじと見つめ、首を傾げた。
「サミュエル様も、不安に思われることがあるんですね?」
サミュエルが横目でノアを流し見て、片眉を上げた。
「当然だよ。というか、ノアに関することは、いつだって私の心を振り回す。だから、気をつけてほしんだよ。制御できない私の感情が、ノアを傷つけることのないように」
「……はい、気をつけます」
何度目かの念押しに、ノアは思わず苦笑してしまった。
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