内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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168.もやもやと喜び

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 放課後の図書室。本を返しにきたノアは、ハミルトンにばったりと出会った。ハミルトンは司書なのだから、出会わない方がおかしいかもしれないけれど。

「おや、ノア様、ごきげんよう」
「ごきげんよう、ハミルトン殿」

 ノアはカウンターに本を滑らせる。最近忙しくて、返すのが期限ぎりぎりになってしまった。
 ハミルトンは本を受け取り、返却業務を流れるように終えると、ノアを見つめる。

「……あまり、お顔色が優れませんね」
「そうですか?」

 予想外の言葉を聞いて、ノアは自分の頬に触れる。サミュエルは何も言っていなかったから、体調が悪いように見えてはいないと思うのだけれど、自分では心当たりがない。

「ええ、休んでいかれませんか? 私はもう休憩に入る時間なんです」
「でも……」

 ハミルトンの提案に、ノアがすぐに頷けなかったのは、サミュエルの言葉があったからだ。サミュエルはたとえハミルトンであっても、ノアに不用意に近づくことを歓迎しないだろう。

 ハミルトンはノアの躊躇いでそのことに気づいたのか、片眉を上げて、目に僅かな呆れを滲ませた。

「どうやら、わがまま坊ちゃんは、ノア様を束縛していらっしゃるようで。軽く受け流した方がよろしいと思いますよ」
「……僕が嬉しいと思っていても?」

 サミュエルを『わがまま坊ちゃん』と呼ぶハミルトンに、ノアは苦笑しながらも、尋ね返した。

「あまり甘やかすと、調子に乗ってエスカレートしますから、たまには拒んでみては? ノア様は彼を振り回せる唯一の人なので、ぜひ恋の駆け引きを楽しんでみてください。彼の冷静さが崩れる姿を見るのは楽しいと思いますよ」

 茶目っ気のある笑みを浮かべたハミルトンは、カウンターの奥にある休憩室へとノアを促す。どうやらノアの返事を待つつもりはないらしい。

「ハミルトン殿は、サミュエル様のことがお嫌いなのですか?」
「いいえ、まさか。幼い頃から完璧で、面白みのない男だと思ってはいましたけど」

 休憩室に入った途端、ハミルトンがとんでもないことを言う。サミュエルを『面白みのない男』なんて評する人を見たのは初めてだ。サミュエルは誰にとっても魅力的な男性なのだと思っていた。
 ノアはまじまじとハミルトンを見上げる。

「――昔から外面はいいので、たくさんの人に囲まれることになって、つまらなそうにしていましたよ」
「……そうですか」

 サミュエルの子どもの頃をノアは覚えていない。かつてグレイ公爵家で出会ったことがあるはずなのに、その記憶はトラウマと共にほとんど封じてしまっている。

「――サミュエル様は、人に囲まれて、つまらないとしか思われないのでしょうか。誰かを好ましく思われることとか……」

 ノアはぽつりと呟く。脳裏には、講義室で多くの令息令嬢と談笑するサミュエルの姿が浮かんでいた。
 最近、その姿がやけに目に付く。ノアと親しくなる前から、サミュエルのそのような姿をよく見て、憧れていたはずなのに、近頃はその時とは違う感情が胸を占めるようになった。

 もやもやとして、重くて、僅かな痛みがある。この気持ちがなんなのか、ノアはうっすら気づきながらも、目を逸らしていた。

「……なにかお悩みですか。お顔色が曇っているのは、マリッジブルーだけではないようですね」
「マリッジブルー?」
「ええ、結婚前に精神的に不安定になることを言うのですよ。新しい環境に飛び込むことに、不安を覚えるからでしょうか」

 ノアはハミルトンの言葉を頭の中で反芻した。現在抱えている気持ちも、マリッジブルーと言えるものなのだろうか。

 マーティンに関する問題がほぼ片付き、ようやく自身のことに集中できるようになって、未来のことを考える時間が増えた。時間は刻一刻と過ぎていき、きっと結婚式もあっという間にやって来る。

 ノアはまだ、サミュエルとの結婚生活を上手く想像できないでいた。

「――不安があるのでしたら、とりあえず口に出してみるのもいいと思いますよ。聞かせる相手は選ぶべきですが。……私とか、口が固いのでおすすめですよ?」

 ハミルトンがノアに紅茶のカップを差し出しながら微笑む。ノアもつられるように微笑んだ。少しだけ心が軽くなった気がする。

「……あまりハミルトン殿と仲良くすると、アダムさんにまた誤解されそうですね」
「おや……言いますね」

 ノアがサミュエルのこととは別に気になっている話題へと水を向けると、ハミルトンは僅かに目を丸くした後、ふふっと幸せそうに笑った。

「――ご心配なく。あの子は私の言葉を信じてくれるので。まだ成人まで時間があるのが残念です」
「あ……もしかして、もうそのような話を?」

 話を誤魔化す目的ではなく、純粋に興味が惹かれて、ノアは尋ねる。
 アダムとハミルトンは血の繋がりはなくとも、現時点では兄弟で、そう簡単に話が進むことはないと思っていた。でも、ハミルトンのこの様子では、それなりに進展があったように思える。

「ええ、まぁ。将来の約束は交わしましたね。まだ秘密ですよ?」
「わぁ……そうなんですね。お祝いする日が楽しみです」

 何がどうなったのか、詳細は分からないけれど、二人が幸せそうであるのは嬉しい。そう思って頬を染めて微笑むノアを、ハミルトンは目を丸くして見つめた。

「……あぁ、なるほど。サミュエル様が振り回される理由がよく分かります。なんともまぁ、警戒心がなく、純粋な方でいらっしゃる……。可愛らしさも、過ぎれば罪なんですかねぇ」

 ぼそりと呟かれた声は小さくて、ノアは聞き返したけれど、笑顔ではぐらかされてしまった。

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