内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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167.変化と日常

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 ノアたちと話してから一週間もしないうちに、マーティンの帰国が決まり、慌ただしく立ち去った。それまでに何度もノアに接触しようとして、サミュエルに拒まれたことで、失意に満ちた後ろ姿だった。

 留学期間を切り上げての帰国に、多くの貴族が動揺したけれど、それを上回る重大事が巻き起こると、マーティンの存在は一瞬で忘れ去られる。

「――カールトン国、どうなるんだろうなぁ」
「うちの国はさほど被害はなかったらしいけど。その辺は、さすがグレイ公爵家だよな」

 ざわめきの中から声を拾い上げ、ノアは本から視線を上げる。マーティンがいなくなったことで、ノアの周囲には平穏が戻ってきた。別の騒ぎは起きているけれど、誰もが他人事のように捉えているようで、さほど気になることではない。

 窓の外に視線を向けると、青い空が広がっていた。悠然とした風景を見ると、ノアの心が安らぐ。

(カールトン国との国交断絶は、予想以上の騒動はなく済みそうだ……)

 国家間の契約白紙に、カールトン国からは抗議があったらしい。でも、それをあっさり躱し、むしろカールトン国の不手際を追及し、黙らせたことで、王家は貴族たちからの信頼を回復しつつある。
 生じた被害は、サミュエルが言った通り、迅速にグレイ公爵家が対応したことで、王家とグレイ公爵家の繫がりの強さを示し、王家の信頼回復にも繋がっているようだ。

(サミュエル様はどこまでお考えの内だったんだろう?)

 ノアは小さく首を傾げた。
 カールトン国という敵を作ることで、この国は団結力を強めたように思える。王家の不祥事で揺らいでいた国が、強く生まれ変わろうとしているような気がするのだ。

 それは王太子ルーカスのみならず、支えるサミュエルにとっても益になることは間違いない。

 被害補填のために、身銭を切ったと言えるグレイ公爵家も、これまであまり繫がりのなかった貴族家との交流が生まれ、むしろ利益が生まれていると噂されていた。

(……マーティン殿下がどうなったかは、まだ聞こえてこないなぁ)

 ノアは一抹の不安を感じながら苦笑する。
 カールトン国の王族は、軒並み失脚していっているようで、マーティンはその対応に悪戦苦闘しているらしい。この調子でいくと、マーティンが時期王として立つ可能性があると噂を聞いた時は、ノアは言葉に詰まってしまった。

(サミュエル様が、それを許すのかなぁ……。でも、マーティン殿下にとっては、王位は自由を奪うものであって、罰になりえるのかも?)

 なんとなくサミュエルの考えていることとは違う気がしつつも、ノアはため息をついて思考を打ち切った。
 ノアにとって、カールトン国やマーティン殿下は、既に関わる必要のないことである。それよりも、気にすべき事柄は山ほどあった。

「招待客リスト……服の仕立ての状況も確認しないと……」

 本を閉じて机の端に置き、ノアは目を逸らしていた仕事に取り掛かる。
 結婚式はサミュエルの希望があり、学園卒業後すぐに執り行われることになっている。そしてそれはもう半年を切っていて、のんびりしている暇はないのだ。

「――ノア、今日中に本の返却が必要だそうだよ」
「サミュエル様……」

 声を掛けられて見上げると、サミュエルの麗しい姿があった。ノアを見つめ、愛しげに目を細めている。頬を指先でくすぐられて、ノアは少し首を竦めた。

 最近、サミュエルが触れてくる指先に、過剰に反応してしまいそうになっていけない。あまりにはしたないだろう。できれば人目があるところではやめてほしいのだけれど、嫌というわけではないから、強く拒否できないのが困ったものだ。

「私が代わりに返してこようか?」
「いえ、サミュエル様はお忙しいでしょう? 今日の放課後に行ってきます」

 熱くなった頬を滑る指先を捕まえ、ノアは首を振る。
 サミュエルは先ほどまでルーカスの元に行っていた。カールトン国との国交断絶に関わる問題解決のため、多くの令息令嬢と話す機会も多くなっている。本の返却のような些末事に、サミュエルの手を煩わせるつもりはなかった。

「そう。……でも、あまりハミルトンに懐かないようにね」
「サミュエル様……別に懐いたからって、何があるわけでもありませんよ?」
「ノアは可愛いから。余計な虫がわんさと湧いてくる。気をつけてもらわないと」

 サミュエルのわざとらしく顰めた面に、ノアはクスリと笑った。
 最近、サミュエルは独占欲をあからさまに示してくる。それは「愛している」という言葉の代わりのようで、ノアは心地よく受け止めていた。

「分かりました。――あ、サミュエル様、明日はご予定がありますか?」
「なんだい? デートのお誘いかな。私がそれを断るはずがないのは、ノアも知っているだろう?」
「忙しい時は、断ってもらいたいですけど。そうではなくて、結婚式の衣装の確認に行こうと思っているんです。サミュエル様も一緒に行きませんか?」

 ノアの隣に座ったサミュエルが、ふわりと微笑んだ。どうやら今は時間がある様子で、ノアの言葉を楽しそうに聞いて頷く。

「もちろん行くよ。デートだね」
「違いますよ」
「そうかい? デートでいいと思うんだけどね……」

 首を傾げたサミュエルが、スッと視線を逸らして立ち上がった。座ったばかりなのにと思いながら、ノアは名残惜しくサミュエルの姿を目で追う。

「――じゃあ、予定を空けるために、少し仕事を調整してくるよ」
「え……?」

 当然のようにノアの申し出を受け入れたけれど、サミュエルの予定は空いていたわけではなかったらしい。
 ノアの頬にキスを落とすと、サミュエルは身を翻して、講義室の隅にいた伯爵令嬢の元へ向かう。そこで談笑を始める二人を、ノアは遠くからじっと見つめた。

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