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163.早とちり
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「いや……本当に? そんな、まさか……」
マーティンは口元を手で押さえながら、混乱した様子で呟く。サミュエルが言っていることに何か偽りが隠されていないか、探っているようにも見えた。
(何か偽り、というか……そもそも天罰ではないんだけど。いや、ある意味、天罰であった方が、マーティン殿下からすると救われるのかな……)
ノアは頭の隅で考えながら、視線を逸らす。
この国と表立って対立しているように見えるようになったら、カールトン国にとっては痛手だろう。現時点で混乱の直中にいる彼らが、国際問題にまで対応できるわけがない。リンドル国とも問題が起きているようなので、これ以上は避けたいはずだ。
(――そうなると、僕たちに手を出すことは、控えることになるだろうな……)
ノアは問題がとりあえず片づきそうな気配を察して、ホッと息をつく。マーティンも自国での問題に対処するため、留学を切り上げることになるならば、さらに良い結果と言えるのだけれど――。
「私が言ったことに間違いはありませんよ。なんなら、お確かめになるといいでしょう。殿下の方で連絡する手段は持っておられますよね?」
「……あるが、相応に時間がかかるからな。サミュエルが言ったことが事実なら、俺が確かめるよりも先に、帰還命令が来そうだ」
涼しい顔でサミュエルが告げると、マーティンは苦々しい口調で呟き、ため息をついた。そして、サミュエルを恨めしげに見据える。
「――そうまでして、俺を追い出そうとしなくてもいいだろう。俺がどれだけ、この留学を楽しんでいたか分からないのか?」
「おっしゃる意味が分かりませんが。まぁ、留学と言っても、殿下にとってのお楽しみという意味しかないのでしたら、ご帰還されるのが王族としての義務というものでしょうね」
白々しく天罰への関与について惚けると、サミュエルは穏やかな表情で忠告した。帰還を勧める言葉の陰に、なんらかの思惑を感じる。でも、ノアにはそれが何か分からない。
マーティンは眉を顰め、サミュエルの言葉に考え込んだ様子だったけれど、すぐに諦めた様子で頭を緩く振る。
「……はぁ、これが俺への罰だとでも言うのか? だが、サミュエルが言うことはもっともだし、自国の情報さえ手元にない俺には、咎めるべき相手を明示することもできない。――つまりは、俺の負けということか」
「いつから誰と勝負していたのですか?」
つまらなそうなマーティンの呟きに、サミュエルが僅かに目を細める。ノアはその目に苛烈な憤りが過ったように見えたが、瞬きの内に消え去っていた。
「もちろん、サミュエルと。これでも、力をつけてきたつもりだったんだが、サミュエルには及ばなかったか。まぁ、それなりに楽しかったから、いいか。だいぶおっかなかったが」
享楽主義者らしく、軽い感想で現状を片づけて、マーティンが立ち上がる。既にマーティンの中では、ここでの話し合いは終わったことになっているようだ。
(あれ? でも、サミュエル様は、情報を出した後に、話があるようなことを言っていたような――?)
ノアはサミュエルの様子を窺う。
サミュエルはマーティンが立ち去ろうとしている様子を見ながら、微笑み黙っていた。
「――というわけで、おっつけやって来るだろう帰還命令に備えることにする。留学を切り上げることになるが、また来るつもりだから、よろしく」
マーティンはにこりと微笑み、対面に座っていたノアに手を伸ばしてくる。
ノアは別れの挨拶かと、握手のために手を伸ばしたが、マーティンの手に触れる前にサミュエルに掴まれて遠ざけられた。そのまま胸元に抱き込まれる形になり、驚いてしまう。
サミュエルがこれほど強引な仕草をするのは珍しい。
「もういらっしゃらなくていいんですよ」
「それは無理だ。――俺は留学の継続を諦めはしても、ノアを諦めたわけじゃない」
ハッと息を飲んで見つめた先で、マーティンがにやりと笑う。目には執着じみた熱情が浮かび、ノアを搦めとるように見つめていた。
体を震わせたノアをサミュエルの腕が力強く抱き締める。ノアの頭を撫でる手がマーティンの視線を遮ってくれた。
「そうですか。……どうぞ身の周りにお気を付けください」
「怖いな。まぁ、気をつけるとするよ」
意外なほど軽い口調で返したサミュエルに、マーティンは警戒したように呟き、スッと身を翻した。暫く後に、扉が開閉する音がする。
部屋に虚脱感が漂った。問題の原因が立ち去ったことに、多くの者が安堵したからだろう。
(でも、ちょっと中途半端な幕引きだったような……)
ノアはサミュエルの胸に手をついて、そっと身を離す。サミュエルの腕の中は心地いいけれど、その安心感にずっと包まれているわけにはいかない。
「――あの程度で済ますと思われるとは、心外だな……」
ぼそりと呟かれた声は、静かな部屋によく響いた。誰もがその声の主――サミュエルを凝視する。
「……だろうな。というか、アレは馬鹿じゃないか。話が終わったとは、一言も言っていないだろう」
いち早く答えたのはルーカスで、呆れた様子で肩をすくめている。アレとは、マーティンのことだろう。
ハミルトンとアダムは顔を見合わせてため息をついていた。この二人は多少問題に関わっているからと、ここまで話に巻き込んでしまったけれど、疲れた様子を見ると少し申し訳なくなる。
「とりあえず、お茶を淹れなおしましょう。――アダムさんたちも、どうぞお座りください」
ノアは慌てて準備しようとするアダムを片手を挙げて制止し、先ほどまでマーティンが座っていたソファへと促した。
マーティンは口元を手で押さえながら、混乱した様子で呟く。サミュエルが言っていることに何か偽りが隠されていないか、探っているようにも見えた。
(何か偽り、というか……そもそも天罰ではないんだけど。いや、ある意味、天罰であった方が、マーティン殿下からすると救われるのかな……)
ノアは頭の隅で考えながら、視線を逸らす。
この国と表立って対立しているように見えるようになったら、カールトン国にとっては痛手だろう。現時点で混乱の直中にいる彼らが、国際問題にまで対応できるわけがない。リンドル国とも問題が起きているようなので、これ以上は避けたいはずだ。
(――そうなると、僕たちに手を出すことは、控えることになるだろうな……)
ノアは問題がとりあえず片づきそうな気配を察して、ホッと息をつく。マーティンも自国での問題に対処するため、留学を切り上げることになるならば、さらに良い結果と言えるのだけれど――。
「私が言ったことに間違いはありませんよ。なんなら、お確かめになるといいでしょう。殿下の方で連絡する手段は持っておられますよね?」
「……あるが、相応に時間がかかるからな。サミュエルが言ったことが事実なら、俺が確かめるよりも先に、帰還命令が来そうだ」
涼しい顔でサミュエルが告げると、マーティンは苦々しい口調で呟き、ため息をついた。そして、サミュエルを恨めしげに見据える。
「――そうまでして、俺を追い出そうとしなくてもいいだろう。俺がどれだけ、この留学を楽しんでいたか分からないのか?」
「おっしゃる意味が分かりませんが。まぁ、留学と言っても、殿下にとってのお楽しみという意味しかないのでしたら、ご帰還されるのが王族としての義務というものでしょうね」
白々しく天罰への関与について惚けると、サミュエルは穏やかな表情で忠告した。帰還を勧める言葉の陰に、なんらかの思惑を感じる。でも、ノアにはそれが何か分からない。
マーティンは眉を顰め、サミュエルの言葉に考え込んだ様子だったけれど、すぐに諦めた様子で頭を緩く振る。
「……はぁ、これが俺への罰だとでも言うのか? だが、サミュエルが言うことはもっともだし、自国の情報さえ手元にない俺には、咎めるべき相手を明示することもできない。――つまりは、俺の負けということか」
「いつから誰と勝負していたのですか?」
つまらなそうなマーティンの呟きに、サミュエルが僅かに目を細める。ノアはその目に苛烈な憤りが過ったように見えたが、瞬きの内に消え去っていた。
「もちろん、サミュエルと。これでも、力をつけてきたつもりだったんだが、サミュエルには及ばなかったか。まぁ、それなりに楽しかったから、いいか。だいぶおっかなかったが」
享楽主義者らしく、軽い感想で現状を片づけて、マーティンが立ち上がる。既にマーティンの中では、ここでの話し合いは終わったことになっているようだ。
(あれ? でも、サミュエル様は、情報を出した後に、話があるようなことを言っていたような――?)
ノアはサミュエルの様子を窺う。
サミュエルはマーティンが立ち去ろうとしている様子を見ながら、微笑み黙っていた。
「――というわけで、おっつけやって来るだろう帰還命令に備えることにする。留学を切り上げることになるが、また来るつもりだから、よろしく」
マーティンはにこりと微笑み、対面に座っていたノアに手を伸ばしてくる。
ノアは別れの挨拶かと、握手のために手を伸ばしたが、マーティンの手に触れる前にサミュエルに掴まれて遠ざけられた。そのまま胸元に抱き込まれる形になり、驚いてしまう。
サミュエルがこれほど強引な仕草をするのは珍しい。
「もういらっしゃらなくていいんですよ」
「それは無理だ。――俺は留学の継続を諦めはしても、ノアを諦めたわけじゃない」
ハッと息を飲んで見つめた先で、マーティンがにやりと笑う。目には執着じみた熱情が浮かび、ノアを搦めとるように見つめていた。
体を震わせたノアをサミュエルの腕が力強く抱き締める。ノアの頭を撫でる手がマーティンの視線を遮ってくれた。
「そうですか。……どうぞ身の周りにお気を付けください」
「怖いな。まぁ、気をつけるとするよ」
意外なほど軽い口調で返したサミュエルに、マーティンは警戒したように呟き、スッと身を翻した。暫く後に、扉が開閉する音がする。
部屋に虚脱感が漂った。問題の原因が立ち去ったことに、多くの者が安堵したからだろう。
(でも、ちょっと中途半端な幕引きだったような……)
ノアはサミュエルの胸に手をついて、そっと身を離す。サミュエルの腕の中は心地いいけれど、その安心感にずっと包まれているわけにはいかない。
「――あの程度で済ますと思われるとは、心外だな……」
ぼそりと呟かれた声は、静かな部屋によく響いた。誰もがその声の主――サミュエルを凝視する。
「……だろうな。というか、アレは馬鹿じゃないか。話が終わったとは、一言も言っていないだろう」
いち早く答えたのはルーカスで、呆れた様子で肩をすくめている。アレとは、マーティンのことだろう。
ハミルトンとアダムは顔を見合わせてため息をついていた。この二人は多少問題に関わっているからと、ここまで話に巻き込んでしまったけれど、疲れた様子を見ると少し申し訳なくなる。
「とりあえず、お茶を淹れなおしましょう。――アダムさんたちも、どうぞお座りください」
ノアは慌てて準備しようとするアダムを片手を挙げて制止し、先ほどまでマーティンが座っていたソファへと促した。
103
◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
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