145 / 277
145.歓迎される
しおりを挟む
メモを片手に進むサミュエルの横を歩きながら、ノアはざわめきの気配を感じて目を細めた。
サミュエルが渡されたメモによると、マーティンとハミルトンが一触即発の気配を漂わせているらしい。
アダムと話をしに行ったはずのハミルトンが、なぜマーティンとそのような状態になっているのか。そして、マーティンはハミルトンに近づかないと誓約したはずなのに、その誓約が破られているのはなぜなのか。
「……本当にマーティン殿下とハミルトン殿が騒ぎになっておられるのでしょうか?」
「そうだね。思った以上に堪え性がなかったようだよ」
サミュエルは呆れように呟く。ノアはその様子をちらりと見て、苦笑した。マーティンとハミルトン、どちらに対する評価なのか分からない。どちらともなのかもしれない。
ちなみに代わりに行っていた司書業務は、ノアが申し訳なくなりながら離席を告げたところ、むしろ安堵したように受け入れられた。
どうやら他の司書にとっては、ノアが業務を行うことは精神的負担になっていたようだ。突然のことだったのだからさもありなん。後で謝罪の品を送らなければならない。
「……サミュエル様は、教師の中にも部下がいらっしゃるのですか?」
騒動の元まで辿り着くにはまだ時間がかかる。ノアはとりあえずマーティンに関連することに頭を悩ますのをやめ、サミュエルにメモを持ってきた教師について尋ねた。
学園の教師が貴族家の出身である割合が大きいことは知っていたけれど、グレイ公爵家に関わる教師については知らなかった。
「部下というより、親戚かな。うちの遠い分家筋だね。ただ学園での仕事を斡旋したのが私だから、色々手を貸してくれるんだよ」
「そうなのですね」
貴族位を継げない者は多い。それに対する十分な職場が用意されているわけでもない。だから、学園の教師という職は、熾烈な争いの末に手に入れられるものなのだ。
勝てるかどうかに大きく作用するのが、家の地位の高さなのは言うまでもない。
もちろん、本人の成績も重視されるけれど、少なくともこの学園内に平民と呼ばれる類の教師がいないことからも、貴族家からの推薦が重要なのは明らかだ。
「――あぁ、随分と大きな騒ぎに……」
サミュエルと話していたら、騒がしい集団が見えた。その中心にハミルトンたちがいるのだろう。騒がしすぎて、ハミルトンたちが何を話しているかは分からない。
「本当にね。ライアン大公の騒ぎの再来のようだよ」
足を止めることなく進むサミュエルが、少し疲れた様子でため息をつく。ノアも数ヶ月前の出来事を思い出していた。
噂好きな性質は貴族の多くが持つものだ。何か騒ぐ元があれば、良くも悪くも一気に盛り上がる。今のところ、かつてのように悪意に満ちた雰囲気ではないけれど、それもいつ変化するか分からない。
「――失礼」
「っ……」
サミュエルが穏やかな口調で声を掛けると、人混みの外側にいた学生が、ハッとした表情で振り返り、慌てて立ち退く。その反応は連鎖的に続き、人混みが割れて道ができた。騒ぎも次第に静まっていく。
不思議な緊張感が漂う中を、ノアはサミュエルの後について歩いた。本当は図書室に残るよう勧められていたけれど、ノアが断ったのだ。ここで尻込みするわけにはいかない。
「……やぁ、来てくれて嬉しいな」
ノアたちが人の輪の中心まで来たところで、マーティンから声を掛けられる。ノアが予想していたような険悪な様子はなく、少し疲れた様子だった。
マーティンに向かい合う形で立つハミルトンは静かな表情で、こちらも一触即発という雰囲気にはほど遠い。
(メモにあった感じとは違う……? まぁ、これだけ人に囲まれていたら、王族としても、教師としても、下手なことはできないか……。騒ぎをおさめに来たサミュエル様を歓迎するのも当然、かな……?)
ノアは周囲から向けられる視線を感じて苦く笑った。
興味深そうに輝く目。不思議そうな目。期待感に溢れた目。揶揄するような目。批判的な目。
集う誰もがこの状況に注目している。圧力さえ感じられた。
「そうですか。――この場は私が引き受ける。各自、良識に従って行動してほしい」
マーティンを一瞥したサミュエルは、すぐに視線を周囲に向ける。集っていた一人一人に目を合わせるように視線を巡らせながら放たれた言葉は、この騒ぎの解散を指示していた。
粛々と立ち去る者がいれば、友人に引きずられるようにして残念そうに去る者もいる。でも、サミュエルの指示という威力は絶大で、暫くすれば周囲から人の姿が消えた。ただ一人を除いて。
「――ルーカス殿下がいらっしゃらなくとも」
「そうだな。サミュエルに任せればいいようにしてくれるとは分かっていたが。……俺もそろそろ、現状に嫌気がさしているんだ」
堂々とした態度で歩み寄って来るルーカスは、サミュエルに声を掛けながらも、マーティンをジッと見据えていた。ピリッと空気が張り詰める。
マーティンが「まいったなぁ……」と呟きながら、両手を挙げてひらひらと振った。ふざけているような態度だけれど、少し弱った様子にも見える。
「――さて、場を引き受けると言ったのはサミュエルだ。俺は暫く、傍観させてもらおう」
ルーカスの促しに、サミュエルが頷く。
この場にいる全員の視線がマーティンに向かい、マーティンは再び「これは困った……」と弱音のような呟きを零した。
サミュエルが渡されたメモによると、マーティンとハミルトンが一触即発の気配を漂わせているらしい。
アダムと話をしに行ったはずのハミルトンが、なぜマーティンとそのような状態になっているのか。そして、マーティンはハミルトンに近づかないと誓約したはずなのに、その誓約が破られているのはなぜなのか。
「……本当にマーティン殿下とハミルトン殿が騒ぎになっておられるのでしょうか?」
「そうだね。思った以上に堪え性がなかったようだよ」
サミュエルは呆れように呟く。ノアはその様子をちらりと見て、苦笑した。マーティンとハミルトン、どちらに対する評価なのか分からない。どちらともなのかもしれない。
ちなみに代わりに行っていた司書業務は、ノアが申し訳なくなりながら離席を告げたところ、むしろ安堵したように受け入れられた。
どうやら他の司書にとっては、ノアが業務を行うことは精神的負担になっていたようだ。突然のことだったのだからさもありなん。後で謝罪の品を送らなければならない。
「……サミュエル様は、教師の中にも部下がいらっしゃるのですか?」
騒動の元まで辿り着くにはまだ時間がかかる。ノアはとりあえずマーティンに関連することに頭を悩ますのをやめ、サミュエルにメモを持ってきた教師について尋ねた。
学園の教師が貴族家の出身である割合が大きいことは知っていたけれど、グレイ公爵家に関わる教師については知らなかった。
「部下というより、親戚かな。うちの遠い分家筋だね。ただ学園での仕事を斡旋したのが私だから、色々手を貸してくれるんだよ」
「そうなのですね」
貴族位を継げない者は多い。それに対する十分な職場が用意されているわけでもない。だから、学園の教師という職は、熾烈な争いの末に手に入れられるものなのだ。
勝てるかどうかに大きく作用するのが、家の地位の高さなのは言うまでもない。
もちろん、本人の成績も重視されるけれど、少なくともこの学園内に平民と呼ばれる類の教師がいないことからも、貴族家からの推薦が重要なのは明らかだ。
「――あぁ、随分と大きな騒ぎに……」
サミュエルと話していたら、騒がしい集団が見えた。その中心にハミルトンたちがいるのだろう。騒がしすぎて、ハミルトンたちが何を話しているかは分からない。
「本当にね。ライアン大公の騒ぎの再来のようだよ」
足を止めることなく進むサミュエルが、少し疲れた様子でため息をつく。ノアも数ヶ月前の出来事を思い出していた。
噂好きな性質は貴族の多くが持つものだ。何か騒ぐ元があれば、良くも悪くも一気に盛り上がる。今のところ、かつてのように悪意に満ちた雰囲気ではないけれど、それもいつ変化するか分からない。
「――失礼」
「っ……」
サミュエルが穏やかな口調で声を掛けると、人混みの外側にいた学生が、ハッとした表情で振り返り、慌てて立ち退く。その反応は連鎖的に続き、人混みが割れて道ができた。騒ぎも次第に静まっていく。
不思議な緊張感が漂う中を、ノアはサミュエルの後について歩いた。本当は図書室に残るよう勧められていたけれど、ノアが断ったのだ。ここで尻込みするわけにはいかない。
「……やぁ、来てくれて嬉しいな」
ノアたちが人の輪の中心まで来たところで、マーティンから声を掛けられる。ノアが予想していたような険悪な様子はなく、少し疲れた様子だった。
マーティンに向かい合う形で立つハミルトンは静かな表情で、こちらも一触即発という雰囲気にはほど遠い。
(メモにあった感じとは違う……? まぁ、これだけ人に囲まれていたら、王族としても、教師としても、下手なことはできないか……。騒ぎをおさめに来たサミュエル様を歓迎するのも当然、かな……?)
ノアは周囲から向けられる視線を感じて苦く笑った。
興味深そうに輝く目。不思議そうな目。期待感に溢れた目。揶揄するような目。批判的な目。
集う誰もがこの状況に注目している。圧力さえ感じられた。
「そうですか。――この場は私が引き受ける。各自、良識に従って行動してほしい」
マーティンを一瞥したサミュエルは、すぐに視線を周囲に向ける。集っていた一人一人に目を合わせるように視線を巡らせながら放たれた言葉は、この騒ぎの解散を指示していた。
粛々と立ち去る者がいれば、友人に引きずられるようにして残念そうに去る者もいる。でも、サミュエルの指示という威力は絶大で、暫くすれば周囲から人の姿が消えた。ただ一人を除いて。
「――ルーカス殿下がいらっしゃらなくとも」
「そうだな。サミュエルに任せればいいようにしてくれるとは分かっていたが。……俺もそろそろ、現状に嫌気がさしているんだ」
堂々とした態度で歩み寄って来るルーカスは、サミュエルに声を掛けながらも、マーティンをジッと見据えていた。ピリッと空気が張り詰める。
マーティンが「まいったなぁ……」と呟きながら、両手を挙げてひらひらと振った。ふざけているような態度だけれど、少し弱った様子にも見える。
「――さて、場を引き受けると言ったのはサミュエルだ。俺は暫く、傍観させてもらおう」
ルーカスの促しに、サミュエルが頷く。
この場にいる全員の視線がマーティンに向かい、マーティンは再び「これは困った……」と弱音のような呟きを零した。
116
◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
お気に入りに追加
4,631
あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる