143 / 277
143.油断と誤解
しおりを挟む
ハミルトンの話に集中していたノアは、不意にコツッと何かがぶつかるような音に気づいて、ハミルトンの背後に視線を向けた。本棚が並ぶ少し先に、見覚えのある人がいる。
「あ、アダムさ――」
呼びかける声が途切れる。アダムが強張った顔で、身を翻して駆けて行ってしまったのだ。礼儀正しいアダムらしくない振る舞いだった。ノアに挨拶もせず、静けさを保つべき図書室で走るなんて。
「……え、アダム……?」
ぽつりと声が聞こえる。ハミルトンが蒼褪めた顔でアダムが立ち去った方を呆然と見つめていた。
ノアは何故ハミルトンがそんな顔をしているのか、一瞬理解しかねた。でも、状況を振り返ってすぐに気づく。
図書室だから小声で話していたこともあり、ノアたちの会話は遠くまで聞こえてなかったはずだ。アダムがハミルトンに気づき近づいてきていたなら、アダムはハミルトンの最後の言葉だけを聞いた可能性がある。
(『あなたを愛しています』って、絶対誤解された……!)
ノアもザッと血の気が引くような感覚になって、無意識の内にハミルトンの腕を叩いていた。
「っ、は、早く、アダムさんのところへっ!」
「で、ですが、今は職務中で――」
「そういう場合ではないでしょう! 愛する人が傷ついているのかもしれないんですよ!? 早く傍に駆けつけて、誤解をといてください! ほら、仕事は代わりにしておきますから!」
ノアは小声で叱りつけながら、ハミルトンの腕に抱えられていた本を奪い取る。ずっしりとした重さに揺らぎそうになる体をグッと堪え、ハミルトンを見据えた。
アダムにハミルトンとの関係を疑われたことを気にするよりも、アダムの傷ついた心を思って焦る。ついノアらしくない、乱暴な仕草になってしまった。
「……っ、すみません」
固まっていたハミルトンに再び行動を促すより先に、弾かれたようにハミルトンが駆けていく。司書としては失格の騒々しい態度だったけれど、今は人目を気にする余裕はないようだ。
何事が起ったのかとざわめく者たちがいたので、ノアはにこりと微笑みかける。誰もが頬を赤くしながらぎこちなく笑みを返してきた。別の意味で騒がしくなってしまった気がするけれど、これで誤魔化せたなら重畳である。
「重い……」
少し精神的な余裕ができたら、急に本の重さを実感した。アダムのことは心配だけれど、今は奪い取った仕事をまっとうすべきだろう。
幸か不幸か、残っている本はどれも辞書の類で、ノアは戻すべき場所を把握していた。一冊一冊が分厚いので、ノアの腕が酷使されることになっているのだけれど。
「大丈夫かなぁ……」
辞書が収まる棚へと歩きながら呟く。アダムの強張った顔が脳裏に浮かんだ。
そこでふと新たなことに気づく。兄弟関係にある者が誰かに愛を囁いているところを見て、あれほど動揺を示す理由とは――。
「もしかして、アダムさんも……? いや、お兄さんに横恋慕疑惑が生じたからかもしれない。でも、それなら、アダムさんは僕を守るために行動しそうでもあるけど――」
思わずぶつぶつと呟きながら考え込んでしまう。アダムの態度は、ハミルトンに恋情を抱いていたことを示しているように思えるけれど、断言はできない。
「横恋慕疑惑とノアを守ることの関連性って、なに?」
「っ!」
不意に背後から声が掛かり、心臓が跳ねた。慌てて振り返ると、サミュエルがジッとノアを見つめている。眉が寄せられ、不機嫌そうに見えた。
近くまで人が来ているなんて全く気付かなくて、ノアは自分の迂闊さを反省した。あまり人がいないとはいえ、言葉にしてはいけないことを呟いていたのだ。
「サミュエル様、いつからこちらに……?」
「ノアが図書室に行くと言っていたから、迎えに来たんだよ。途中で、走り去るアダム殿と、それを追いかけるハミルトンを見かけたから、マーティン殿下が何かしでかしたのではないかと思って、急いで来たんだけど……幸い、いらっしゃらないようだね?」
探るような目が向けられていた。ノアの腕に抱えられた本をさりげなく取り上げるサミュエルは相変わらず優しい。でも、不機嫌そうな雰囲気は薄れることがなかった。
絶対にノアの独り言を聞かれて、誤解されている。
「あの、サミュエル様、全て誤解なんです」
「全て? そもそも、私は何が起きたか全く分からないんだけど」
思わずノアがサミュエルの腕に縋って訴えると、サミュエルの表情が僅かに和らぐ。その変化にノアは少しホッとした。
サミュエルが不思議そうに首を傾げつつも、本を持つのと反対の手でノアの背中を押す。それに促されて歩き出しながら、ノアはぽつりぽつりと話をした。
「ハミルトン殿に偶然会って、サムシングフォーの話を聞いていたんです」
「ああ……その本に書かれているサムシングブルーに関連しての話だね」
「サミュエル様もこの本を読まれたことがあるのですか?」
「うん。色の文化はこの国の様々な儀式と深く関連しているからね。その本は昔城で受けた授業の教材の一つだったんだよ」
「そうなんですね」
城で受けた授業というなら、サミュエルがライアンの婚約者だった頃のものだろう。こういうことまで学ぶのかと少し興味が湧いた。
「それより、話の続きは?」
「あ、そうでした。――それで、サムシングブルーの話になって、ハミルトン殿がその説明をしてくださったんです。その説明の中で、サムシングブルーは『あなたを愛しています』という誠実な愛を示すもの、というのがあって……」
そこまで話したところで、サミュエルは全てを把握した様子だった。呆れた表情になり、ため息をついている。
「なるほど。彼が下手を打ったわけだね。……間抜けの大馬鹿者だ」
サミュエルが呟くように放った罵りを、ノアは否定できなくて苦笑するしかなかった。
「あ、アダムさ――」
呼びかける声が途切れる。アダムが強張った顔で、身を翻して駆けて行ってしまったのだ。礼儀正しいアダムらしくない振る舞いだった。ノアに挨拶もせず、静けさを保つべき図書室で走るなんて。
「……え、アダム……?」
ぽつりと声が聞こえる。ハミルトンが蒼褪めた顔でアダムが立ち去った方を呆然と見つめていた。
ノアは何故ハミルトンがそんな顔をしているのか、一瞬理解しかねた。でも、状況を振り返ってすぐに気づく。
図書室だから小声で話していたこともあり、ノアたちの会話は遠くまで聞こえてなかったはずだ。アダムがハミルトンに気づき近づいてきていたなら、アダムはハミルトンの最後の言葉だけを聞いた可能性がある。
(『あなたを愛しています』って、絶対誤解された……!)
ノアもザッと血の気が引くような感覚になって、無意識の内にハミルトンの腕を叩いていた。
「っ、は、早く、アダムさんのところへっ!」
「で、ですが、今は職務中で――」
「そういう場合ではないでしょう! 愛する人が傷ついているのかもしれないんですよ!? 早く傍に駆けつけて、誤解をといてください! ほら、仕事は代わりにしておきますから!」
ノアは小声で叱りつけながら、ハミルトンの腕に抱えられていた本を奪い取る。ずっしりとした重さに揺らぎそうになる体をグッと堪え、ハミルトンを見据えた。
アダムにハミルトンとの関係を疑われたことを気にするよりも、アダムの傷ついた心を思って焦る。ついノアらしくない、乱暴な仕草になってしまった。
「……っ、すみません」
固まっていたハミルトンに再び行動を促すより先に、弾かれたようにハミルトンが駆けていく。司書としては失格の騒々しい態度だったけれど、今は人目を気にする余裕はないようだ。
何事が起ったのかとざわめく者たちがいたので、ノアはにこりと微笑みかける。誰もが頬を赤くしながらぎこちなく笑みを返してきた。別の意味で騒がしくなってしまった気がするけれど、これで誤魔化せたなら重畳である。
「重い……」
少し精神的な余裕ができたら、急に本の重さを実感した。アダムのことは心配だけれど、今は奪い取った仕事をまっとうすべきだろう。
幸か不幸か、残っている本はどれも辞書の類で、ノアは戻すべき場所を把握していた。一冊一冊が分厚いので、ノアの腕が酷使されることになっているのだけれど。
「大丈夫かなぁ……」
辞書が収まる棚へと歩きながら呟く。アダムの強張った顔が脳裏に浮かんだ。
そこでふと新たなことに気づく。兄弟関係にある者が誰かに愛を囁いているところを見て、あれほど動揺を示す理由とは――。
「もしかして、アダムさんも……? いや、お兄さんに横恋慕疑惑が生じたからかもしれない。でも、それなら、アダムさんは僕を守るために行動しそうでもあるけど――」
思わずぶつぶつと呟きながら考え込んでしまう。アダムの態度は、ハミルトンに恋情を抱いていたことを示しているように思えるけれど、断言はできない。
「横恋慕疑惑とノアを守ることの関連性って、なに?」
「っ!」
不意に背後から声が掛かり、心臓が跳ねた。慌てて振り返ると、サミュエルがジッとノアを見つめている。眉が寄せられ、不機嫌そうに見えた。
近くまで人が来ているなんて全く気付かなくて、ノアは自分の迂闊さを反省した。あまり人がいないとはいえ、言葉にしてはいけないことを呟いていたのだ。
「サミュエル様、いつからこちらに……?」
「ノアが図書室に行くと言っていたから、迎えに来たんだよ。途中で、走り去るアダム殿と、それを追いかけるハミルトンを見かけたから、マーティン殿下が何かしでかしたのではないかと思って、急いで来たんだけど……幸い、いらっしゃらないようだね?」
探るような目が向けられていた。ノアの腕に抱えられた本をさりげなく取り上げるサミュエルは相変わらず優しい。でも、不機嫌そうな雰囲気は薄れることがなかった。
絶対にノアの独り言を聞かれて、誤解されている。
「あの、サミュエル様、全て誤解なんです」
「全て? そもそも、私は何が起きたか全く分からないんだけど」
思わずノアがサミュエルの腕に縋って訴えると、サミュエルの表情が僅かに和らぐ。その変化にノアは少しホッとした。
サミュエルが不思議そうに首を傾げつつも、本を持つのと反対の手でノアの背中を押す。それに促されて歩き出しながら、ノアはぽつりぽつりと話をした。
「ハミルトン殿に偶然会って、サムシングフォーの話を聞いていたんです」
「ああ……その本に書かれているサムシングブルーに関連しての話だね」
「サミュエル様もこの本を読まれたことがあるのですか?」
「うん。色の文化はこの国の様々な儀式と深く関連しているからね。その本は昔城で受けた授業の教材の一つだったんだよ」
「そうなんですね」
城で受けた授業というなら、サミュエルがライアンの婚約者だった頃のものだろう。こういうことまで学ぶのかと少し興味が湧いた。
「それより、話の続きは?」
「あ、そうでした。――それで、サムシングブルーの話になって、ハミルトン殿がその説明をしてくださったんです。その説明の中で、サムシングブルーは『あなたを愛しています』という誠実な愛を示すもの、というのがあって……」
そこまで話したところで、サミュエルは全てを把握した様子だった。呆れた表情になり、ため息をついている。
「なるほど。彼が下手を打ったわけだね。……間抜けの大馬鹿者だ」
サミュエルが呟くように放った罵りを、ノアは否定できなくて苦笑するしかなかった。
124
◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
お気に入りに追加
4,631
あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
勇者召喚に巻き込まれて追放されたのに、どうして王子のお前がついてくる。
イコ
BL
魔族と戦争を繰り広げている王国は、人材不足のために勇者召喚を行なった。
力ある勇者たちは優遇され、巻き込まれた主人公は追放される。
だが、そんな主人公に優しく声をかけてくれたのは、召喚した側の第五王子様だった。
イケメンの王子様の領地で一緒に領地経営? えっ、男女どっちでも結婚ができる?
頼りになる俺を手放したくないから結婚してほしい?
俺、男と結婚するのか?
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる