内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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143.油断と誤解

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 ハミルトンの話に集中していたノアは、不意にコツッと何かがぶつかるような音に気づいて、ハミルトンの背後に視線を向けた。本棚が並ぶ少し先に、見覚えのある人がいる。

「あ、アダムさ――」

 呼びかける声が途切れる。アダムが強張った顔で、身を翻して駆けて行ってしまったのだ。礼儀正しいアダムらしくない振る舞いだった。ノアに挨拶もせず、静けさを保つべき図書室で走るなんて。

「……え、アダム……?」

 ぽつりと声が聞こえる。ハミルトンが蒼褪めた顔でアダムが立ち去った方を呆然と見つめていた。
 ノアは何故ハミルトンがそんな顔をしているのか、一瞬理解しかねた。でも、状況を振り返ってすぐに気づく。

 図書室だから小声で話していたこともあり、ノアたちの会話は遠くまで聞こえてなかったはずだ。アダムがハミルトンに気づき近づいてきていたなら、アダムはハミルトンの最後の言葉だけを聞いた可能性がある。

(『あなたを愛しています』って、絶対誤解された……!)

 ノアもザッと血の気が引くような感覚になって、無意識の内にハミルトンの腕を叩いていた。

「っ、は、早く、アダムさんのところへっ!」
「で、ですが、今は職務中で――」
「そういう場合ではないでしょう! 愛する人が傷ついているのかもしれないんですよ!? 早く傍に駆けつけて、誤解をといてください! ほら、仕事は代わりにしておきますから!」

 ノアは小声で叱りつけながら、ハミルトンの腕に抱えられていた本を奪い取る。ずっしりとした重さに揺らぎそうになる体をグッと堪え、ハミルトンを見据えた。
 アダムにハミルトンとの関係を疑われたことを気にするよりも、アダムの傷ついた心を思って焦る。ついノアらしくない、乱暴な仕草になってしまった。

「……っ、すみません」

 固まっていたハミルトンに再び行動を促すより先に、弾かれたようにハミルトンが駆けていく。司書としては失格の騒々しい態度だったけれど、今は人目を気にする余裕はないようだ。

 何事が起ったのかとざわめく者たちがいたので、ノアはにこりと微笑みかける。誰もが頬を赤くしながらぎこちなく笑みを返してきた。別の意味で騒がしくなってしまった気がするけれど、これで誤魔化せたなら重畳である。

「重い……」

 少し精神的な余裕ができたら、急に本の重さを実感した。アダムのことは心配だけれど、今は奪い取った仕事をまっとうすべきだろう。
 幸か不幸か、残っている本はどれも辞書の類で、ノアは戻すべき場所を把握していた。一冊一冊が分厚いので、ノアの腕が酷使されることになっているのだけれど。

「大丈夫かなぁ……」

 辞書が収まる棚へと歩きながら呟く。アダムの強張った顔が脳裏に浮かんだ。
 そこでふと新たなことに気づく。兄弟関係にある者が誰かに愛を囁いているところを見て、あれほど動揺を示す理由とは――。

「もしかして、アダムさんも……? いや、お兄さんに横恋慕疑惑が生じたからかもしれない。でも、それなら、アダムさんは僕を守るために行動しそうでもあるけど――」

 思わずぶつぶつと呟きながら考え込んでしまう。アダムの態度は、ハミルトンに恋情を抱いていたことを示しているように思えるけれど、断言はできない。

「横恋慕疑惑とノアを守ることの関連性って、なに?」
「っ!」

 不意に背後から声が掛かり、心臓が跳ねた。慌てて振り返ると、サミュエルがジッとノアを見つめている。眉が寄せられ、不機嫌そうに見えた。
 近くまで人が来ているなんて全く気付かなくて、ノアは自分の迂闊さを反省した。あまり人がいないとはいえ、言葉にしてはいけないことを呟いていたのだ。

「サミュエル様、いつからこちらに……?」
「ノアが図書室に行くと言っていたから、迎えに来たんだよ。途中で、走り去るアダム殿と、それを追いかけるハミルトンを見かけたから、マーティン殿下が何かしでかしたのではないかと思って、急いで来たんだけど……幸い、いらっしゃらないようだね?」

 探るような目が向けられていた。ノアの腕に抱えられた本をさりげなく取り上げるサミュエルは相変わらず優しい。でも、不機嫌そうな雰囲気は薄れることがなかった。
 絶対にノアの独り言を聞かれて、誤解されている。

「あの、サミュエル様、全て誤解なんです」
「全て? そもそも、私は何が起きたか全く分からないんだけど」

 思わずノアがサミュエルの腕に縋って訴えると、サミュエルの表情が僅かに和らぐ。その変化にノアは少しホッとした。
 サミュエルが不思議そうに首を傾げつつも、本を持つのと反対の手でノアの背中を押す。それに促されて歩き出しながら、ノアはぽつりぽつりと話をした。

「ハミルトン殿に偶然会って、サムシングフォーの話を聞いていたんです」
「ああ……その本に書かれているサムシングブルーに関連しての話だね」
「サミュエル様もこの本を読まれたことがあるのですか?」
「うん。色の文化はこの国の様々な儀式と深く関連しているからね。その本は昔城で受けた授業の教材の一つだったんだよ」
「そうなんですね」

 城で受けた授業というなら、サミュエルがライアンの婚約者だった頃のものだろう。こういうことまで学ぶのかと少し興味が湧いた。

「それより、話の続きは?」
「あ、そうでした。――それで、サムシングブルーの話になって、ハミルトン殿がその説明をしてくださったんです。その説明の中で、サムシングブルーは『あなたを愛しています』という誠実な愛を示すもの、というのがあって……」

 そこまで話したところで、サミュエルは全てを把握した様子だった。呆れた表情になり、ため息をついている。

「なるほど。彼が下手を打ったわけだね。……間抜けの大馬鹿者だ」

 サミュエルが呟くように放った罵りを、ノアは否定できなくて苦笑するしかなかった。

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