内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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141.視線

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 学園ではマーティンに関しての騒動は起きなかった。でも、ノアが困ってしまったのは、次から次へと挨拶しに来る者たちへの対応だ。

 学園に到着した時からノアはサミュエルと共に数多の視線を向けられ、祝いの言葉を掛けられた。それは喜ばしいことなのだけれど、続けば疲労が溜まるもので。午前中はサミュエルが傍にいたけれど、午後からはルーカスの元へと向かったので、さらに対応に苦慮することになった。

「ノア様、お二人は恋愛でのご婚約だと噂を聞いたのですが、本当ですか? 詳しいなれそめを教えていただけませんか」
「私も知りたいですわ。恋愛で結ばれるなんて、まるで物語のようで憧れますもの」

 浮かれた雰囲気にのせられたのか、普段は遠慮がちな者たちまで、嬉々とした表情で詰め寄ってくる。ノアは困りきって曖昧な笑みを返し、言葉を選んだ。

 彼らは悪意があるわけではないのだ。基本的に政略結婚である貴族たちにとって、恋愛結婚は物語の中の存在なのだから。
 政略結婚に不満はないとはいえ、憧れる気持ちさえもなくしているわけではない。むしろ、自由恋愛をする者たちよりも、恋愛に対する憧憬の念は強いだろう。

 そんな状態で、彼らの理想とするカップルが傍にいて、婚約が公表されたことでようやく公で話を聞けるようになったのだ。浮かれて我慢が効かなくなっても無理はない。

 ノアはそんな彼らの心情を理解できるから、どう話すか迷っているのだ。さらに問題なのは、彼らに囲まれるノアを、マーティンが興味深さそうに眺めていること。
 サミュエルと交わした誓約を守り、ノアに近づいてくるつもりはなさそうだけれど、見られているだけで気になってしまうのは仕方ない。

(とりあえず、マーティン殿下のことはどうしようもないから置いておいて……。僕とサミュエル様の関係はどう説明したらいいんだったかなぁ。ライアン大公閣下の騒動の時から親しくしていたとは話さない方が良かったはず……)

 あくまでもライアン側に非があるとして片づけられた騒動だった。ここでノアが関わっていたと知られると、余計な噂が生まれる可能性があるのだ。それに、こうしたなれそめはあまり公言するべきではないだろう。なにより話すのは恥ずかしい。

「……恋愛での婚約というよりも、婚約を結んで恋愛に至ったという方が正しいですよ。そのような例は他の方でもありますよね?」
「そうだったのですね。私はてっきり……でも、お二人はとてもお似合いですわ!」
「確かに婚約を結んでから、お互いのことを知る過程で芽生える情はありますね。ノア様たちの場合は、それが恋情だったということですね」

 ノアの内容をぼかした返事に、聞く者たちの熱が少し下がったのが分かった。物語通りにはいかないのだと、少し残念そうにしながらも、改めて祝いの言葉を向けてくれる。

 これ以上追究されることはなさそうだと、ノアがホッと息を吐いたところで、再び強い視線を感じた気がした。
 ノアを囲みながらも会話で盛り上がる令息令嬢たちの間から、そっと視線の主を窺う。

 マーティンがジッとノアたちを見つめていた。普段の快活な雰囲気が薄れ、何か重くドロッとした感情が目に宿っているように思える。
 ノアは背筋が冷えるような心地がして、すぐに視線を逸らした。でも、どうにも気になって、会話に相槌を打つふりをしながら再びマーティンを窺う。
 マーティンは何事もなかったかのように、周囲の者と楽しげに会話をしていた。

(……見間違え、だったのかな……? でも――)

 一瞬の出来事だったから、自分の目を疑った。マーティンにあまり良い感情を抱いていないから、それが反映されて思い違いをしたのだとも思った。
 でも、どうしてもマーティンの目が忘れられない。こうして普段とは違った雰囲気のマーティンに見つめられていたことが、初めてではなかったことも思い出してしまう。

「――ノア?」
「っ……サミュエル様、おかえりなさいませ」

 気づいた時にはサミュエルが傍に来ていた。不思議そうにノアの顔を覗き込むサミュエルの目は、ノアの異常を探っているようだ。
 自分が感じたことをこの場で話すことはできないため、ノアは曖昧に微笑みを返す。ただ縋りたい気分は隠せなくて、そっとサミュエルに寄り添った。

「……ノアにおかえりと言われるのは嬉しいね」

 サミュエルがノアを抱き締める。周りの者たちが少し興奮した様子であることに気づかない振りをして、ノアもサミュエルに抱きついた。
 マーティンからノアの姿は見えない。サミュエルがちょうど間に立つ位置に移動してくれたから。

「……普通の挨拶の、何が嬉しいのですか?」

 サミュエルが明るく穏やかな声音で話しかけてくれるのは、ノアを落ち着けるためだろう。それに甘えて、ノアは会話を続けた。

「だって、一緒に住んでいるような挨拶だろう?」
「……ここは学園ですが」
「分かっているけど、結婚生活の先取りのようで嬉しくなったら悪いかい?」

 ノアの指摘にサミュエルが少し拗ねたように返す。周りからも「確かに」「良き夫婦という感じでしたわね」などと、サミュエルに忖度するような声が溢れていた。
 ノアはサミュエルと目を合わせる。軽くウインクされて、ノアは思わずふふっと笑ってしまった。緊張していた心が緩んでいく。

「悪くはないですね。では、改めて――おかえりなさいませ、あなた」

 一瞬でサミュエルが真顔になった。冗談で夫婦らしく言ってみたのだけれど、あまり好ましくなかったのだろうか。
 騒いでいた者たちもピタリと口を閉ざしていて、ノアはとんでもないことをしてしまったような気持ちになる。

「……っ、ただいま、私のノア」
「ん!?」

 唇を塞がれて、ノアは目を見開いた。一拍おいて響いた歓声に意識を向ける余裕はない。サミュエルのこの行動を招いたのがノアの行動によるものならば、とんでもないことをしてしまったと思ったのは間違いではなかったかもしれない。

 ノアはサミュエルの制止を試みていて、いつの間にかマーティンの眼差しのことはすっかり忘れていた。

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