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110.マーティンのこだわり
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「マーティン殿下の弟君というと……」
ノアの視線に少し焦った様子で、サミュエルが記憶を辿っている。
それに対して、マーティンは「本気で覚えていないのか……?」と首を傾げていた。そのマーティンの表情に何故か喜色が滲んでいるように見えて、ノアは不思議に思う。
「――ミカエルだ」
「……あぁ、ミカエル殿下」
マーティンが出した名前に、サミュエルの声が冷えた。
ノアは『サミュエルが泣かせた』と聞いた時からなんとなく悟っていたけれど、ミカエルという王子はサミュエルにたいそう嫌われているらしい。それはとても珍しいことだ。
サミュエルは他人に無関心な性質が強いためか、人を嫌うことをほとんどしない。嫌いになるほど他人を認識していないのだ。
それでは、ミカエルはいったい何をして、サミュエルに嫌われたというのか。
確かミカエルはカールトン国の第四王子。王妃の子であるマーティンとは違い、側室の子だったはずだ。マーティンとミカエルは同い年だと聞いたことがある気がする。
「――すっかり存在を記憶から消していましたね」
「……くっ……はっはっはっ!」
サミュエルがシレッと告げた言葉に、マーティンが一拍おいて破顔した。笑い声を抑えることさえすぐにやめ、心底楽しそうに腹を抱える。自分の弟への酷い言葉に対する兄の反応ではない。
ノアは、マーティンがミカエルに兄弟という意識をあまり抱いていないのを察した。同い年なのだから違和感はない。
「……視線が集まっていますよ」
一応注意してみたノアに、マーティンが「悪い、悪い」と笑い声混じりに返す。視線が集まっているのは最初からだけれど、王侯貴族が公衆の場で大きな笑い声を上げるのは褒められたことではないので、ノアは暗にそれを咎めたのだ。
「はぁー……笑った。久々に爽快な気分だ」
「そうですか。そろそろ私はノアとの時間を過ごしたいのですが、まだお話はありますか?」
サミュエルの口調が少し刺々しい。思い出したミカエルという存在に、サミュエルの心が荒立っているのが感じられた。
ノアは少し心配になり、サミュエルに視線を向ける。すぐにそれに気づいたサミュエルが、表情を和らげて微笑み返してくれたのでホッとした。
「ミカエルへの苛立ちを俺に向けないでくれよ。俺だってあいつは嫌いだ。まぁ、サミュエルに泣かされて、すっかり意気消沈して大人しくなったから、昔ほど嫌いなわけでもないが」
「そうですか。その存在はすぐ忘れる予定なので、話は終わりでいいですか?」
「あいつのことは忘れてくれて構わない。……俺が聞きたいのは、あの時のようなサミュエルの意気はどこにいったのかってことだからな」
マーティンがサミュエルを見据えた。再び不満が募った様子だ。
サミュエルが面倒くさそうにため息をつく。
「マーティン殿下がなぜそんなことにこだわっておられるのかよく分かりませんが、あの方への対応は、私が大切にしているものを穢されたからですよ。王家にそのような落ち度はありませんし、正直婚約解消について王家に不満を抱いたこともありません。あの方に対してと同じようなことを、私が王家に対して行う必要性は皆無です」
サミュエルの答えにマーティンがきょとんと目を丸くした。
「……それじゃあ、王配になれなくなったことも、名誉を傷つけられたことも、サミュエルは全く気にしていない、と?」
「ええ。むしろ、なぜ私がその程度のことを気にしなければならないのですか?」
疑わしげに目を細め尋ねるマーティンに対し、サミュエルが当然の理を説くように尋ね返す。その言葉は些か高慢にも聞こえて、ノアは少し驚いてしまった。聞く人によっては、サミュエルが非難されかねない。
ノアは密かに心配して、そっと周囲の者の様子を窺う。今のところサミュエルに対して反感を抱いている者はいないようだ。
「……ふっ、そうか……そうか、サミュエルにとっては、その程度と言えるようなことだったのか……!」
マーティンの表情が変わった。惚れ惚れとしているような目をサミュエルに向け、機嫌良さそうに笑っている。胸につかえていたものがとれたような、晴れ晴れとした顔だ。
ノアは何がそこまでマーティンの心を動かしたのか分からず、困惑するしかない。
「……なんですか。マーティン殿下はもしかして私を心配していたのですか?」
「いやいや、そんな滅相もない。ただ、サミュエルの自由を阻害するほどのものがあるなら、手を出してみるのも面白いと思っただけだ」
「お節介でさえなく、ただの迷惑ですね」
愉快げに笑うマーティンに、サミュエルが呆れを含んだ冷たい目を向け、バッサリと断じる。
それに対してもマーティンは楽しそうに笑っているので、ノアは少しマーティンのことが心配になった。咎められて喜ぶとは、危うい性質な気がする。
でも、なんとなくマーティンの得体の知れなさが薄れた気がして、ノアは少しホッとした。問題が解決へ向かう兆しが見えたように思える。
僅かに表情を和らげたノアの前では、マーティンとサミュエルが、お互いを探るように視線を交わしていた。
ノアの視線に少し焦った様子で、サミュエルが記憶を辿っている。
それに対して、マーティンは「本気で覚えていないのか……?」と首を傾げていた。そのマーティンの表情に何故か喜色が滲んでいるように見えて、ノアは不思議に思う。
「――ミカエルだ」
「……あぁ、ミカエル殿下」
マーティンが出した名前に、サミュエルの声が冷えた。
ノアは『サミュエルが泣かせた』と聞いた時からなんとなく悟っていたけれど、ミカエルという王子はサミュエルにたいそう嫌われているらしい。それはとても珍しいことだ。
サミュエルは他人に無関心な性質が強いためか、人を嫌うことをほとんどしない。嫌いになるほど他人を認識していないのだ。
それでは、ミカエルはいったい何をして、サミュエルに嫌われたというのか。
確かミカエルはカールトン国の第四王子。王妃の子であるマーティンとは違い、側室の子だったはずだ。マーティンとミカエルは同い年だと聞いたことがある気がする。
「――すっかり存在を記憶から消していましたね」
「……くっ……はっはっはっ!」
サミュエルがシレッと告げた言葉に、マーティンが一拍おいて破顔した。笑い声を抑えることさえすぐにやめ、心底楽しそうに腹を抱える。自分の弟への酷い言葉に対する兄の反応ではない。
ノアは、マーティンがミカエルに兄弟という意識をあまり抱いていないのを察した。同い年なのだから違和感はない。
「……視線が集まっていますよ」
一応注意してみたノアに、マーティンが「悪い、悪い」と笑い声混じりに返す。視線が集まっているのは最初からだけれど、王侯貴族が公衆の場で大きな笑い声を上げるのは褒められたことではないので、ノアは暗にそれを咎めたのだ。
「はぁー……笑った。久々に爽快な気分だ」
「そうですか。そろそろ私はノアとの時間を過ごしたいのですが、まだお話はありますか?」
サミュエルの口調が少し刺々しい。思い出したミカエルという存在に、サミュエルの心が荒立っているのが感じられた。
ノアは少し心配になり、サミュエルに視線を向ける。すぐにそれに気づいたサミュエルが、表情を和らげて微笑み返してくれたのでホッとした。
「ミカエルへの苛立ちを俺に向けないでくれよ。俺だってあいつは嫌いだ。まぁ、サミュエルに泣かされて、すっかり意気消沈して大人しくなったから、昔ほど嫌いなわけでもないが」
「そうですか。その存在はすぐ忘れる予定なので、話は終わりでいいですか?」
「あいつのことは忘れてくれて構わない。……俺が聞きたいのは、あの時のようなサミュエルの意気はどこにいったのかってことだからな」
マーティンがサミュエルを見据えた。再び不満が募った様子だ。
サミュエルが面倒くさそうにため息をつく。
「マーティン殿下がなぜそんなことにこだわっておられるのかよく分かりませんが、あの方への対応は、私が大切にしているものを穢されたからですよ。王家にそのような落ち度はありませんし、正直婚約解消について王家に不満を抱いたこともありません。あの方に対してと同じようなことを、私が王家に対して行う必要性は皆無です」
サミュエルの答えにマーティンがきょとんと目を丸くした。
「……それじゃあ、王配になれなくなったことも、名誉を傷つけられたことも、サミュエルは全く気にしていない、と?」
「ええ。むしろ、なぜ私がその程度のことを気にしなければならないのですか?」
疑わしげに目を細め尋ねるマーティンに対し、サミュエルが当然の理を説くように尋ね返す。その言葉は些か高慢にも聞こえて、ノアは少し驚いてしまった。聞く人によっては、サミュエルが非難されかねない。
ノアは密かに心配して、そっと周囲の者の様子を窺う。今のところサミュエルに対して反感を抱いている者はいないようだ。
「……ふっ、そうか……そうか、サミュエルにとっては、その程度と言えるようなことだったのか……!」
マーティンの表情が変わった。惚れ惚れとしているような目をサミュエルに向け、機嫌良さそうに笑っている。胸につかえていたものがとれたような、晴れ晴れとした顔だ。
ノアは何がそこまでマーティンの心を動かしたのか分からず、困惑するしかない。
「……なんですか。マーティン殿下はもしかして私を心配していたのですか?」
「いやいや、そんな滅相もない。ただ、サミュエルの自由を阻害するほどのものがあるなら、手を出してみるのも面白いと思っただけだ」
「お節介でさえなく、ただの迷惑ですね」
愉快げに笑うマーティンに、サミュエルが呆れを含んだ冷たい目を向け、バッサリと断じる。
それに対してもマーティンは楽しそうに笑っているので、ノアは少しマーティンのことが心配になった。咎められて喜ぶとは、危うい性質な気がする。
でも、なんとなくマーティンの得体の知れなさが薄れた気がして、ノアは少しホッとした。問題が解決へ向かう兆しが見えたように思える。
僅かに表情を和らげたノアの前では、マーティンとサミュエルが、お互いを探るように視線を交わしていた。
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