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90.深まる理解
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観光したり、仕事の話をしたりと充実した日々を過ごしていたら、サミュエルがランドロフ侯爵領にいられる期限があっという間に来てしまった。ノアもあと数日で王都に戻るとはいえ、またしばしの別れとなる。
「一緒に帰らないかい?」
「でも、まだ片づけたい仕事がありますし……」
明日にはサミュエルが王都に帰ってしまう。その寂しさで、夕食後も長々とティールームで寄り添っていると、メイドが微笑ましげな表情で菓子やハーブティーを用意してくれた。
ランドロフ侯爵邸の使用人たちは、サミュエルのノア溺愛振りに最初は戸惑っていたものの、今では慣れた様子で対応するようになっていた。「結婚後の生活の予行練習ですね!」とは、今ハーブティーを用意してくれたメイドの言葉である。ノアはなんと返事をするべきか迷って、笑みで流してしまった。
「一緒に帰れば、馬車の中でも過ごせるのに。宿で一泊するのもきっと楽しいよ。どうせなら、ちょっと遠回りして、温泉地で名高いソリスヤ子爵領で二泊くらい――」
「サミュエル様、そんな余裕はありませんよ?」
ノアの決意を揺らがせようとする甘言は、ザクに遮られた。サミュエルに軽く睨まれても無表情を崩さないザクの精神は強い。
サミュエルと温泉旅行というのに密かに惹かれていたノアは、開きかけた口をそっと引き結んだ。危ない。あっさりとサミュエルの提案に頷いてしまうところだった。
ここでの滞在中に、ノアはザクの人間性をよく知るようになり、少しその強さに憧れている。そんなことを言ったら、サミュエルに盛大に顔を顰められそうだけれど。
お互いに信頼し合っているように見えるのに、ザクとサミュエルの関係性は、ノアには少し理解が難しい。嫌い合ってはいないはずだけれど……。以前聞いた、サミュエルは他者に無関心の傾向があるというのが理由なのだろうか。
「ルーカス殿下は、婚約者と離れて過ごさなければならない私に、もっと配慮を示すべきだね」
「盛大に呆れられそうなことをおっしゃらないでください。十分ご配慮いただいているでしょう……」
反論をザクに任せ、ノアは無言を貫いた。
ルーカスが十分サミュエルに配慮してくれているのは、ノアも事実だと思う。そうでなければ、この忙しい時期に、サミュエルが他の領で長期間過ごすなんてできなかったはずだ。
「ノア、君も寂しいだろう?」
「あ、ザクさんを無視するんですね……」
ザクの言葉が聞こえないというように、存在ごと無視して、サミュエルがノアをぎゅっと抱き締める。
その胸に寄り添いながら、ノアは思わずぽつりと呟いた。
王都にいた時よりも、この領ではサミュエルと過ごす時間が長かった。それにより、お互いのことをよく知れた気がする。
サミュエルが格好良くて、仕事ができて、みんなに愛される人間だという印象は変わらないけれど、他者に無関心な気質だということに納得するくらいには。
ザクへ淡々と対応するだけではなく、サミュエルはノア以外の者は手のひらの上で操るように、自然と思い通りに動かしてしまう。
それは盤上遊戯の駒を動かすくらいの感覚であるように見えた。相手がどんな感情を向けてきても、ほとんど意識しない。
おそらく人としてサミュエルが感情を向けるのは、ノアだけなのだろう。そして、サミュエルはそんな自分に不都合を感じていないし、変えようと思ってもいない。
完璧だと思っていた人が、実はちょっと歪なのかもしれないと気づいたけれど、それを少し嬉しく感じてしまうくらいには、ノアはサミュエルに惚れ込んでいた。自分だけが特別なんて、甘美で魅力的な言葉としか思えない。
「――僕も、寂しいです。でも、サミュエル様を必要とされている方はたくさんいますから。そんな方々の力になっているサミュエル様を見るのも好きですし、自慢の婚約者だと思っています」
「ノア……! そうだね。ノアの婚約者として、誇ってもらえるように頑張るよ。君と離れるのは寂しいけど、少しの間だけだ。王都に戻ってきたら、また一緒に過ごせるように仕事を片づけておくよ」
「嬉しいです。あまり無理をなさらず、頑張ってくださいね」
ノアのちょっとした言葉で表情を明るくするサミュエルが可愛い。たぶん、ノアがサミュエルの意欲を上げようと狙って言ったことすら分かっていながら、心から喜んでいるのだ。
「……いつの間にやら、ノア様のサミュエル様操縦技術が向上している、だと……!?」
「というより、サミュエル様が自ら操縦されに行っているように見えるのですが、そんな主人を侍従としてどう思われます?」
「情緒欠落人間にそんな馬鹿な部分もあったのかと、改めて驚愕しています」
「無表情で自分の主人をそう評してしまう感じ、結構似た者主従ですよ」
「遺憾の意」
……侍従同士も仲を深められたようでなによりである。長い付き合いになるだろうから、仲が良いことはいいことのはず。
ノアは部屋の隅で交わされる会話を聞いて、苦笑してしまった。
「一緒に帰らないかい?」
「でも、まだ片づけたい仕事がありますし……」
明日にはサミュエルが王都に帰ってしまう。その寂しさで、夕食後も長々とティールームで寄り添っていると、メイドが微笑ましげな表情で菓子やハーブティーを用意してくれた。
ランドロフ侯爵邸の使用人たちは、サミュエルのノア溺愛振りに最初は戸惑っていたものの、今では慣れた様子で対応するようになっていた。「結婚後の生活の予行練習ですね!」とは、今ハーブティーを用意してくれたメイドの言葉である。ノアはなんと返事をするべきか迷って、笑みで流してしまった。
「一緒に帰れば、馬車の中でも過ごせるのに。宿で一泊するのもきっと楽しいよ。どうせなら、ちょっと遠回りして、温泉地で名高いソリスヤ子爵領で二泊くらい――」
「サミュエル様、そんな余裕はありませんよ?」
ノアの決意を揺らがせようとする甘言は、ザクに遮られた。サミュエルに軽く睨まれても無表情を崩さないザクの精神は強い。
サミュエルと温泉旅行というのに密かに惹かれていたノアは、開きかけた口をそっと引き結んだ。危ない。あっさりとサミュエルの提案に頷いてしまうところだった。
ここでの滞在中に、ノアはザクの人間性をよく知るようになり、少しその強さに憧れている。そんなことを言ったら、サミュエルに盛大に顔を顰められそうだけれど。
お互いに信頼し合っているように見えるのに、ザクとサミュエルの関係性は、ノアには少し理解が難しい。嫌い合ってはいないはずだけれど……。以前聞いた、サミュエルは他者に無関心の傾向があるというのが理由なのだろうか。
「ルーカス殿下は、婚約者と離れて過ごさなければならない私に、もっと配慮を示すべきだね」
「盛大に呆れられそうなことをおっしゃらないでください。十分ご配慮いただいているでしょう……」
反論をザクに任せ、ノアは無言を貫いた。
ルーカスが十分サミュエルに配慮してくれているのは、ノアも事実だと思う。そうでなければ、この忙しい時期に、サミュエルが他の領で長期間過ごすなんてできなかったはずだ。
「ノア、君も寂しいだろう?」
「あ、ザクさんを無視するんですね……」
ザクの言葉が聞こえないというように、存在ごと無視して、サミュエルがノアをぎゅっと抱き締める。
その胸に寄り添いながら、ノアは思わずぽつりと呟いた。
王都にいた時よりも、この領ではサミュエルと過ごす時間が長かった。それにより、お互いのことをよく知れた気がする。
サミュエルが格好良くて、仕事ができて、みんなに愛される人間だという印象は変わらないけれど、他者に無関心な気質だということに納得するくらいには。
ザクへ淡々と対応するだけではなく、サミュエルはノア以外の者は手のひらの上で操るように、自然と思い通りに動かしてしまう。
それは盤上遊戯の駒を動かすくらいの感覚であるように見えた。相手がどんな感情を向けてきても、ほとんど意識しない。
おそらく人としてサミュエルが感情を向けるのは、ノアだけなのだろう。そして、サミュエルはそんな自分に不都合を感じていないし、変えようと思ってもいない。
完璧だと思っていた人が、実はちょっと歪なのかもしれないと気づいたけれど、それを少し嬉しく感じてしまうくらいには、ノアはサミュエルに惚れ込んでいた。自分だけが特別なんて、甘美で魅力的な言葉としか思えない。
「――僕も、寂しいです。でも、サミュエル様を必要とされている方はたくさんいますから。そんな方々の力になっているサミュエル様を見るのも好きですし、自慢の婚約者だと思っています」
「ノア……! そうだね。ノアの婚約者として、誇ってもらえるように頑張るよ。君と離れるのは寂しいけど、少しの間だけだ。王都に戻ってきたら、また一緒に過ごせるように仕事を片づけておくよ」
「嬉しいです。あまり無理をなさらず、頑張ってくださいね」
ノアのちょっとした言葉で表情を明るくするサミュエルが可愛い。たぶん、ノアがサミュエルの意欲を上げようと狙って言ったことすら分かっていながら、心から喜んでいるのだ。
「……いつの間にやら、ノア様のサミュエル様操縦技術が向上している、だと……!?」
「というより、サミュエル様が自ら操縦されに行っているように見えるのですが、そんな主人を侍従としてどう思われます?」
「情緒欠落人間にそんな馬鹿な部分もあったのかと、改めて驚愕しています」
「無表情で自分の主人をそう評してしまう感じ、結構似た者主従ですよ」
「遺憾の意」
……侍従同士も仲を深められたようでなによりである。長い付き合いになるだろうから、仲が良いことはいいことのはず。
ノアは部屋の隅で交わされる会話を聞いて、苦笑してしまった。
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◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
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