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87.語らいの時間
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ノアは困っていた。
「サミュエル様、本当にお休みにならなくて大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。ノアから離れる方が嫌かな」
「……それなら、いいのですが……」
サミュエルがにこりと微笑み、甘い眼差しをノアに向ける。
ノアはだいぶサミュエルに慣れたはずだと思っていたけれど、なんだか今日はいつもより熱が強い気がして戸惑ってしまった。
嫌ではないけれど、じっと見つめられるのは恥ずかしい。
困って曖昧に微笑みながら、サミュエルに捕まったままの手に、視線を落とした。
サミュエルを迎えるにあたって、ノアは到着した当日はゆっくりと休養にあててもらうつもりだった。紅茶で一服した後は、部屋で休めるよう支度を整えていたのだ。
王都から二日とはいえ、馬車での旅はそれなりに疲れる。到着しても慣れない場所ならば、なおさら気が張り詰めるだろうと考えたノアの気遣いだ。
まさか再会してすぐに濃厚なキスをされるとは思わなかったし、サミュエルが元気いっぱいとも予想していなかった。
なんだか生温かい目の執事に予定通りティールームへと促され、紅茶を楽しむ間も、サミュエルはノアを慈しむのに余念がない。ロウが注意するのも諦めるレベルだ。
「明日からは、領地内を案内してもらえるのかい?」
「はい。サミュエル様がよろしければ、そのつもりで用意を整えています」
サミュエルの方から話題を振ってくれたことにホッと安堵しながら、ノアは頷いてサミュエルを見つめた。
「嬉しいよ。馬車から見ただけではあるけど、ランドロフ侯爵領は素敵なところだね。農地で働く人々の姿も、街の賑わいも、素晴らしい。ぜひもっと近くで見たいな」
「そう言っていただけて嬉しいです……!」
微笑みながら領地を褒められて、ノアの心が一気に喜びで満たされる。
これはしっかりと案内をしなければ、と改めて意気込んだ。
ノアも実際に街を出歩くのは初めてのことになるので、案内はほぼ執事に頼むことになるけれど。サミュエルを迎えるまでの一週間で色々と知識を集めてはいるので、魅力のプレゼンはできるはずだ。
「今日の夕食は、領地のものをふんだんに使う予定ですよ」
「それは楽しみだ。ランドロフ侯爵領は食の文化が優れているからね。王都やうちの領にも持ち込めるものがあるといいけど」
サミュエルが言葉通り期待で瞳を輝かせる。
王都のレストランでランドロフ侯爵領の農産物が使用されていることを知っていたし、食への関心が強いのかもしれない。
舌が肥えているだろうサミュエルに食事を出すことに、料理人が緊張で震えていたことを思い出し、ノアは苦笑してしまった。
サミュエルは口に合わなかったとしても、言葉にも態度にも出さなそうだけれど、気に入ってもらえるのが一番だ。料理人にはぜひ頑張ってもらいたい。
「……そう言えば、グレイ公爵領からも商人がたくさん来ているようですが、サミュエル様はご存知ですか?」
「ああ、それね。少し早すぎる行動だとは思うけれど、利に敏い商人なら仕方ないかな。私たちの婚約と結婚で、大きな商機が生まれるのは間違いないからね。こちらで何か問題が起きているのかい?」
サミュエルはもともと予想していたようだ。
普通の貴族では、幼い内に婚約を結んで、ゆっくりと関係性を深めていくものだから、領地に急激な変化は起こりにくい。
でも、ノアとサミュエルの婚約は、当事者にとっても驚くくらい急に決まったことだ。商人たちが大慌てになるのも当然のこと。
ランドロフ侯爵家は領民から好かれていて、多くの領民がノアに婚約者ができる時を、今か今かと待ち望んでいた。
実際に婚約が公表されれば、お祝い事としてどれほどの盛り上がりになるか。おそらく莫大なお金が動くことだろう。
グレイ公爵領でもそれは同じだ。一時はライアンとの婚約解消により、領内が混乱と暗い雰囲気に包まれていたらしい。
でも、ひっそりとノアとの婚約が知られたことで、一気に持ち直したそうだ。
ランドロフ侯爵領は発展を続ける豊かな領として評判が高い。そこと縁が繫がり、交流が促進される可能性があるなら、商人が喜び勇んで行動を起こすのも自明の理というものだ。
「問題というと……領都では、商人たちが求める建物を用意できないことですね。店舗となる空いた建物が少なくて……」
「ああ、ここは壁に囲まれているからね。隣国との争いを物語る史料でもあるし、安易に街の拡大はできないのか」
サミュエルの視線が窓に向かう。ここから領都を囲む壁は見えないけれど、その歴史に思いを馳せているようだ。
ランドロフ侯爵家は建国の頃に武功で名を上げた家だ。隣国と王都に挟まれる位置に領地を構え、万が一隣国が攻めてきても、逃げることなく徹底抗戦して王都を守る最終防衛地点となることが務めだった。それゆえ、領都は堅牢な壁で囲まれている。
その事情がある以上、領都の街を広げることは不可能で、商人の要求を満たすのが難しい。古い建物の早急な建て直しを進めているけれど、ノアが予想していた以上に多くの商人が、ランドロフ侯爵領での商売を望んでいるようだ。
「それで、ご相談なんですけど――」
ノアはここ数日考えていたことを話すことにした。
もともとは後日、サミュエルの疲れがなくなってから相談するつもりだった。でも、ノアを愛でるサミュエルの様子に疲れなんて微塵も感じないから、気遣いなんて必要がない気がしてきてしまったのだ。
「サミュエル様、本当にお休みにならなくて大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。ノアから離れる方が嫌かな」
「……それなら、いいのですが……」
サミュエルがにこりと微笑み、甘い眼差しをノアに向ける。
ノアはだいぶサミュエルに慣れたはずだと思っていたけれど、なんだか今日はいつもより熱が強い気がして戸惑ってしまった。
嫌ではないけれど、じっと見つめられるのは恥ずかしい。
困って曖昧に微笑みながら、サミュエルに捕まったままの手に、視線を落とした。
サミュエルを迎えるにあたって、ノアは到着した当日はゆっくりと休養にあててもらうつもりだった。紅茶で一服した後は、部屋で休めるよう支度を整えていたのだ。
王都から二日とはいえ、馬車での旅はそれなりに疲れる。到着しても慣れない場所ならば、なおさら気が張り詰めるだろうと考えたノアの気遣いだ。
まさか再会してすぐに濃厚なキスをされるとは思わなかったし、サミュエルが元気いっぱいとも予想していなかった。
なんだか生温かい目の執事に予定通りティールームへと促され、紅茶を楽しむ間も、サミュエルはノアを慈しむのに余念がない。ロウが注意するのも諦めるレベルだ。
「明日からは、領地内を案内してもらえるのかい?」
「はい。サミュエル様がよろしければ、そのつもりで用意を整えています」
サミュエルの方から話題を振ってくれたことにホッと安堵しながら、ノアは頷いてサミュエルを見つめた。
「嬉しいよ。馬車から見ただけではあるけど、ランドロフ侯爵領は素敵なところだね。農地で働く人々の姿も、街の賑わいも、素晴らしい。ぜひもっと近くで見たいな」
「そう言っていただけて嬉しいです……!」
微笑みながら領地を褒められて、ノアの心が一気に喜びで満たされる。
これはしっかりと案内をしなければ、と改めて意気込んだ。
ノアも実際に街を出歩くのは初めてのことになるので、案内はほぼ執事に頼むことになるけれど。サミュエルを迎えるまでの一週間で色々と知識を集めてはいるので、魅力のプレゼンはできるはずだ。
「今日の夕食は、領地のものをふんだんに使う予定ですよ」
「それは楽しみだ。ランドロフ侯爵領は食の文化が優れているからね。王都やうちの領にも持ち込めるものがあるといいけど」
サミュエルが言葉通り期待で瞳を輝かせる。
王都のレストランでランドロフ侯爵領の農産物が使用されていることを知っていたし、食への関心が強いのかもしれない。
舌が肥えているだろうサミュエルに食事を出すことに、料理人が緊張で震えていたことを思い出し、ノアは苦笑してしまった。
サミュエルは口に合わなかったとしても、言葉にも態度にも出さなそうだけれど、気に入ってもらえるのが一番だ。料理人にはぜひ頑張ってもらいたい。
「……そう言えば、グレイ公爵領からも商人がたくさん来ているようですが、サミュエル様はご存知ですか?」
「ああ、それね。少し早すぎる行動だとは思うけれど、利に敏い商人なら仕方ないかな。私たちの婚約と結婚で、大きな商機が生まれるのは間違いないからね。こちらで何か問題が起きているのかい?」
サミュエルはもともと予想していたようだ。
普通の貴族では、幼い内に婚約を結んで、ゆっくりと関係性を深めていくものだから、領地に急激な変化は起こりにくい。
でも、ノアとサミュエルの婚約は、当事者にとっても驚くくらい急に決まったことだ。商人たちが大慌てになるのも当然のこと。
ランドロフ侯爵家は領民から好かれていて、多くの領民がノアに婚約者ができる時を、今か今かと待ち望んでいた。
実際に婚約が公表されれば、お祝い事としてどれほどの盛り上がりになるか。おそらく莫大なお金が動くことだろう。
グレイ公爵領でもそれは同じだ。一時はライアンとの婚約解消により、領内が混乱と暗い雰囲気に包まれていたらしい。
でも、ひっそりとノアとの婚約が知られたことで、一気に持ち直したそうだ。
ランドロフ侯爵領は発展を続ける豊かな領として評判が高い。そこと縁が繫がり、交流が促進される可能性があるなら、商人が喜び勇んで行動を起こすのも自明の理というものだ。
「問題というと……領都では、商人たちが求める建物を用意できないことですね。店舗となる空いた建物が少なくて……」
「ああ、ここは壁に囲まれているからね。隣国との争いを物語る史料でもあるし、安易に街の拡大はできないのか」
サミュエルの視線が窓に向かう。ここから領都を囲む壁は見えないけれど、その歴史に思いを馳せているようだ。
ランドロフ侯爵家は建国の頃に武功で名を上げた家だ。隣国と王都に挟まれる位置に領地を構え、万が一隣国が攻めてきても、逃げることなく徹底抗戦して王都を守る最終防衛地点となることが務めだった。それゆえ、領都は堅牢な壁で囲まれている。
その事情がある以上、領都の街を広げることは不可能で、商人の要求を満たすのが難しい。古い建物の早急な建て直しを進めているけれど、ノアが予想していた以上に多くの商人が、ランドロフ侯爵領での商売を望んでいるようだ。
「それで、ご相談なんですけど――」
ノアはここ数日考えていたことを話すことにした。
もともとは後日、サミュエルの疲れがなくなってから相談するつもりだった。でも、ノアを愛でるサミュエルの様子に疲れなんて微塵も感じないから、気遣いなんて必要がない気がしてきてしまったのだ。
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◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
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