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81.三通の手紙

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 ノアは手紙を見ながら考え込んでいた。

 学園は現在、新年度前の長期休暇中。アシェルを見送ったら領地に一度戻ろうと思っていたけれど、何かと用事ができて先延ばしにしていた。
 その結果、領地の管理を任せている者から手紙が届いたのだ。帰領の日程伺いである。

 両親は定期的に領地に戻っているから問題ないけれど、ノアは学園があるからあまり領地に戻れない。次期領主となるからには、王都に居すぎるのも良くないし、ノア自身も領地でしたいことがたくさんあるので、長期休暇という絶好の機会を逃さず、できれば早く戻りたいと思っている。

 でも――。

「領地に戻ると、サミュエル様とお会いできなくなる……」

 ノアが領地に戻るのを躊躇っている理由はそれだった。
 ただでさえ、学園で会うこともできなくなってしまったのに、物理的に距離が離れてしまうと、仕事休みにちょっと会うということすらできない。

 ランドロフ侯爵領は王都から馬車で二日ほどの距離。高位貴族だから、王都からさほど遠い領地ではないとはいえ、気軽に赴けるわけではない。

「――そういえば、サミュエル様はグレイ公爵領にお帰りにならないのかな……?」

 ノアはふと首を傾げた。
 そんな話は聞いていないけれど、多くの貴族令息令嬢が長期休暇には帰領することを考えると、帰領しない可能性は低いように思える。
 でも、サミュエルは立太子したルーカスの補佐で忙しいはずだから、そちらを優先しているのかもしれない。

「とりあえず、サミュエル様にお伺いしてみよう」

 テーブルに置かれていたもう一通の手紙を手に取る。優美な文字に目を滑らせ、ノアはほんのりと微笑んだ。

 今日の午後にはサミュエルと会う予定だ。今朝送られてきた『仕事の合間だから、あまり時間がとれないけど』と残念そうな言葉を綴る手紙からは、ノアへの気遣いと愛情が伝わってくる。

 手紙と共に送られてきた花束にノアは鼻を寄せ、甘い香りを楽しんだ後に立ち上がった。

 まずは花を生ける花瓶を用意してもらおう。部屋に飾れば、いつでもサミュエルの想いを感じられて癒される気がする。



 廊下に出て、侍女に花瓶の用意を頼んだ後に、来客を迎える準備の確認をする。当然、問題ないという返事だった。サミュエルが会う当日に連絡してくるのは最近の常だから、みな慣れたものだ。

 花瓶を受け取り部屋に戻ろうとしたところで、ノアの専属侍従ロウとばったり出会った。

 アシェルがいた頃は、ロウはノアから離れていることも多かったけれど、最近はすっかり元通りだ。今日はノアの仕事が午前中で済んだので、早めに休憩をとってもらっていた。

「ロウ、もう休憩を切り上げたの?」
「はい。十分休ませていただきました。ノア様は、午後はどうなさいますか?」

 問いかけながら、ロウが流れるような動きでノアから花瓶を受け取る。侍女が運ぶという申し出は遠慮したけれど、ロウは断る隙さえ見せなかった。

 いつものことだから慣れている。でも、花瓶くらいノアも持てるのに。……水が入っていて重かったのは事実だけれど。

 少し疲れた気がする腕を揉みながら、ノアはロウに礼を伝えた。

「サミュエル様が来られると言っていたから、それまでは領地の収支報告書を確認しようかな。あと、新しい農法について研究論文が届いていたはずでしょう? それを読みたいな」
「かしこまりました。では、後ほど部屋にお持ちします」
「うん、よろしくね」

 花瓶を部屋に置いて立ち去ったロウを見送り、花を生け始める。せっかくサミュエルからもらった花なのだから、できる限り美しく飾りたい。

 以前ノアが伝えた好み通り、小ぶりな花で品よくまとまった花束を見て、ノアは再び微笑んだ。

◇◇◇

 生け花に集中していたノアの耳に、トントンと扉をノックする音が届く。

「どうぞ」
「ノア様。収支報告書と農法研究論文をお持ちしました」
「ロウ、ありがとう。そこに置いてくれる?」
「はい。それと、ノア様宛にお手紙が届いておりました」
「手紙?」

 ロウの手元には書類などの束の他に、淡い黄色の封筒があった。
 誰からだろうか。領地からの手紙は今朝届いたばかりだし、サミュエルからのものもしかり。他にノア宛で手紙を送ってくるような人は――。

「アシェルからですよ」
「……本当に?」

 ノアはすぐさま封筒を受け取って名前を確認した。確かにアシェルの名が記されている。
 傍のソファに座って、ロウから渡されたペーパーナイフで開封した。手紙の文字を目で辿りながら、ノアはふわりと微笑む。

「――そうか、無事に着いたんだ」

 別れの日、寂しさからか、目に涙を浮かべていたアシェルを思い出す。ノアも泣きたくなったけれど、必死に堪えた。笑顔で見送りたかったから。

 アシェルは大公領に着くまでは寂しさを抱えていたようだ。でも、領地に着いた途端、忙しさでそんな暇はなくなったらしい。アシェルらしい明るく力強い文字で綴られた内容は、充実した日々を表していた。
 早速領民などとのぎくしゃくした関係はあったようで、ライアン共々苦労しているようだけれど、それすらも楽しそうだ。

『いつか、お二人で大公領に遊びに来てください。ライアン様はサミュエル様でさえ驚くくらい良い領地にするんだって張り切っているんです』

 そんな文字を目にして、ノアは目を細めた。

 ライアンとノアの関係は、少し微妙なものだ。ノア自身がというより、婚約者であるサミュエルの問題だけれど、そう簡単に領地には行けない。

 でも、ライアンが領地の今後の目標に、わざわざサミュエルの名を加えているくらいだ。それが張り合う目的であったとしても、サミュエルと今後は別の形で関係を続けて行く意思表示だろう。

 もしかしたら、ノアに会いたがっているアシェルのために、妥協しているのかもしれないけれど。
 そう考えると、少し笑えてきてしまった。ライアンが元気いっぱいなアシェルに振り回されている姿が容易に想像できる。

「二人が結ばれるのは大変かもしれないけれど、相性はいいはず……」
「何かおっしゃいましたか?」
「ううん。――返事を書くから手紙の用意を」
「はい、こちらに用意しております」

 仕事が早いロウに礼を言い、ノアはアシェルの幸せを祈りながら、文字を綴った。
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