内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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53.アシェルの思い

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 険しい顔をしたアシェルに引き離され、間に一人分距離を保てるようになって、ようやくノアは心臓を落ち着けることができた。
 サミュエルはこの距離感に不満そうだけれど、先ほどのことが再びあると、ノアは死んでしまいそうだから、今はこのままでいたい。

「――そういえば、ノアたちはライアン殿下の卒業後について聞いたかい?」
「……ええ。一代大公になられると」

 サミュエルの問いに答えながら、アシェルに視線を向ける。
 アシェルは硬い表情をしていた。ノアが教えた時も同じ感じだったが、何を思ってそんな雰囲気になっているかは、まだ聞けていない。

「卒業までもうさほど時間がないから、急いで準備が進んでいるんだけどね。どうやら、領地運営の人手に困っているらしい」
「人手に……?」

 サミュエルが難しそうな顔をして紅茶を飲む。元婚約者の動向となると、サミュエルも気にせずにはいられないのだろう。次期王太子の側近に内定してもいるのだから、それも当然か。

 それにしても、領地運営の人手に困るというのは深刻な問題だ。
 ライアンが管理することになる領地は、元々王家直轄領だったのだから、基本的には役人が管理を担っていたはず。それが、元王族といえども一貴族のものになるのならば、ほとんどの役人が立ち去ることになる。
 引き継ぎのことを考えると、早い段階でライアンの部下を得る必要があるのだ。

「――側近のリカルド侯爵令息やトラドール伯爵令息は、どうされたのですか?」

 ライアンが王太子位にある時に、側近だった二人の名は、最近全く聞いていなかった。学園でも、ライアンの傍にいる姿を見ていない気がする。
 二人は貴族家の嫡男だから、臣籍降下するライアンの下にはつけないだろう。でも、人手などの工面は、側近としての最後の務めだと思う。

「二人は今、家に軟禁中だね。再教育されているようだけど……このまま廃嫡になるかもしれない。なにせ、ライアン殿下の暴走を止められないばかりか、助長させていたようなものだから。問題に全く対処しなかったことが、それぞれの家で問題視されているみたいだね」
「そんなことになっていたのですか……。廃嫡の場合、お二人は殿下の元に行かれるのでは?」

 元側近が、ライアン殿下の部下になることは十分考えられる。
 そう思って尋ねたのに、サミュエルは嘆息して、首を横に振った。

「ライアン殿下は誘ったようだよ。信頼というより、自分の騒動に巻き込んでしまった責任感からだろうけど。でも、二人は断ったらしい。王太子でなくなったライアン殿下には価値がない、と返したそうだよ。不遜だよね」

 冷たく笑うサミュエルは、二人の態度に憤りを抱いているようだ。
 最も近くにいた存在に裏切られたといえるライアンの胸中を思うと、ノアも悲しくて苦しい。ライアンは孤独感を抱えたまま、国の中枢から立ち去らなければならないということか。

「……あの、僕の部下から、一時的に貸し出すことは可能ですよ。領地運営の人員に、幾分余裕はありますから」

 ノアが提案すると、サミュエルの表情がパッと華やいだ。安堵の息を吐き微笑む。

「本当かい? それは助かるよ。うちでも何人か出す予定ではいるんだけど、派閥ができるようなことがあってはいけないし、他の家にも声掛けしようと思っていたんだ」
「お役に立てるのなら、嬉しいです」

 ノアも笑みを返したところで、不意に緊張が滲んだ声が上がった。

「あのっ!」
「なんだい、アシェル殿」

 グッと拳を握ったアシェルが、決意に満ちた表情でサミュエルを見つめていた。

「……僕……僕も! ライアンの、役に立てないでしょうか!?」

 叫ぶような声。必死さを感じるアシェルの雰囲気に、ノアは息を飲んだ。

「役に、って……。君に何ができるって言うんだい?」

 サミュエルが冷ややかな声で問う。

 現在、アシェルはノアの家に身を寄せることで、一時的に実家から逃れている状態だ。学園も休学中で、社会的な立場は無いに等しい。

 だから、ノアはサミュエルの問いには一理あると判断していた。でも、心情としては友人のアシェルを応援したい。

 ライアンに何かしてあげたいという思いは、アシェルの本心だろうから。自分の状況が改善に向かっていても、表情に陰りがあったのは、ライアンのことが気になっていたからに違いないのだ。

「えっと、その……」

 アシェルが見るからに落ち込んだ様子で肩を落とす。ノアはそれをただ見ているだけなんて、無理だった。

「アシェルさんは、どういった形で、これからのライアン殿下に関わっていきたいのですか?」

 ノアが穏やかな口調で問うと、アシェルは救いを見出だしたように、表情を明るくした。
 サミュエルがノアをちらりと見て、「仕方ないな」と言いたげに肩をすくめる。

「僕は……ライアンの心に、寄り添いたい。ライアンが苦しんでいることに気づいていたのに、見て見ぬ振りで逃げてしまったことを……すごく後悔してるんです」

 ぽつりと吐き出されたアシェルの心に、ノアはぱちりと瞬いて首を傾げる。

 アシェルは自責の念が強すぎると思った。
 力のないアシェルが、あの状況でライアンの傍を離れることになったのは、仕方ないことだっただろう。そうしなければ、アシェルの方が危険な状態だった。
 そのことはライアンも承知していて、アシェルを咎めるつもりは全くないはずだ。

 なぜアシェルがそこまで思い詰めるのか、正直ノアには理解できなかったけれど――。

「離れてから、気づいたことですけど……。僕、ライアンのこと、結構好きだったみたいで」
「好き……?」

 照れがありながらも、どこか苦々しいアシェルの表情。
 ノアはまんじりと見つめながら、言葉を消化できずに反芻した。聞いたことも、使ったこともあるのに、アシェルの言う「好き」は、知らない言葉のように感じられたのだ。

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