内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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52.理性の糸

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 じっとりとした視線を感じる。侍従ロウ仕込みの給仕をこなしながら、アシェルがノアたちを見つめているのだ。

 なにがそこまで不満なのかは分からないが、態度に出せるのは、サミュエルが本気でそれを咎めるほど狭量ではないと理解しているからだろう。
 友人と婚約者の仲が良いのは喜ばしい。世間一般的な仲の良さではないのが、少し面白くもある。

 ちらりと隣を見ると、サミュエルが「うん?」と首を傾げた。なんだかその仕草を可愛らしく感じる。格好いい男性なのだが、見るからに上機嫌な様子だからかもしれない。

 ノアはぎこちなく微笑みを返して、膝にのせた指先に視線を落とした。

(サミュエル様……近い……)

 廊下を歩いていた時と同様、ソファに座っている間も、ノアの腰にはサミュエルの腕が添えられていた。これで緊張するなという方が無理な話だ。慣れる気がしない。

 婚約者になっても、さほど関係は変わらないと思っていたのに。予想を裏切るように、物語の中の恋人みたいにサミュエルが甘やかに感じて、どう対応したらいいかまるで分からない。

「――ノアの部屋は本が多いね?」
「そう、ですね。読書が好きなので」

 部屋を見渡し呟くサミュエルに頷く。あまり物がないノアの部屋で、目立つのは本くらいだろう。
 見ていてもつまらないだろうと申し訳なくなる。でも、サミュエルは楽しそうにしていた。

「今度うちにも遊びにおいで。両親も喜ぶ」
「グレイ公爵家に……。ご挨拶はするつもりですけど」

 頷きつつも、あまり気乗りしなかった。
 サミュエルが普段過ごしている家には興味があるし、婚約者として一度はグレイ公爵に会いに行くべきだと分かっているけれど。

 ノアは基本的に他の家に遊びに行くことがない。お茶会等も、まだ年齢的に参加必須ではないため、招待を断ることが多かった。

(どうにも、他の家に行くというのが、怖い気がする……)

 ノアは小さくため息をついた。
 この恐怖心が何に由来するか、全く分からないから、和らげる方法も見つけられないでいる。
 両親が「無理をする必要はないよ」と甘やかしてくるから、今まで必死に頑張ろうとしたことはなかったけれど。そろそろなんとかしなければならないだろう。

「――まあ、両親への挨拶は、レストランとかを使うのもいいね。うちが出資しているところがあって、魚料理が美味しいんだよ。ランドロフ侯爵領で生産された野菜も使っていたはずだ」
「! うちの領地の野菜ですか」
「ランドロフ侯爵領の野菜は、質が良いことで有名だからね」

 消極的なノアの様子には気づいただろうに、サミュエルはそれを一切指摘しなかった。気を悪くすることなく、話題を逸らして楽しそうに笑う。
 その気遣いに嬉しくなり、更に愛する自領の生産物の話も出ると、ノアは一気に乗り気になった。

 あまり家の外で食事をとることがなかったけれど、たまには楽しいかもしれない。なにより、自領の生産物がどのように使われているかが気になる。今後の生産計画を立てる参考にもなりそうだ。

「――ノアは随分と領のことが好きなんだね」

 サミュエルが柔らかな眼差しでノアを見つめていた。
 その視線に、ノアはハッと身を引く。いつの間にか、サミュエルの方へと身を乗り出していたことに気づいたのだ。はしたないことをした。

 恥ずかしさに俯こうとしたノアの頬に、不意に大きな手が添えられる。片手で包み込まれるようにされると、顔を上げるしかなかった。
 反射的にぎゅっと目を瞑ってしまったけれど、その顔を見られているのも恥ずかしい気がして、恐る恐る目を開ける。

 すぐ近くに、美しい翠の瞳があって、思わず見惚れた。
 ノアの暗い紫の瞳とは違い、サミュエルの瞳は光を湛えているように、明るく輝いている。
 宝石のような瞳に陶然と囚われてしまう。サミュエルの容貌の美しさも相まって、見れば見るほど、素晴らしい芸術品を鑑賞している気分になった。

「……ノアの瞳は菫色だね。気高くて清らかな雰囲気がある。でも、少し寂しげで……そんなに綺麗な瞳で見つめられたら、いくら理性的な私だって、ひどいことをしてしまいたくなるよ?」
「ひどいこと……?」

 サミュエルの頬が僅かに赤らんでいることに気づいた。
 その顔のまま照れたように苦笑し、指先でノアの頬をつまんでくる。
 全く力が入っていないから痛くはないけれど、サミュエルらしくない行動に驚いて、手で押さえてしまった。まるで頬にサミュエルの手を押しつけるような仕草になってしまったことに、後から気づいて動揺する。

 不意に腰に回っていた腕に力が入った。サミュエルの方に身体を引き寄せられ、肩に手をついて倒れ込むのをこらえる。

「ノア――」

 先ほどよりも近くにサミュエルの顔があった。目を見開き固まるノアに、更に迫ってくる。ノアは抵抗することも忘れていた。

「ン、ゴッホン!」

 咳払いの音。それと同時にサミュエルの動きが止まる。続いて、アシェルの苦々しげな声が響いた。

「あー、あー、……サミュエル様、婚約者といえども、節度を保ってくださいね。僕には、侯爵に報告する義務があることをお忘れなく」
「……君、本当に邪魔だね」
「むしろ、褒めてくれてもいいんですよ? ご自慢の理性が役に立たなかったようですから~」

 サミュエルが嫌そうにアシェルを横目で睨んだ。ノアはドキドキとうるさい心臓を感じながら、そろそろ離してほしいと願いつつ、目を伏せる。

(……キス、されるかと、思った。そんなわけ、ないのに……)

 顔が熱い。目も潤んでいる気がする。

「ノア――」

 呼び掛けられて、おずおずと視線を上げた。

「うるさい子がいるから、今日はこれだけ」
「ぁ……」

 頬に柔らかな感触と、ちゅっと微かに吸われる感覚。
 ノアはビクッと身体を震わせ、あえかな声を零しながら、サミュエルの肩にしがみついた。

「ふっ……ノアは可愛いね」

 目尻を親指で撫でられ、微笑まれ、ノアはたまらず目をぎゅっと瞑る。もう、そんな顔をどう思われるかなんて、気にする余裕はなかった。

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