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46.突然の申し出

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「ノア――」

 不意に左手を掴まれる。サミュエルの手は大きくて力強くて……とても熱い。こうして触れられて、サミュエルを一人の男性として再認識した気がした。

 翠の瞳が木漏れ日でキラキラと輝き、ノアを一心に見つめている。その眼差しに捕らわれたように、ノアは身動き一つできなくなっていた。

 顔が熱い。こんなに見つめられて、手を触れられて、内気なノアが冷静でいられるわけがない。心臓がドクドクと鼓動を刻み、今にも飛び出そうだ。

(サミュエル様は、何をおっしゃるつもりで……?)

 不安なのか、期待なのか、よく分からない心境のまま、ノアはサミュエルを見つめ返した。呼びかけたきり言葉を続けないサミュエルに、ノアは何故だか追い詰められたような気がしてくる。

「……サミュエル様、突然、どうされたの、ですか……?」

 沈黙のまま見つめられることに耐えられず、緊張で乾いた唇を動かして問いかける。
 とにかく、今の状況から解放されたかった。サミュエルの手を振り払おうとは微塵も思わなかったけれど。

「――私と……婚約してほしい」
「は……?」

 ついに放たれたサミュエルの言葉に、ノアは思わずポカンと口を開けてしまった。間抜けで失礼な反応だと分かっていたけれど、あまりの驚きに取り繕う余裕がない。

(サミュエル様は、今、なんと言った……?)

 混乱する頭をなんとか落ち着かせようとしながら、サミュエルの言葉を反芻する。
 コンヤク。こんやく。……婚約――。

「――え、婚約……!?」

 ようやく言葉に理解が追いつき、ノアは小さく掠れた声で叫んだ。緊張と混乱で、上手く声が出ない。サミュエルに聞きたいことはたくさんあるはずなのに、何を言えばいいか全く整理できなかった。

 サミュエルをただただ凝視していると、翠の瞳が僅かに細められ、口元にほのかな笑みが浮かんだ。ノアの混乱を意に介せず、サミュエルはなんだか嬉しそうだ。

 でも、その頬が僅かに上気し、表情がいつもより硬いように見えて、緊張しているのはノアだけではないのだと、少し安心した。それと同時に、サミュエルの言葉が冗談とは思えなくなってしまったけれど。

「そう、婚約。私はノアと婚約したいと思っている」
「それは……なぜですか……?」

 熱い頬を隠したい。左手は捕まっているから、右手だけでも隠せないだろうか。でも、そんな仕草は失礼かもしれない。
 様々な思いが頭を駆け巡る中、必死にサミュエルの言葉の理解に努める。

「なぜ、と聞かれると――」

 返事の途中で言葉を止めて、サミュエルがノアをじっと観察した。全てを見透かすような眼差しに、ノアはピシリと身体が固まる。

 緊張するからあまり見ないでほしい。頭からシーツを被って身を隠したい。

「うーん……まだ、早いかな。ノアはその辺の適応力が低そうだし……」

 サミュエルが呟きながら首を傾げた。
 何かを評価されているのは分かる。でも、ノアの欠点は数えきれないほどあり、サミュエルがどれのことを言っているのか、まるで分からない。

 不安が募って、思わず縋るような気持ちで、ノアはサミュエルを見つめた。
 すると、サミュエルが真顔になって片手を伸ばしてきた。目を隠されて、ノアはきょとんと瞬く。

「――男を、そんな目で見つめるものじゃないよ。危ないからね」
「えっと……ごめんなさい。何をおっしゃっているのか、よく分からなくて……」

 淡い暗闇の中、サミュエルの体温を感じながら、必死に頭を働かせる。
 視界が塞がれているというのに、不思議と警戒心は湧かなかった。それだけ、ノアはサミュエルを信頼しているということだろう。

「この危機感のなさ。やっぱり心配になるなぁ……」

 手が外されて、再び視界にサミュエルが映る。悩ましげに眉を寄せていた。

 何がいけないのかは分からないけれど、サミュエルを困らせるのはノアの本意ではない。改善すべき点があるならば、その理解に努めたい。

 でも、さらに問いかけようと開いた口が固まった。

 ――サミュエルが、握ったままだったノアの手を捧げ持ち、指先に唇で触れている。

 ほのかに感じる温もりに、ノアの思考が停止した。

「――ノアには、契約を変えるための協力者になってほしい」
「協力者……?」

 婚約よりは納得しやすいけれど、協力者とは何をすればいいのか。
 続く混乱に、ノアは少し疲れを感じ始めていた。

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