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三章.雪豹の青年
80.雪豹の青年と満たされる香り
しおりを挟む――身体が熱い。
「うー……」
スノウは呻きながら重い身体を起こし、魔力を巡らせた。途端、獣型から人型に変わる。
初め変化に苦労していたことを思うと、喜んでもいいくらい簡単にできたけれど、今はそんなことに気づく余裕はない。
本能に任せて動くスノウを、ルイスは「ありゃまぁ……」なんて呟きながら見守っていた。
既にルイスは、スノウの今の状態を正確に把握しているのだ。医者を呼ぶ事態ではないとはいえ、心配なのは変わりないようだけれど。
「アーク……」
ベッドから掛け布団やシーツを引き剥がす。抱きしめてみても、洗濯されたそれらはアークの香りが薄まっていて、スノウは腹立たしさを籠めてペイッと投げ捨てた。
次に向かうのは隣室への扉。その先にアークの私室があることをスノウはよく知っている。つまり、今のスノウが求めている、アークの香りが感じ取れるものがあるはずだということ。
「スノウ様、陛下にご連絡しますから、部屋から出ないでくださいね?」
「……んー」
ルイスが何か言っている。でも、ぼやけた頭はそれを理解することはできなくて、ただ緩慢に頷いた。
心配そうな気配が遠のき、部屋から出ていく音を聞きながら、スノウは目の前に広がる光景に目を細める。
アークの部屋は寂しくなるくらい物がない。でも、香りは十分に残っていて、スノウを幸せな気分にしてくれた。陶然と香りを胸に吸い込みながら、香りの元を辿る。
足を引きずるように歩きながら見つけたのはクローゼットだ。開け放つと、ブワッと香りが押し寄せてくる。
スノウはにんまりと会心の笑みを浮かべた。求めてやまなかったものを見つけたのだ。
「――これと、……これと……あ、これ、好き……」
服やマント、帽子など。香りがするものを手当たり次第に抱えて、自分の部屋に戻る。
シーツが引き剥がされたままのマットレスに、アークの部屋から取ってきたものを散りばめて、番を迎える巣を作った。
「アーク、喜んでくれるかな?」
巣の中心で丸くなり、掛け布団を被る。このベッドで共に過ごす時間が長いから、これだけでも香りが満ちて、アークに包まれているような気分になった。
幸せ。……でも、寂しい。本当はアーク本人にここにいてほしいのだ。
「……アーク……まだかなぁ……」
仕事はいつ終わるのだろうか。幸福感と寂しさの間で揺れ動く心に疲れて、スノウは身体を捩らせ、掛け布団から顔を出した。
視界に映るのは、廊下に続く扉。そこから出れば、アークのところへ行けるのだ。
「邪魔、したくないけど……でも……きっと、許してくれるよね……」
ぽつりと呟き、巣から飛び出す。
番が帰ってこないなら、スノウが迎えに行けばいいのだ。ここで待つだけなんて辛すぎる。
扉に近づいたところで、慌ただしい足音に気づいて、スノウは足を止めた。
怖かったのではない。恋しい香りが近づいてきていることが分かって、歓喜のあまり動きが止まったのだ。
「――スノウ!」
扉を蹴破るように開けたアークに、スノウは満面の笑みを浮かべて抱きついた。
「アーク、おかえりなさい! 僕、巣を作ったんだよ!」
褒めてほしくて見上げた先で、アークがギュッと目を瞑ったのが見えた。何かに耐えているように見える。
何故だろうと思ったところで、自分の姿を思い出した。獣型から人型に戻った後、服を着ていない。裸で抱きつくのは、アークが駄目だと言っていたことだった。
「――あ、僕、お洋服、着るね……?」
「っ……その必要はない」
離れようとしたら、アークに腕を掴まれる。そのまま引き戻されたスノウは、抱き上げられて目を丸くした。
アークの額に汗が滲んでいる。そんなに急いできたのだろうか。それとも、今のスノウと同様に、身体が熱くなっているのだろうか。
ぼんやりと考えていたスノウは、巣の中心にポスッと下ろされて、きょとんと目を瞬かせた。アークが覆いかぶさるようにスノウを見下ろしている。
アークの腕と髪に囲われて、甘く濃い香りに包まれて、スノウはうっとりと目を細めた。
ずっとこの状態でいたい。そんな思いを口にしようとした時、アークがスノウの首筋に吸いついてきた。
「アーク……?」
「……まだ、完全な発情期ではないな。生命の危機を感じて触発されたか、それとも心情の変化か? ……まあ、どちらにせよ、味見にはちょうどいい」
顔を上げたアークがニヤリと微笑んだ。唇を舌で舐める仕草が、やけに色っぽい。アークはいつだって格好いいけれど、今はいつもより輝いて見えた。
「――素晴らしい巣だな。巣材が足りなくて悪い。次はたくさん用意しておこう」
「……うん!」
スノウの努力を褒めてくれた。それだけで舞い上がりそうなほど嬉しい。
笑みを浮かべるスノウの額にキスが落ちてくる。
「巣が上手くできたご褒美に、大人の作法を教えよう」
「おとなの、さほう……?」
言葉の意味は分からなかったけれど、ご褒美をもらえるなら断る理由はない。
スノウはアークの首に腕を回して抱き寄せ、頬にキスを返した。
「――……ご褒美、ちょうだい!」
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