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二章.雪豹の少年

36.魔王と葛藤(アーク視点)

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 午前中いっぱいスノウの人型への変化の練習に付き合ったアークは、執務机に積み重なった書類を眺めながらため息をついた。
 書類の多さを嘆いているのではない。これでも、側近のロウエンが処理できる分は代わりにしてもらっていたので、いつもと大して変わらない量なのだ。

 では、何を思ってため息をついているかと言うと――。

(――予想以上だった。スノウの人型が、あんなに美しくて愛らしいものだったなんて……)

 脳裏に浮かぶのは、初めて人型になったスノウの姿。
 艶やかな濃灰の髪はふわりと揺れ、前髪の下から覗く丸い金眼は、潤んでキラキラと輝いていた。顔は片手で掴めそうなくらい小さく、体格も華奢で頼りなげでありながら、しなやかで美しい。
 はだけた毛布から見えた白く滑らかな肌を思い出し、ぶんぶんと首を振って記憶の片隅に追いやる。忘却はできないのが、アークの本心を示していた。

(忘れられるものか。あんな愛らしく、それでいてあどけない妖艶な姿……。俺の番だぞ。一瞬たりとも忘れはしない)

 思いながら、スノウの祖父の言動を思い出し、書類を睨んだ。八つ当たり気味に一枚手に取り、目を通しながら思考は別の方を向く。

(ナイトめ……スノウの祖父とはいえ、俺の番の裸を見るなんて。目玉をくり抜いてやれば良かった!)

 獣型から人型になる時は当然服を着ていない。思いがけずスノウが順調に人型になれたことで、そのことへの対処を忘れていたから、アークはスノウが変化した瞬間目を逸らすしかなかった。見続けていたら危ないと分かっていた。まだスノウは子どもだ。成長を見守るべき時期であり、手を出すなんて駄目なのは分かりきっている。
 すぐさま毛布を掛けたルイスは、本当に良い仕事をした。あのままでは、アークの愛しい番の裸体が、血縁者とはいえ男の目にさらされ続けるところだった。

「はぁ……」
「おや、陛下……スノウ様が人型になれたというのに、何故そのように辛気くさい顔をしているのです?」
「茶化すな。俺は真剣に悩んでるんだ」

 ニヤニヤとした笑いが隠せていないロウエンを横目で睨みながら、検討に値しない提案書を却下用ボックスに投げる。

「悩み……もしや、スノウ様のあまりに美しいご様子に?」
「……お前、人化したスノウにはまだ会っていないよな?」

 ロウエンがアークの悩みを言い当てるので、思わず僅かに目を見開いて驚く。そんなに分かりやすい表情をしていたとは思わないのだが。

「ファッファッファッ。書類を戻してきた帰りに、噂話を小耳に挟みましてね。メイドたちが大層賑やかに話しておりましたよ。『スノウ様の人型は凄くお美しかったのよ! お耳と尻尾はふわふわのままだったし。あんなに愛らしいのに、部屋に仕舞いこまない陛下って、凄く寛容よね』と」
「……声真似が気持ち悪いな」

 多分に揶揄を含んだロウエンの言葉に、憮然としながら返す。内容に触れる気はなかった。
 メイドの言葉は、正直アークの頭にあった考えだ。それでも、スノウを部屋という狭い世界の中だけに押し込めるのは可哀想に思えて、苦渋の決断で城内の散歩を許可した。早速出歩いているとは思わなかったが。

(俺もまだ堪能できていないというのに、先にメイドたちが楽しんでいるというのは、些か腹が立つな……)

 八つ当たりだと分かっていても、心は誤魔化せない。眉間にシワを寄せながら、次の書類を手に取る。苛立ちの分だけ、スノウを可愛がろう。

「……まずは服を仕立てるか」
「服を贈るのは脱がせるため、とよく言われますが、陛下はいかがお思いですか?」
「その下品な口を閉じろっ!」

 思わず印章を投げそうになって、すんでのところで堪えた。……ロウエンから放たれた揶揄混じりの言葉が、一切頭になかったとは言えないのが、少し後ろめたいところだ。

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