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ハンマーフェロー編Ⅲ 迷宮の章

6 無名戦士

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 魔眼は言葉の通じない相手には効果を及ぼさない。
 理由は単純で、命令をどう解釈するかは聞いた本人次第だからだ。
 例えば「死ぬな」と命じた場合、その場にて踏み留まり限界を超えた力で生き残ろうとするか、一目散に逃げ出すことで生存を図ろうとするかは相手がこちらの意図をどう酌むかで変わる。
 よってもし一分の隙もない命令を与えたければ、誤解しようのない表現を用いるしかないのだが、切羽詰まった戦場でそんな悠長な真似が許されないのは考えずともわかりそうなものだろう。
 まして言葉を理解しない相手には魔眼は掛けることすらできないのだ。
 普通それには動物や魔物が該当する。何度か試しているので間違いない。
 だが、裏を返せば言葉さえ通じれば対象が何であれ、魔眼は効果を発揮するのではないか。
 それが例え魔物であろうとも、仮に相手が死んでいたとしても──。
 果たして俺が想像した通りになるかは賭けだった。
「ユウキ、一体何を……」
 勝負に水を差された形のセレスが戸惑いと不満の声を上げる。
 しかし、俺はそれに取り合わず、死霊騎士デスナイトの様子を凝視する。
 一瞬、動きが止まったように見えたが、気のせいだろうか……?
 そう考えた次の瞬間、彼の持つ大剣が乱暴に振り下ろされた。
 ただし、それは俺達に向かってではなく、近くでミアと対峙していたもう一体の死霊騎士デスナイトの隙だらけの背後に対してである。
 錆び付いた鎧がその中身ごと、真っ二つに切り裂かれた。
「これは……どういうことなの?」
 死霊騎士デスナイトへの警戒を解くことなく、セレスが俺に訊ねる。
「上手くいくかは賭けだったんだけど……どうやら魔眼が効いたみたいね。セレスと戦っているのを見ていたら、競っているように感じられたからひょっとして自我があるのかと試してみたのよ」
「そういえば確かに他のアンデッドとは違っていたけど……本当に大丈夫なの?」
 セレスが心配するのは当然だった。俺もまだ完全に信じたわけではない。
「それはこれから見定める。確信が持てるまでは油断しないで」
 俺はセレスとミアにそう警告して、動きを止めた死霊騎士デスナイトに話しかけた。
「私の言うことが理解できる? 理解できるなら武器を置いて」
 すると、死霊騎士デスナイトは俺の言葉を吟味するように暫し佇んだのち、大剣を足許の敷石の隙間に突き立て、ゆっくりと手を放して後ずさった。
 それを見てセレスが驚きの吐息を洩らしつつ、口を開く。
「言葉は話せる? 名前を訊いても良いかしら?」
 死霊騎士デスナイトは応えない。残念ながら口は利けないようだ。
「そう、話すことはできないのね」
 セレスががっかりしたように言うが、こればかりは致し方が無い。
 気を取り直して俺は死霊騎士デスナイトに言った。
「私達は罠に掛かってここまで跳ばされたの。地上に戻る道を探しているんだけど、助けて貰えない?」
 彼がいつから迷宮に囚われているのかは不明だ。それでも俺達より詳しいことは間違いない。
  自我があり、尚且つ彼をアンデッドとして使役する者──恐らくは先程のホールで見た不死の大魔導士リッチの呪縛を解かれたなら、協力してくれるのではないか。
 そんな望みを込めた言葉だった。
 魔眼が通じるなら強制させることもできたはずだが、それでは支配する者が変わるだけで彼を縛り付けている事実に違いはない。人ではなく、道具として見ている証拠だ。
 それが当たり前になれば、俺もいずれは不死の大魔導士リッチのように人の心を失くしてしまいそうで怖い。
 そんな思いもあってついお願いという形にしてしまったが、やはり甘かっただろうか?
 途端に死霊騎士デスナイトは剣を取って、床から引き抜く。その行動にセレスが緊張感を漲らせて身構えた。
 だが、そのまま踵を返すと、部屋の外へと歩き始める。入口付近で立ち止まり、こちらを振り向いた。付いて来い、ということらしい。
「……行きましょう」
 俺は二人に向かってそう言うと、先頭に立って彼の後を追いかけた。
 セレスとミアもすぐに付いて来る。
 死霊騎士デスナイトに案内された俺達は、複雑に入り組んだ通路を迷うことなく突き進んで行く。自分達だけでは到底なし得なかったことだ。
 その上、戦闘になれば真っ先に死霊騎士デスナイトが突進して行くので、俺達の負担はかなり軽減されたと言って良い。彼としてはこれまで自らの意思に反して行動を強要されてきたことへの鬱憤を晴らす絶好の機会だったのかも知れない。
 いずれにしても死霊騎士デスナイト様々だ。
 もっとも万事が滞りなく進行したわけではない。
 俺達が脱出を再開し始めてしばらく経った頃、前を行く死霊騎士デスナイトが突如、獣のような低い唸り声を発し始めた。それに気付いた刹那、こちらに向き直った彼が振り向きざまに俺に向け大剣を振るった。
 ──ガキン。
 刃と刃がぶつかり合う音。
 幸いにも俺に当たる寸前に、異変を察知したセレスが前に回り込んで死霊騎士デスナイトの剣を受け止めたのだ。
〈あぶねー。危うく開きになるところだったよ〉
 俺は背筋を凍らせながら、ホッと胸を撫で下ろす。
 それにしてもさっきまで協力的だったのに、いきなりどうしたんだろう?
 セレスと鍔迫り合いを続ける死霊騎士デスナイトを見ながら、俺は疑問に思った。
「何をぼーっと見てるのよ。時間切れでしょ。魔眼を掛け直すんじゃないの? さっさとしないと、斃しちゃうわよ」
 ──あっ。
 忘れていた。魔眼の効果は一時間しか持続しないんだった。
 というか、もう一時間以上経ったのか。やはり迷宮内では時間の感覚が当てにならないようだ。
 俺は一時間前と同じように、死霊騎士デスナイトに魔眼を施す。
 それで彼は再び大人しくなった。
〈いかんいかん。これからは注意して一時間ごとにしっかりと魔眼を掛け直すようにしないと〉
 セレスにも彼の動向には用心しておくように頼む。
 そんなこんながありつつ、ようやく上り階段が見つかる。
 残念ながらここまで彼以外に知性を感じさせる不死の魔物アンデッドとは遭遇しなかった。不死化しても意識を残すのは余程、稀有なことらしい。
 幸運だった俺達は、やっとのことでこの階層から抜け出せた。
 死霊騎士デスナイトの彼も引き続き、案内してくれるようだ。
 一時間置きに敵に回るというリスクを差し引いても、その申し出は有り難い。
 そして、そこから果てしないと思えるほどの時間が経過して……。
 遂に俺達は冒険者が探索した痕跡の残る場所まで辿り着いた。
 既に水や食糧は尽きかけ、矢や弾薬も粗方使い果たしてしまっている。
 上り階段付近にはここが第九層の始まりであり、この奥は未知の領域ということが記されていた。つまり、この階段を上がった先が、現在踏破済み最深部とされる第八層で間違いなさそうだ。
「やっとここまで来たわね」
 セレスが疲れ果てた表情でそう口にする。
 俺とセレスは魔眼を掛け続けるため、ここに至るまで連続して一時間以上の睡眠を取れていないので、疲労が極限近くに達していた。
「ミア、もう歩けない」
 階段の下でミアが蹲る。彼女も年齢を考えればここまでよく耐えた方と言えるだろう。
「あと少しだから頑張って」
 俺はカラ元気を振り絞ってそう言うと、ミアを立ち上がらせる。
 階段に足を踏み出しかけて気付いた。
 死霊騎士デスナイトが立ち止まって、じっとこちらを見ている。魔眼が切れるまでにはもう少し猶予があるはずだ。
 一体、どうしたんだろう?
「ええっと、どうかした? まさか不死の魔物アンデッドも疲れるとか?」
 そんなはずはないと思いながらも、俺は訊いた。
 彼は落ち着いた動作で階段の上を指差す。ここからは俺達だけで行けということみたいだ。
 その上で、絞り出すように声を発した。無理をすれば喋れないことはなかったらしい。
「……殺シテ……クレ……頼……ム」
 聞き取り辛かったが、意味は明瞭に伝わった。
 俺はセレスと顔を見合わす。セレスはすべてを察したかのように頷いた。
 不死の魔物アンデッドである彼を人が住む街に連れて行くわけにはいかない。
 一時間置きに魔眼を掛け続けるというのも現実問題として不可能だ。
 また、死者として生き永らえることが彼のためになるとも限らない。
 それらを考慮すれば、ここで死なせてやるのが最善というのは理解できる。
 不死者である彼は自分を殺す術を持たないのだろう。
 俺達がしてやれるのは彼の望み通り、その死を手助けすることだけだ。
「わかったわ。あなたの願い、叶えてあげる」
 俺は魔眼の効果が切れるのを待ち、セレスが彼を抑えている間に新たな命令を下した。
「名も知らぬ戦士よ。ここまで助けてくれたことに感謝する。せめて苦しむことなく安らかに冥れ」
 セレス、と静かに呼びかけると、彼女は俺が示した死霊騎士デスナイトの弱点を正確に突いて彼が二度と起き上がることがないよう絶命させる。
 灰のように崩れ去る彼の身体。あとに残ったのは薄汚れた空っぽの鎧と、錆び付いた大剣のみ。
 最期にチラリと映った彼の横顔が満足げに微笑んだように見えたのが気のせいではなかったと思いたい。
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