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クーベルタン市編Ⅴ 幕間の章

3 公衆浴場再び

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「それにしても保険とかってやっぱり無いんだ……」
 予想はしていたが、負傷の治療代などは全て自己負担のようだ。当然、傷病手当や死亡給付金も存在しないに違いない。
「ホケンって何だい?」
 俺の独り言を耳聡く聞き付けたフィオナが訊ねる。
 加入者から定期的に一定の金額を預かっておき、怪我などをして働けなくなった時に支給する制度のことだと説明してやる。
「へぇ、働けなくなったら金が貰えるのか。だったら怪我した方が得だな」
「馬鹿ね。そんなうまい話があるわけないでしょ。支給と言っても限度があるんじゃない? たぶん、何もないよりマシっていう程度よね?」
「そうだね。預かった金より支払総額の方が上回れば制度として成り立たないから規模にもよるかな。大半の人が損をしないとできないことだよ」
「何だよ、それ。そんなの誰がやるんだよ」
 元々、保険は船乗り達が自分の死や船が沈むことに金を賭けて、損失を少しでも埋め合わせしようとしたことが発端というから、本質的にはギャンブルと大差ない。宝くじと一緒で、大勢の人が損することでごく一部の人が大儲けできる仕組みだ。
「預けた金は基本的に自分には返って来ないのが前提なんだよ。でも、それは怪我無く働けて幸運ってことさ。その代わり、仕事ができなくなったり、最悪死んだりした時には本人や残された家族は助けて貰える。みんなで少しずつ不運を肩代わりしようって案だからね」
 要するにあたしらが金に困った仲間を助けるみたいなもんか、とフィオナが言い、それをルールとして定めたものだと俺は首肯した。
「ほほう。なかなか興味深そうな話をしておられますね」
 突然、背後からそう声を掛けられ、振り返ると上品そうな紳士が立っていた。年齢的には中年に差し掛かろうかという辺りだが、どう見ても冒険者ギルドには不釣り合いな身なりだ。彼のような人物が何故、こんな場所にいるのだろう?
「あなたは?」
 全員を代表してセレスがそう訊ねた。
「これは申し遅れました。私、メルダース商会のクーベルタン支部長を仰せつかったテオドールと申す者。この度、我が商会はこちらに支店を設けることになりまして、本日は今後お世話になるであろう冒険者ギルドに御挨拶に伺った次第です」
「そうですか。御丁寧な挨拶、痛み入ります。私は冒険者のセレス。ここにいるのは私の同僚で同じく冒険者のフィオナ、イングリッド、ユウキです」
 セレスから紹介され、順に頭を下げる。こういう場で名刺交換がないのはちょっと新鮮だ。
「セレスというと、あなたがセレスティーナ様ですか。お父上共々、一度御挨拶に伺わねばと思っていたところです」
 久しぶりに聞くセレスの本名だが、どうやら当人はあまり快く思わなかったようだ。
「私は父の立場とは何の関係もありません。挨拶に行くのは御自由ですが、どうぞ私にお気遣いなく」
「……なるほど。それでは黄金級の冒険者に敬意を払ったということで宜しいですかな?」
「ええ。それならば……」
 なかなかに抜け目がない商売人のようだ。リサーチも行き届いていると見える。ちなみに後でイングリッド嬢から聞いたところによると、メルダース商会というのは王都に本店を構える新興の商社だそうだ。最近、各地に販路を広げているという。
「ところで先程のお話なのですが、ホケンと言いましたか? どなたのお考えなのでしょう?」
「それはこちらのユウキですが、どうかなさいましたか?」
 正確には俺が考えたものではないのだが、説明しようがないのでイエスともノーとも言わず、曖昧に微笑んでおく。
「先程も申し上げたように大変興味深い内容でしたので、日を改めてでも詳しくお聞かせ願えないかと思いまして」
 彼は本当に保険の話に興味を持ったようだ。自分で商売を始めるつもりもアイデアを独占する気もなかったので、説明するくらいは別に構わないが。俺がそのような意味のことを言うと、是非訪ねて来て欲しいと支店の場所を教えられ、約束の日時を決めて立ち去って行った。
「何だか、押しの強そうな人だったな」
「商売人なんてあんなものじゃないかしら?」
 フィオナとイングリッド嬢がそれぞれの印象を言い合っている。
 俺としては会社員時代の取引先の偉い人を彷彿とさせられた感じだ。
 その時、セレスが心配そうにこちらを見ていることに気付いた。
「どうかしたの? セレス」
「いえ、海千山千の彼らにユウキがいいように利用されないかと気になっただけ」
 なるほどね。確かに今の俺はセレスから見れば年下の妹分のようなものだ。世間知らずに思えても仕方がない。
 しかし、実際にはここに居る誰よりも年上の、それなりに社会経験を積んできたアラフォーのおっさんだ。うまい話に手放しで乗せられるほど初心ではない。
 大体においてテオドール氏が何を始めようと関わる気はないので、騙される恐れもないはずだ。
「それなら心配ないよ。ただ、教えられることを話すだけで、それ以上首を突っ込むつもりはないからね」
「そう。だったら良いのだけれど──」
 尚もセレスの表情はなかなか晴れなかった。

 そんなことがあって冒険者ギルドを出た俺達は、訓練で掻いた汗を流すため、四人で公衆浴場へ行くことになってしまった。
 只でさえセレス一人でも自制心を保つのがやっとなのに、その上二人も追加では身が持たないと思った俺は遠慮しようとしたのだが、恥ずかしがっていると勘違いされたフィオナから強引に連れ込まれる。
 相変わらず抜群のプロポーションであるセレスは言うに及ばず、意外と着痩せすることがわかったイングリッド嬢の二人に挟まれて、俺は目を奪われないようにするので精一杯だった。
 まあ、フィオナだけは予想通りの残念サイズで平静でいられたから助かった。と思っていたら、人(?)の身体を見て──。
「おー、仲間がいると安心するな」
 などとのたまった。実に失敬な奴だ。
「そういえば結局、武器の方はどうなったの?」
 イングリッド嬢が肌に張り付いた湯着をさりげなく直すという色っぽい仕草をしながら訊ねてきた。答えたのは俺ではなく、師範役だったフィオナだ。
「筋はいいから弩を使うのがあたしとしてはオススメだな。ただ、そうなると大物相手には牽制くらいにしかならないから二人で組むならセレスの負担が大きくなるな」
「あら、私だったら平気よ」
「おいおい。幾らセレスでも多勢に無勢じゃ敵わないだろ。お前のスキルは集団戦向きじゃないしな」
 セレスの『先読み』スキルを俺が知っていることは既に話してあるので、フィオナも遠慮無しに口にする。逆に本来、単体にしか通用しないそのスキルが複数相手に使えたことは俺とセレスだけの秘密だ。
 なので、フィオナが危惧するのはもっともと言えた。
 俺としても魔眼のブーストはその後の反動の大きさを知ってしまった今となってはなるべく使うのを避けたい手立てである。できれば他に決め手となるものが欲しい。
「この世界に銃でもあればな……」
 ポツリと洩らした俺の言葉に、セレスが驚きの反応を示した。
「銃って細長い筒から弾を飛ばす、あの銃のこと? それならあるわよ」
「えっ? ええっ!」
 思わず俺は驚愕の声を上げた。
「それってあれだろ、馬鹿高い消耗品を使うくせに大して威力がないっていう……」
「私が知っている銃ならそうだけど、ユウキが言っているものと同じかしら?」
 詳しく訊いてみると、どうやら間違いないようだ。
 ただし、火薬代わりに魔石を使用するのが如何にも異世界らしかった。馬鹿高いと言われるのも納得だ。
「だから、使う人はほとんどいないのよね。そんなので魔物に対抗するくらいなら、攻撃魔法の使い手を雇った方が安上がりだし」
「あたしも骨董品でしか見たことはないぜ。実際に使っている奴なんて知らないな」
〈うーん、俺が持つ銃のイメージとは大分違うな。そんなに使い物にならないんだろうか?〉
 銃と言ってもライフルなどではないだろうから古いマスケット銃辺りなら、そんなものかも知れない。
「でもフィオナはともかく、よくセレスがそんな珍しい武器を知っていたわね」
 イングリッド嬢が微妙にフィオナをいじりながらそう言った。
 あたしはともかくってどういう意味だよ、とからかわれたことに気付いたフィオナの抗議を自然にスルーして、セレスが答える。
「私の剣を打ってくれたドワーフの鍛冶師の知り合いに、そういうおかしなものばかりを手掛ける人がいるって聞いたことがあるのよ。その人もドワーフの職人で、腕は確からしいんだけど、変り者でね。周りからは白い目で見られているそうよ」
 セレスの剣とはあの白銀の美しい長剣に違いない。どうやらここでも鍛冶と言えばドワーフというファンタジー界定番の設定は活きているようだ。その正統派な鍛冶師も気になるが、俺としては変り者という人に是非、会ってみたい。普通の職人に銃を作ってくれとか言ったら怒られそうだしね。今は骨董品扱いでも俺が持つ現代知識と合わせれば実用的になるかも知れない。
 その鍛冶職人がいるのは、ドワーフ達が中心となって暮らす隣国とのことだから、会えるにしても当分先になりそうだ。
 まあ、ひと先ずは弩──クロスボウを使っていくことになるだろう。
 セレスの負担は戦う対象を選ぶことで減らすしかない。
 どうせクーベルタン市にいる間は、採取や届け物などの簡単な依頼をこなすことになるだろうしね。
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