【完結】Z[zi:] END OF THE WORLD(エンド・オブ・ザ・ワールド)

るさんちまん

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第四部 復活篇

10 号砲

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「何だって。それじゃあ、奴らは既にこの近くまで迫って来ているということか?」
 辻本孝和がその場にいる全員の気持ちを代弁するかのように驚きの声を上げた。普段は物静かなこの男が家族以外のことでこれほど感情を露わにするのは初めてだな、と智哉は思った。それは取りも直さず事態の深刻さを物語っていると言えよう。智哉は皆の動揺が収まるのを待ってから、再び口を開いた。
「まだ、そうと決まったわけじゃない。はっきりしているのはここに戻るまでの道中に、罠が仕掛けられていたということだけだ。所謂スパイクストリップと言われるやつだな。日本ではあまり馴染みないが、アメリカなんかじゃ警察官が暴走車を強制停止させるのに良く使われる。通常は蛇腹で伸び縮みする板に鋭い突起物を取り付け、道路を塞ぐ形で敷設してその上を車が通過するとタイヤがパンクするという代物だ。今回見つけたのはその簡易版らしくベニア板に釘を打ち抜いただけの単純なものだったが、効果のほどは変わらない。幸いにして寸前で避けられたが、夜だったら気付かずに踏み抜いていたかも知れないな。今のこの世界で車を立ち往生させることがどれほど危険な行為かは改めて説明するまでもないだろう。単なる悪戯とは思えない。明らかに殺害を目的としたトラップだ。待ち伏せまではなかったから方々でばら撒いて引っ掛かればラッキーと言ったところか。誰の仕業かわからないと言ったが、そんな真似をする人間が奴ら以外にもいるとは思いたくないな。実際問題として自由に外を出歩けなければ設置は難しい。例の連中と考えるのが最も妥当なのは間違いない。だとしたら、こちらが思っていた以上に事態は逼迫していると見るべきだろう。既にこの界隈に狙いを絞っているとも考えられる。もういつ襲われてもおかしくないということだ」
 一気にそこまで捲し立ててから智哉は周囲の反応を窺った。一度は鎮まった喧騒が一段と激しさを増して再度、食堂全体を覆い尽くす。智哉が今し方伝えたように宿への帰還途中に罠を発見し事態を悟るや否や、慌てて戻って急遽全員を集め、対応を協議し始めたのだ。元より覚悟していたこととはいえ、見つからずに諦めてくれることを少しも期待しなかったわけではないので、いざ予断を許さないとわかった途端、焦りの色が濃くなる。
「しかし、襲撃が予期されるとしてどうするつもりだね? 今ある備えだけでは不十分なのか?」
 孝和のその疑問に智哉は大袈裟に首を振って答える。
「あれは行動パターンが一律のゾンビだから通用する手立てばかりだ。少しでも考える知恵があるなら抜け穴は幾らでも見つけられる。役には立たないな」
 ここでは敢えて口にしなかったものの、そのゾンビの存在自体が実のところ、外敵の侵入を阻む大きな助けになっているのだが、今度の相手にはそれが通用しない。よって是が非でも自分達だけで撃退するしかないのだ。
「何も争わなくて良いのではないの? 交渉してみてはどうかしら?」
 孝和の隣に腰掛けた妻の晴美が、何故誰も言い出さないのかといった表情でそう発言した。
「欲しいものがあるなら渡してしまえば良いのよ。やって来たばかりの私が言うべきことじゃないのは承知しているけど、食べ物や物資で済むなら誰かが傷つくことを思えば安いものでしょ? それで見逃して貰いましょうよ。こっちには岩永さんがいるんだし、失った分はまた調達して来て貰えば良いわ。抵抗することを前提に考えなければ解決できると思わない? ねえ、そうしましょう」
 その間の抜けた意見にはテーブル端に坐っていた柴崎綾音が真っ先に異論を差し挟んだ。いつもは決定に黙って従うだけの彼女にしては珍しい光景だった。
「馬鹿なことを言わないで。あなたはああいう連中が何をするか知らないからそんな呑気なことが言えるのよ。食糧や物だけで済むわけがないじゃない。犯されるか殺されるに決まっている。あなただけじゃないわ。娘さんもそうなるのよ。それでも交渉したいって言うの? 私は嫌よ。また人質になって怯えながら過ごすなんて真っ平御免だわ。そんなくらいならいっそ死んだ方がマシよ」
 同じく人質経験のある七瀬や朋美からも同様の意見が挙がった。恐らく今まで他人の悪意に触れたことがないのであろう晴美には、そこまで考えが及ばなかったと見える。病気療養中の身であまり詳しく話していなかったこともあり、単なる物資の奪い合い程度としか思っていなかったに相違ない。綾音達の剣幕に気圧されたというよりは、娘の身に降りかかるであろう不幸を漸く理解して言葉を失ったようだ。改めて反論することもなく押し黙る。その様子を見て智哉が言った。
「俺も無闇に争うべきじゃないという意見には賛成だ。避けられることなら避けて通るべきだと思う。だが、今回の場合は別だ。俺は直接、奴らを目にした。それで知り得たのは連中が生き残るためにやむを得ず悪事に手を染めているのではなく、殺戮そのものを愉しんでいるってことだ。あいつらの一人は言っていたよ。簡単に殺されるよりも抵抗してくれた方が面白いってな。そんな連中とまともな交渉ができるとは思えない。それに俺と同様、ゾンビを苦にしない奴らに手に入れられない物はないはずだ。もし話し合いに応じる気配を見せたらそれは罠と疑って間違いない。従って奴らとは交渉や取引はしない。出遭ったら戦うしかないと覚悟を決めてくれ。どうしてもそれが無理ならせめて銃を取る者の邪魔だけはするな。どこかに引っ込んでいて、自分の命運を他人に委ねていればいいさ」
 智哉がそう言い終えると、大半の者は頷くか顔を見合わせ、残りの何人かは戸惑いの表情を浮かべた。中でも孝和は未だ完全には決心が付かない様子だがここでは逡巡より現実的な判断力が勝ったようで、智哉に訊ねてくる。
「……戦うという方針はわかった。しかし、具体的な対抗手段はあるのか? 私を含めてこの場にいるのは銃なんて使ったことのない人達ばかりだと思うが」
「銃の扱い方なら全員ひと通りは習ったはずだ。素人なのは恐らく向こうも同じ。扱いに慣れた者がいるとしてもせいぜい一人か二人だろう。一応みんなには比較的安全な屋内から迎撃して貰う。持ち場などの細かい役割分担はこれから絵梨香が一人一人に指示する。戦いたくない者はその時申し出てくれ。戦うと決意した者も難しく考える必要はない。要は建物に近寄らせなければ良いだけだ。最終的な決着はたぶん俺か絵梨香が着ける」
 最終的な決着、というのが相手を殺害することなのはわざわざ断るまでもない。籠城策か、という孝和の呟きに、智哉はかぶりを振って否定の意を示した。
「いや、みんなにはそうして貰うがこちらからも打って出る」
 事前に話し合っていた絵梨香以外の全員の顔に、驚きと緊張が走る。何故そんな危険を冒すのかと訊かれるのはわかり切っていたので、問われる前に智哉は説明を始めた。
「いなかった者もいるが、人質から解放した時のことを思い出して欲しい。あの際には内から絵梨香が協力したとはいえ、外部から襲撃したのは俺一人だ。それでも何とかなった。別に俺が特別優れていたってわけじゃない。俺だって一市民なんだから戦いに関してはみんなと大差ないさ。護るよりも攻める方が圧倒的に有利だったってだけだ。戦術論としてどうかということはこの際関係ない。あくまで今の状況に限ればって話で、そして今回はあの時とまったく立場は逆だ。襲う側がゾンビを気にしないという点も共通している。従って籠城しても同じ結末になるのは目に見えている。それを覆すにはこちらから打って出るしかないんだ。幸い何十人も相手にするわけじゃない。奴らが人数を増やしていなければだが。先手を取れればかなり優位に立ち回れるだろう。例え相手を全滅させられなくても不利だと思わせれば手を引くかも知れない」
 最後の言葉は作戦とは呼べず皆を励ますための願望に過ぎなかったが、やはり少女や若い女性にまで手にかけるのは気が重かったので、本心には違いなかった。無論、相対することになれば情けを掛けるつもりは毛頭ない。可能なら連中が攻めて来る直前に背後から奇襲をかけて宿と挟撃できるのが理想だ、そう智哉が付け足すと、これは参考までに訊ねるんだが、と孝和が前置きして、君ならここをどう攻めるか、と問われた。宿の損害さえ気にしなければ、と智哉は断った上で、ドローンで火炎瓶でも投下して自分は高みの見物を決め込むだろう、そう答えた。
 その後、絵梨香により具体的な行動が提示され、それに合わせて各自の役目が決められていった。戦いを忌諱した者にも監視や伝令役を割り振る。そうして一人を除き全員に指示が行き渡ると、最後に残った英司には目の前に立った智哉がこう告げた。
「お前には俺達と一緒に来て貰う。連中に対抗するのにお前の目と耳が必要だ」

 四方をアルミ製パネルで囲まれた車内にあって、英司が直接外の様子を窺い知るのは不可能だった。それでもこの壁一枚隔てられた向こうが死の世界であることに一片の疑問を生じさせる余地がないことは充分に理解している。ひと度荷台のリア扉が開かれれば、あたかも己が失った光に群がる羽虫のように、同じ暗闇に貶めんとする地獄の亡者共が押し寄せて来ることは想像に難くなかったからだ。
 それなのにどうして自分はこんな危険な真似をしているのだろう? 何度も自問してきたことをまた胸の裡で繰り返してしまい、英司は隣にいる絵梨香に悟られないよう自身の不甲斐なさにこっそり舌打ちした。悩んだからといって今更どうなるものでもないのである。論理的に捉えれば智哉達との同行を拒んで宿に残ったところで、戦いに敗れれば同じことだ。それならば少しでも役立つ方を選ぶのは道理である。彼の身を案じ宿に引き留めようとした沙織にもそう話した。だからこの判断は間違っていないと今でも信じている──理屈の上では。
 だが、仮初とはいえゾンビの存在を意識から逸らそうと思えばそうできた塀の内側に比べ、否が応でも間近で恐怖と向き合わなければならない外の世界とでは実際に体験してみるとこうも違うものかと尻込みせずにはいられなかった。餌となった気分を味わうのに、これほど相応しい舞台は他にあるまい。ゾンビに襲われない特異体質の智哉はともかく、自分と同じ立場の絵梨香が何故耐えられるのかが不思議だった。元自衛官だからだろうか? それだけではない気がして英司は理由を訊いてみたいと思った。
「緊張しているようね。無理もないけど、今からそんなに張り詰めていたんじゃ最後まで神経が保たないわよ」
 しかし、その前に表情に不安が現れていたらしい英司を気遣って、絵梨香がそう声をかけてくる。
「ドローンは車内から操れるようにしたんでしょ? だったら大丈夫よ。あなたが外に出る必要はない。戦闘が始まっても参加させるつもりはないから、安心して操縦に専念して頂戴」
 絵梨香が言うようにドローンを飛ばす電波は車載アンテナ経由で車内から送れるようにしてある。これにより英司は一歩も車外に出る必要はなく、モニター画面越しに操るだけで済んだ。一方で状況次第では絵梨香も戦闘に加わると聞かされており、只でさえ自分だけが安全圏に留まる後ろめたさに加え、そんな彼女に気を遣わせてしまったことで一層の情けなさが募った。
 もっとも絵梨香の方にさして気負った様子は見受けられない。服装も今は英司と同じく化学防御服は着ておらず、迷彩柄のタンクトップに薄手の作業用スボンと、狭い車内で二人きりになるには些か刺激的と思えなくもない軽装だ。目のやり場に困るというほどではないにしろ、若く健康的な男子としては何も意識しないわけにはいかない有様だった。薄着なのは英司を誘惑するためではもちろんなくて、防護服を着た際に蒸れるのを考慮した結果なのは明白だったから、気になる素肌の露出については努めて無視するに限る、という結論をいち早く下していた。英司も実際に宿で防護服を試着してみてその不快感には閉口せざるを得なかったので、少しでも涼しくしたがる彼女の気持ちは充分に納得できた。その化学防護服は空気ボンベや呼吸器など付帯装備一式共々、車内の片隅にいつでも装着できるようまとめて置かれている。そこには絵梨香のものだけではなく万一に備えて英司の分もあったが、それを使わなくてはならない事態については極力考えないようにしていた。とりわけ着心地の悪さは当然として、それ以上に視界の狭さにゾッとさせられたことが思い出される。これでも大型のアイピースで視野は確保されている方だと言うが、呼吸器の面体と合わさると、殆ど何も見えない錯覚に陥ったほどだ。この状態で外を出歩くなど目隠しをして鬼ごっこに挑むのも同然と思えた。とても冷静でいられる自信はない。せめてもの救いは仮に恐慌に陥ったとしても装備に隠されてその無様な醜態を晒さずに済むことくらいであろう。
 想像するだけで本当に息苦しくなりそうだったので、慌てて別のことに思考を切り替えようとした矢先、耳に装着したインカムから智哉の声が流れた。
「そろそろ予定のポイントに到着するぞ。停車したらすぐに始める。準備しておいてくれ」
 そう伝えられてから程なくして、恐らくエンジン音を響かせることと罠の存在を警戒してだろう、殊の外慎重に進んでいた冷凍車がゆっくりと路肩に停止するのがわかった。英司は壁を這うケーブル線と直結したドローンの送受信機を取り上げると、手にした感触から異常がないかを確かめた。その間に智哉が運転席を降りて、前方をぐるりと回り込み、助手席側へと移る姿が監視モニターに映し出される。助手席のドアを開け智哉が取り出した物──楽器でも入っていそうな黒革のハードケース──を丁寧に地面に降ろすと、中に収められたドローン本体を取り出す。プロペラの組み立てやバッテリーの取り付けは今日だけで既に三回目ともなれば英司の目から見ても手慣れたものだ。コンパスキャリブレーションといった諸準備も卒なくこなしていく。
「こちらはいつでも構いません」
 自分が教えた手順を智哉が滞りなく済ませたのを確認して、英司はそう告げた。了解したと短い返答があり、智哉がドローンを道路の真ん中に運んで置くと、自らは数歩後ろに下がる。それを見て英司はドローンを始動させた。地上から一メートルほどの高さで一度安定飛行を試みた後、直ちに周辺の偵察に取り掛かる。これこそが英司に与えられた任務だった。即ちドローンによる高所からの映像を頼りに、自分達が発見されるより早く相手を見つけ、先制攻撃を加えようというのである。ドローンの操縦自体は以前に智哉が指摘したように、練習すれば誰でもこなせるようにはなるだろう。従って、絶対に英司でなければならないというものではない。智哉や絵梨香でも充分可能だ。ただし、今回彼らには別にやるべきことがある。どうしても他にドローンを操る人間が必要だったのだ。
 肝心の偵察の仕方については、自身を中心に同心円を描きながら徐々にその半径を拡げていき、航続距離ギリギリまで調べて何も見つからなければ次の地点に移動して同じことを繰り返すという単純な流れにした。手間は掛かるし重複箇所も増えるが、その分見落としを減らせ、待ち伏せや不意打ちの危険を避けやすくするメリットもある。そして首尾よく連中を見つけ出せれば、そこからはいよいよ智哉の出番だ。引き続きドローンに監視させつつ、その場所まで智哉を誘導し奇襲をかけるという算段になっていた。たぶん、チャンスは一度きり。失敗すれば警戒されて二度と通用しないばかりか、こちらの居場所が近いと相手に教えることにもなりかねない。それは偵察中のドローンに気付かれても同じことだ。その点は諸刃の剣と言わざるを得ないが、そうしたことは当然英司も心得ており、見つからず偵察するのに最適な距離感を掴むのに腐心する模様が窺えた。これで地上に動くものが一切なければそこまで苦労することもなかったはずだが、何しろ其処彼処にはゾンビが徘徊している。上空からでは人との区別が付かないことが多々あり、その都度時間をかけて精査するしかなく、おかげでバッテリーの消耗率は当初の計算を遥かに上回ってしまっていた。今も手許のモニター表示で残量は早くも三十パーセントを切ろうとしている。そろそろ帰還させた方が良いかと考え始めたその時、ふと映像の片隅で何かが横切った気がした。
「今の気が付きましたか?」
 見間違いかと思い、別画面で同じ映像を眺めている絵梨香にそう訊ねる。
「何かが動いたようにも見えたけど、一瞬のことではっきりとはわからなかったわ。獲物を追っているんじゃなきゃゾンビにしては俊敏な動きね。もしかしたら犬や猫だったのかも知れない」
 実際のところ、動物を見かける機会は少なくない。ペットが野生化した犬や猫は元より、一度など動物園を脱走したと思われるシマウマの群れに遭遇したこともある。なので今回もそんなことだろうとバッテリー残量に気を取られていたこともあり、大して深く考えずにドローンを影が横切ったように見えた辺りに寄せて行った。そして建物の死角を回り込んだ先で、それを目撃した。
 数人の若者が路上で屯している。一見すると談笑でもしているような雰囲気だ。それだけ見ればありふれた街角の光景と呼んでも差し支えないかも知れない。ここが死の世界であることと、彼らの足許に折り重なるようにして無数の死体が転がっていることを加味しなければだが。
 そこにいるのが動物でもゾンビでもないと知れた途端、状況は一変した。その上、気を抜いた代償として隠れるための反応がコンマ数秒遅れ、その隙を予期していたかのように、奴らの一人が何気なく上空を見上げた。モニターを通してはっきりと視線が絡み合うのを感じた。ただ、相手の方も咄嗟のことで事態がすぐには呑み込めなかったようで、呆気に取られた表情を浮かべたが、それも束の間、次の瞬間には何かを叫ぶと同時に右手が持ち上がるのが見えた。
「ドローンを遠ざけて、早く!」
 隣で絵梨香が素早く唱えた指示に、半ば反射的に従う形で英司は慌ててドローンを上昇させた。直後に男が掲げた自動小銃とおぼしき筒状の物が火を吹く。幸いにも焦ったのは向こうも同じだったと見え、放たれた銃弾は動き回るドローンを一発も掠めることなく後方へと流れていった。それでも男は諦め切れないのか尚も執拗に射撃を続けるが、やがて開いた彼我の距離に対して自分の腕では弾の無駄遣いと悟ったらしく、銃声は鳴り止んだ。
「すみません。気付かれました。俺がもっと慎重に対処していれば……」
 取り返しの付かない自らの失態に、英司が沈んだ声を出す。確かにこれで当初の目論見だった奇襲は難しくなった。となれば後は正面から撃ち合うか、撤収して仕切り直すより外ないだろう。だが、それが戦略上どのような見直しを迫られるのか、英司には判断が付かなかった。
「このまま距離を取って監視は続行できるか?」
 一連の出来事を車外からタブレット端末で見ていた智哉が訊ねてくる。英司はバッテリーの残量を示す値に素早く目を走らせると、ひと呼吸置いて答えた。
「上から見張ることは可能ですが、激しく動き回ったせいでバッテリーがあと十分ほどで切れます」
 ドローンに見張られていることは既に連中にも伝わったはずだ。今、バッテリー交換のためにドローンを戻せば、その間に奴らは間違いなく姿を隠す。そして以降は二度と監視の目にかからないような行動を取るだろう。つまりドローンに連中を捉えておけるのはたぶんこれが最後の機会だ。それも残り十分ほどで潰える。こうなってはドローンを使った戦術は諦めるしかあるまい、そう思った彼に告げられた智哉の言葉を聞き、英司は息を呑んだ。
「よく聞け。大事なことを言うぞ。ドローンは絶対に戻すな。方向からこちらの居所が悟られる。墜落しても構わない、というか回収は諦めろ。撃ち落とされることだけ注意して可能な限り追尾し続けるんだ。俺はその間に、ロケット砲が使える位置まで接近できないかやってみる。こっちにもゾンビに襲われない人間がいるとは思っていないはずだからな。この短時間での攻撃は予想外だろう。もし移動の途中で見つかったり、ドローンの墜落までに間に合わなかったりすれば撤退する。さすがにこの人数差で撃ち合って勝てると考えるほど己惚れちゃいないからな。攻撃が成功しても失敗しても俺が戻る前に連中がこちらに向かって来るようなら構わないから俺を置いて逃げろ。防御服を着ていれば運転席でも余程近くで鉢合わせしない限りゾンビに気付かれることはない。いいか、くれぐれも言っておくぞ。俺を待とうなんて思うなよ。一人でなら歩いてだって帰れるんだからな」
 そうこう話している間も智哉は手を休めることなく再度、助手席のドアを開け中から黒光りする円筒状の物体を取り出した。彼が言うところのロケット砲──自衛隊においては一一〇ミリ個人携帯対戦車弾の名称で呼ばれる使い捨てロケットランチャーの一種、またの名をパンツァーファウスト3。個人携行とは言うものの、対戦車兵器に分類されるだけあってひと目で圧倒的な重量感と禍々しさが伝わる。英司も一度担がせて貰ったが、使い捨ての弾頭及びカウンターマスの装填された発射チューブと再使用可能なグリップ部を合わせたその重量は十四キロ近くにも及び、とても一人で背負って移動しようなどという気にはなれなかった。しかもドローンのバッテリー残量を考えればあと十分のうちに、ここから連中までの距離約二キロを走破する必要がある。果たして本当に間に合うのだろうか?
 英司がそんな考えを巡らせていると、隣で絵梨香が智哉に注意を促した。
「向こうが使っていた装備品だけど、見た感じじゃたぶん米軍由来のものだと思う。銃身バレル長からするとM16のカービンモデルであるM4の可能性が高い。自他共に認める世界最強の軍隊が制式採用しているアサルトライフルよ。どうやって入手したかは不明だけど、そんなものを持っているとなると他にも何かあると考えた方が良いわ。特にグレネード系の爆発物や長距離狙撃に注意して。絶対に無茶だけは止めてよ。いいわね?」
 そうした会話の最中も英司は二度とヘマはしないという決意の下、片時もドローンが送ってくる映像から目を離すことなく、連中を視界に収め続けていた。そこには事前に知らされていたにも関わらず、本当に沙織や自分と大して年の変わらなさそうなセーラー服を着た少女や女子大生風の若い女の姿が映って驚いた。智哉曰く、脅されて従っているわけではないとのことだったが、こうして見ていると本当にそうなのかと疑念が湧いてくる。無論、今の英司に智哉の確証を覆すだけの根拠がないのは明らかだ。せめて彼女達の表情でも読み取れればと思うのだが、銃撃を警戒して距離を置いている現状では見失わずにいるだけで精一杯だった。
 そのうち、頭上を飛び回るドローンに業を煮やしたらしく、連中は手近な一軒家に押し入った。それで監視が振り切れるはずもないが、無駄に動いて疲れるよりはこちらのバッテリー切れを待つつもりなのかも知れない。現在の技術ではドローンがさほど長く飛んでいられないことを知っているのだろうか? 無線の発信源を追跡するテクニックといい、その手の技術に詳しい人間がいてもおかしくない気はする。暴力だけの集団と侮らない方が良さそうだ。
 連中が籠城したことは早速、走り始めていた智哉にも無線で伝えられた。さすがに室内まで覗く手段は持ち得ないので、奴らが外に出て来るのを見逃さないよう英司は監視の目を強めた。
「念のため、私は防護服に着替えておくわ。あなたは映像から目を離さないで。奴らを見失ったら終わりよ」
 絵梨香のその言葉に頷き、英司は先程の脳裏にこびり付いた少女の姿を振り払う。どの途ここからでは手の出しようがない。加えて智哉の指示に従うなら危うくなる前に自分達は退散して良いことになっている。なのに、わざわざ敵の身を案じて火中に飛び込むような真似をするなど自殺願望でもなければあり得ない話だ。第一、自分は他の全てを見捨てでも沙織を護ると決めたばかりではないか。わかってはいた。わかってはいたのだが──。
 尚も英司の心中には底知れぬやり切れなさと、それを上回る自己嫌悪が激しく渦巻いていた。

(何だってロケット弾っていうのはこうも重いんだ)
 個人携行なんて絶対嘘に決まっている、こいつを作った奴らは他人が苦しむのを見て喜ぶサディストだったに違いない、それとも単なる無能の集まりか、だから碌に軽量化もできずに世界中の兵士を苦しめているんだ、だけどみんな見ていろよ、もしそいつと遭ったら俺が代わりにぶっ殺してやる、それも簡単に死なせたりしないぞ、まずは手足を撃ち抜いて、次にナイフで耳と鼻を削ぎ、その後目玉に針を突き立ててやるからな──そう智哉は胸の裡で毒突いた。
 他にも阿呆だ、間抜けだ、馬鹿だ、糞だ、とあらん限りの罵詈雑言を心の中で叫び続ける。そうでもしていないと今にも気持ちが折れて立ち止まってしまいそうだったからだ。息はとっくに上がっていて、走る足取りも覚束ない。心臓は聞いたことのない速度で脈打ち、周囲を警戒する余力も無くなった。こんな状態で敵と遭遇したら、抵抗する間もなくやられるのは目に見えている。それでもこの機会を逃せば次は狩る側から狩られる側に立場が入れ替わるとの焦燥感が、今にも倒れ込みそうな身体を辛うじて突き動かした。その必死な甲斐があってか、やがてフラフラになりながらも何とか連中が身を潜めるという家屋から三百メートルほどの地点まで辿り着く。ここからは息を整える間もなくドローンの映像を見ている絵梨香の指示に沿い、慎重に接近を試みる。死角から近寄るため、相手に気付かれない代わりにこちらも向こうの姿を視認することはできない。真正面からの銃撃戦になれば到底勝ち目はないので、これは致し方ないと言えるだろう。故にドローンによる支援が不可欠だった。死に物狂いで駆けて来た理由はまさにそのためだ。何としてでもその苦労に見合うだけの成果を挙げなければならない。まさか連中もこちらがロケット砲で武装しているとは考えていないはずだ。一撃でけりを着けることができれば、人数による不利も奴らの凶暴さも関係なくなる。
 それが唯一の光明と思えたが、射線が開けるまで残すところ数十メートルという地点で、突如上空を飛ぶドローンの挙動がおかしくなり始めた。智哉の居場所からでもはっきりとそれがわかった。右に左に二度三度ふらついたかと思うと、あっという間に浮力を失い、一直線に地上へと落下していく。同時に無線から英司の悲痛な叫びが聞こえた。
「駄目です。これ以上、高度を維持できません。落ちる──」
 続けざまに何かがアスファルトにぶつかって砕け散る硬質な音が響いた。ドローンであるのは疑いようがない。直ちに絵梨香から連絡が入る。
「映像が途切れたわ。監視無しでは危険よ。すぐに戻った方がいい」
 ドローンが墜落したことは奴らも気付いたに違いない。これで大手を振って行動し始めることだろう。絵梨香に言われるまでもなく、この先はいつどこで出喰わしても不思議ではない。それでも智哉はやや迷った末に、作戦を継続することにした。
「こんな機会はもう二度と来ない。奴らが動き出す前ならまだやれる可能性はある。それに賭けてみる。集中したいから交信は暫く控えるぞ」
 そう言って無線を切ると、残る距離を一気に詰めるべく再び全速で駆け出した。そして連中が立て籠もっていると教えられた一軒家の裏庭が見通せる通りの四つ角に到達する。ここからならロケット砲で狙うのに充分な距離だ。後方にバックブラストを遮る障害物もなく、理想的な射撃ポイントと言える。玄関側の様子は不明だが、もし連中がまだ屋内に留まっていれば只では済むまい。そうであることを願いつつ智哉は急いで照準器や折り畳み式グリップを展開して発射態勢を整えた。先端のプローブは一瞬選択を迷うが縮めたままにしておく。日本の家屋程度なら戦車の装甲を打ち破るほどの貫通力は必要なく、HESH(High Explosive Squash Head)弾──和名では粘着榴弾──として使用した方が効果が高いと判断したためだ。こうしておけば爆発力は一点に集中するのではなく、広範囲に拡がり、隅々まで破片を撒き散らすことができる。あとはその威力が期待通りのものであることを祈るだけだ。智哉は唇を舐め、息を止めると引き金を絞った。

 リビングに居て爆発が起きた裏庭とはちょうど正反対の玄関口に向かおうとしていた杉岡は、ふと背後に何かの気配を感じ取り振り返ったところで、爆風に巻き込まれた。音よりも速く飛来した瓦礫が彼の左脇腹をそこにあった臓器ごと瞬時に抉り取ったため、起こったことを知るより早く手遅れとなっていた。即死こそ免れたが、杉岡が出血性ショックで意識を失わずにいられたのはほんの数秒で、その間に彼が思い浮かべたことは何もなかった。よくある走馬灯の如く甦る記憶も、家族の顔も、これまでに殺した相手への罪悪感も何一つ持たなかったのである。最期の瞬間に至るまで自分の人生も他人の人生もまったく顧みることなく杉岡は死んだ。
 その杉岡の前を行き、廊下に出たばかりだった村山は、背中から突き飛ばされるような衝撃で床を三メートルほども転がった。だが、奇跡的に飛び散った破片も急激な負圧も彼に深刻なダメージを与えることはなく、一時的に平衡感覚が失われたせいで即座に立ち上がることはできなかったものの、意識は途絶えず保たれており、攻撃を受けたことはすぐに理解した。やっとのことで背後を振り向くと、粉塵越しに室内で竜巻でも発生したかのような折り重なって散乱する瓦礫の山が目に入った。この分では後ろにいた杉岡は殺られたに違いないと即座に悟った。
(だから時間稼ぎなんてまどろっこしい真似なんてしてねえで、さっさとドローンを操縦している奴を探しに行きゃあ良かったんだ)
 しかし、その村山の主張は朝田の、どうせドローンは長くこの場に留まれないだろうから帰還する方向を見定めて後を追えば良い、という意見により却下された。村山は不満だったが、今まで朝田に従い行動してきて結果的に後悔したことはなかったので、今回も受け容れることにした。ところがこのザマだ。今更ながらに朝田でも間違うことはあるのだという当たり前の事実に行き当たった。杉岡はそのせいで死んだのだ。ならば朝田の意見に闇雲に沿うばかりが能ではあるまい。次からは自分の言うことにももっと耳を傾けるよう進言しよう。だが、その前にやるべきことがある。死んだからといって別段心は痛まないが一応は仲間だった杉岡を殺し、自分をこんな目に遭わせた野郎は絶対に許しておかない。必ず見つけ出して文字通り死ぬほどの後悔を味わわせてやる。村山は体の自由を取り戻すまでの間、瓦礫に埋もれながらひたすらドス黒い復讐の念だけを燃やし続けた。
 既に家の前の道路に出て移動しかけていた他の四人は爆発の影響をもろに受けることはなく、軽い火傷やかすり傷程度は負ったものの、全員が無事だった。もっとも突発的な出来事だったことには変わりなく、咄嗟に対応できた者は一人もいなかった。その中でも比較的早く立ち直ったのはやはりと言うか当然と言うべきか、元警察SAT隊員の肩書きを持つ瀬戸で、爆発の方向から襲撃は裏手より行われたと推測し、次に取るべき行動について考えを巡らせ始めた。攻撃に使われたのは実物を見たことはないが知識だけはあった恐らく使い捨て対戦車兵器LAWの類いだろうが、そんなものを用意していたとなると、敵は予想していたよりも遥かに狡猾で戦い慣れている可能性が高い。セオリー通りならこの後追撃が来ることはほぼ必至だ。今、正面から組織立って攻められればひとたまりもないだろう。問題は自分達と違ってゾンビが跋扈する中でそれを遂行できるかということだが、こればかりは考えても埒が明かなかった。
(草食獣を狙ったつもりが、藪を突いたら猛獣が潜んでいたということか。さて、そうなるとどうしたものか……)
 一方的に蹂躙することには長けていても逆襲されることには不慣れなグループだ。村山達の姿も見えず、生きているのかどうかさえ定かではない。一先ず後退して態勢を立て直すにしても引くことなど誰一人微塵も考えたことがなく、逃走ルートも決めてこなかったツケがここに来て重く圧し掛かる。第一、それを千秋が素直に承服するとも思えなかった。
(まあいい。面倒事は全て他の奴に押し付けると決めたことだしな。悩むのは他人に任せるさ)
 結局、考えるのを途中で放棄して、近くに蹲る朝田に、この後どうするんだ? と丸投げするも同然に訊ねた。逃走するか応戦するか直ちに決めてくれ。どの途、包囲されていればどう足掻いたところで逃れようがない。迎え撃って死のうと逃げて待ち伏せに遭い死のうとこの際大差はない、というのがここでの瀬戸の心境だった。どうせ千秋と巡り合わなければとっくに終わっていた命だ。仮にこの場を自分だけが無事に切り抜けようと、彼女を失えば同じことの繰り返しになる。漫然と死を待つだけの人生など御免被る。元より呪われた己の性癖に気付き、その欲望に忠実になると決意した時から真っ当な死に方ができるとは瀬戸自身考えていなかった。自分が警察組織に身を置くからこそ、彼らの捜査能力を侮ってはおらず、いずれ身内に暴かれるのは止む無しと覚悟していた。それまでの間、なるべくひっそりと若い女を殺してその死体を弄ぶことができれば本望だった。世の中には行方不明になっても騒がれることのない種類の人間もいるのだ。警察に所属していればそうした者を見つけ出すことは容易だった。無論、このことが明るみになれば現役警察官の猟奇的な犯罪として世間の耳目を集めることになろうが、その前に命を絶つ予定だったから気にする必要もなかった。ところが、である。思いも寄らぬ形でその将来像は覆された。瀬戸にとってこの数ヶ月間は自らの人生における、いわばロスタイムに等しかった。だから早々に死ぬことを前提に、愉しむことだけを至上の目的として行動してきたのだ。もはやいつ己の人生が終わっても悔いはない。残る関心事と言えばたぶん自分以上の怪物であろう千秋の行く末を見届けることくらいだが、それも可能ならといった程度でさしたる執着はなかった。
 そんな瀬戸の呼びかけに漸く顔を上げた朝田は周囲を見渡し、少し離れた場所に千秋の無事な姿を見つけると、安堵の吐息を洩らした。そして瀬戸に向かって言った。
「一旦引こう、瀬戸さん。千秋の安全が何より一番だ。それさえ保てれば後のことは何とでもなる。逆に千秋に何かあれば俺達全員、死ぬしかない。本人が嫌がっても何とか説得して連れて行く。瀬戸さんは退路の確保を頼む」
 引くとなれば村山や杉岡が生きていた場合見捨てることになるがいいのか、と瀬戸が訊き、あいつらだってはぐれればそうなることくらい覚悟している、と朝田は、そんなの当たり前じゃないか、と言いたげに告げた。
「とにかく千秋を護る。それ以外は全部後回しだ」
 それにしても今のは何だったんだ? と独り言のように問うた朝田に、たぶん小型のロケットランチャーかそれに近いものだろう、と瀬戸は返した。銃くらいなら用意しているかもとは考えていたが、よもやそんなものまで準備済みとは只の民間人じゃなかったのか、そう捉えて朝田は表情を曇らせる。
「無線で脅しをかけた限りじゃそんな素振りはなかったんだが。警察や自衛隊の生き残りか何かだろうか……」
 その呟きに瀬戸は少し考えて首を振る。
「いや、そうとは限らないぞ。それならとっくに追撃があってもおかしくない。さっからそれを警戒していたんだが、どうやらそんな気配はなさそうだ。ゾンビに阻まれて近寄れない可能性もなくはないが、だったら戦闘音くらいするだろう。思うにさっきのアレが精一杯だったんじゃないか。今時のLAW──携帯式ロケットなら子供にでも扱える。何しろ砲身に懇切丁寧な説明書きが載っているくらいだからな。自衛隊もあちこちでやられているから放棄された武器を素人がたまたま手に入れて使ったとしてもあり得なくはない」
 確かにそう考えれば攻撃が単発だったのも頷ける。だが、朝田はまだ半信半疑のままだった。
「瀬戸さんが言うからにはそうかも知れないが……どちらにしても確かめている余裕はないしな。すぐにこの場を離れないと。詮索するのは無事に逃げ果せてからでいいか」
 それだけ言って朝田は千秋達の下へ駆け寄る。
 その千秋はサチエと共に朝田達より二十メートルほど離れたコンクリートブロック塀の陰に身を潜めていた。既に千秋自身は当初の驚愕からは立ち直っており、今は怯えて自分にしがみ付くサチエを内心では疎ましく思いながらも、こんな女でも傍らに置いておけば弾避けくらいの役には立つだろうと何も言わずに好きにさせている。無論、足手纏いになるようなら即座に切り捨てる気なのは言うまでもない。そんなサチエを見ていて千秋はあることをふと思い付き、深く考えもせず口にした。
「ねえ、サチエ。ちょっと思ったんだけど、あなた、もっと色っぽい恰好をした方が良いんじゃない? ほら、もっと胸元を拡げておっぱいを強調するとか。無駄に大きいだけが取り柄なんだから」
 唐突に場違いと思える発言をし始めた千秋に、サチエは困惑する。こんな時に一体何を言い出すのだろうか? わけがわからず返答に詰まるサチエを置き去りにして、尚も千秋は喋り続けた。
「スカートもたくし上げて短くしたら? そうだ、いっそのこと下着姿で過ごすっていうのはどうかな? そうすれば敵だって油断するでしょ? 武器を持ってないことも示せて、一石二鳥じゃない。いきなり撃たれることにもならないと思うわ。どうせ胸もあそこも散々見られてきたんだから今更恥ずかしがる必要もないはずだし。ねえ、そうしようよ」
 冗談よね? と訊き返そうとして何故かサチエは口籠った。まさか本気なのかと蒼ざめかけたところに朝田と瀬戸がやって来て、一旦その件は保留となる。ホッとしたのも束の間、残る二名──村山と杉岡の姿が見当たらないことに気付く。通りを挟んだ向かい側では先程まで自分達の居た一軒家が濛々と土煙を上げて崩れかけている。恐らく、二人はあの中に違いない。死んだのだろうか? だとしたら喝采を叫びたい。これまで自分のことを千秋に捨てられたら犯すか殺すくらいにしか見ていなかった連中だ。戦力を失ったことより、不安の種が減った方が勝った結果だった。
 内心の安堵感を押し殺すサチエの前で、朝田が口惜しそうに告げた。
「見ての通り攻撃を受けたのは間違いない。相手は十中八九、俺達が狙っていた連中だろう。追い詰められて反撃に出たわけだ。そうなったら探す手間が省けると思ってはいたんだが、正直言ってここまでやってくるとは予想外だった。窮鼠猫を噛むじゃないけど甘く見ていたことは認めるよ。ここは一度引いて出直そう。千秋さえいればこっちが圧倒的に有利なのは変わらないんだ。その証拠に敵も追撃して来ない。もうこんなことは二度とさせないと誓うよ。だから、今回だけは従ってくれ」
 朝田の言い分はこの場合極めて正当な意見だとサチエにも思えた。もちろん、千秋がここを離れればその影響は失われ、例え村山や杉岡が生き延びていたとしてもゾンビに襲われることは避けられない。ただ、それを千秋が気にするとは思えないし、自分も同じだ。問題は激しく憤り敵が姿を現せばゾンビをけしかける気満々の千秋が素直に納得するかだが、果然難色を示した。
「逃げるなんて絶対嫌よ。不意打ちじゃなければやられないわ。仮に向こうが銃を持っていたって要は撃たれる距離にまで近寄らせなければ良いわけでしょ? ゾンビを盾にすればわけない」
 何だったら自分一人でもやるから逃げたければ好きにしたら、その時はゾンビから護ってやれないけどしょうがないよね、と言う千秋を朝田が何とか宥める。サチエからすればわざわざ手強い相手を敵に回す心理が理解できない。殺したいなら弱い連中を選べば良いではないか、と思ってしまう。無論、そんなことを口には出せないが。普段は千秋の意見に逆らうことのない朝田も今回ばかりは違った。何よりも千秋の身が大事、と主張して引き下がろうとはしない。余程、攻撃を受けたことがショックだったらしい。瀬戸は傍で愉快そうに二人のやり取りを見守っているだけで端から口を出す気はないようだ。結局、両者の意見は平行線を辿ったまま、やがて議論に飽きた千秋が朝田を無視して歩みかけたその時、急に何かを思い出した様子でこんなことを言い出した。
「そういえば忘れていたけど、さっき閃いたことがある。要は私が危険に晒されなければ良いわけでしょ? だったら試してみない? それで上手くいかなかったら言う通りにするから」
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