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番外編 凛太郎と天音
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ある日の深夜、凛太郎のスマートフォンにメッセージが入った。相手は昴からだった。
『明日の残業はお前がよろしく。あと、俺の車の回収も、俺の家に置いといて。場所は、moonlight』
その文面を見て、静かに舌打ちをする。どうして他人の車を回収に行かなければならないのか、凛太郎に対し、昴は時折、こういった無茶を言う。恩人ではあるが、腹立たしいのには変わりない。それに、凛太郎には、同棲している彼女、天音がいる。それがわかっているのに残業を押し付けるあたり、少し意地が悪いとさえ思ってしまう。でも、彼女を優先するあまり、最近は、仕事に関することは疎かにしていたことは、間違いない。その皺寄せが部下や昴がきていることも、少しは理解している。
どう足掻いても、たまには以前のように働く他ないだろう。昴への返事はもちろん『了解』の2文字だ。
翌朝、凛太郎は、いつも通り天音とともに家を出る。
以前、会社までの送り迎えを申し出たことがあったが、丁重に断られ、今ではマンションのエントランスまでが2人共通の通勤路となった。
「じゃあね、凛ちゃん。行ってらっしゃい。」
天音は、元気にそう言い、凛太郎とは別の出入り口へと向きを変える。
「天音さん。」
凛太郎は、そう呼びかけ、天音の手を握る。不思議そうに凛太郎を見つめる天音は、次に起こることを察して、目を閉じる。
すぐに額に柔らかいものが触れる。凛太郎は、天音の額にちゅっと口付ける。
「今日、遅くなる。ご飯先に食べてて。」
「うん、わかった。気をつけてね。」
名残惜しそうに凛太郎は、天音の手を離す。去っていく天音を見送ると、すぐにマンションの駐車場へと向かう。
*******
仕事は順調に進んでいたが、残業を回避するのは困難だった。腕につけた時計の針が一刻と過ぎていく。
「はぁ。」
思わずため息が漏れる。その声に部下は、ただならぬ空気を感じたように、背筋が伸びる。
「すみません。手際が悪くて。」
そう言った1人の顔を凛太郎は、じっと見つめる。ここで何か小言を言って変わるのか、以前の自分なら問答無用に叱咤していたところだが、今は違う。天音と暮らし始めたことで、人間らしい慈しみの気持ちを多少なりとも取り戻した、気がした。もちろん、怒りが制御できないこともあるのだが。
「あぁ。」
そう答えると、凛太郎は、部下の仕事ぶりを監視しながら、自らは手に持った電子端末を見つめる。今日の仕事の出来高は、良好だ。残業した甲斐があったものだ。あと小一時間もすれば帰れる、そう思った時刻は午後10時を過ぎていた。
*******
午前中に昴の車の移動を終え、午後からは残業や土日に出てくることを避けたかったので、無心で働いた。
そして、マンションの駐車場に到着したのが午後11時18分だった。日付を跨ぐ前に帰宅できたことに胸を撫で下ろす。この時間だと、まだ彼女は起きていると確信できた。軽い足取りで駐車場内を移動していると、違和感を覚える。凛太郎の目の前には、今朝回収を終えたはずの車が停車していた。その場所は、マンションに訪れた客人のための駐車スペースだった。まさか、と思い、凛太郎は、コンシェルジュにも目をくれず、急足でエレベーターに乗り込む。高層階に移動する時間でさえも心が波立つ。
チン、そう音が鳴り、エレベーターの扉が両側にスライドし、開く。開き切るのを待たずに、エレベーターを降りる。あの車は間違いなく、アイツのだ。家の鍵を鍵穴に差し込む。が、思った方向に回らない。鍵はすでに開いていた。鍵を抜き、ポケットに押し込むと、扉を開ける。玄関には二足の見慣れない靴が置いてあった。誰がきている、凛太郎の脳内に疑問符が浮かぶ。後ろ手に鍵を閉めると、大股でリビングルームまで歩く。扉をゆっくりと開ける。
「あ、おかえり、凛ちゃん。遅かったね?」
そう言ったのは、天音だった。
そして、その両隣には、昴、ウイが座っていた。
「何で2人が……」
呆然と立ち尽くす。やっと気持ちを休ませることができると思った矢先に、凛太郎にとっては、少し面倒な面子が揃っていた。
「あら、ごめんなさい。私も天音と過ごしたかったの。」
「……天音に言ったのか。」
「凛ちゃん、聞いたよ。ウイは、翼なんだよね。」
「わりぃ、凛太郎。ウイの気持ちを察してやれ」
「天音さんが笑ってるから良いものの、受け入れられなかったらどうするつもりだったんだよ」
今にも掴み掛かりそうな勢いで凛太郎が言う。凛太郎は、天音のことが心配でたまらないのだ。翼の過去と今を知って、自暴自棄になったりでもしたら、とても見ていられない。
「大丈夫だよ。私はね、翼が翼らしく生きてくれていたら、それで良かったから。ね、凛ちゃん、ご飯食べよ?」
宥めるように凛太郎の顔を覗き込む。
「…手洗ってくる。」
そう言って、背を向ける凛太郎に、昴は、苦笑いをしている。
「お前、アイツの相手大変じゃね?」
「まるで猛獣使いね。」
くすくすと笑い始める2人を見て、天音もつられて笑う。
「凛ちゃん、すごく優しいでしょ」
そう言いながらキッチンへ向かい、夕食が乗った皿をレンジへ入れ、電気ケトルのボタンを押す。凛太郎の食事を準備し始めたところで、凛太郎は、すぐにリビングへ戻る。相変わらずムッとした表情だ。凛太郎、昴、ウイがテーブルを囲む姿を見ることができるとは、天音も思ってはいなかった。
「凛ちゃん、食べて。」
天音は、凛太郎の前に夕食が載った皿とお茶を出す。
「昴とウイが買ってきてくれたんだぁ。美味しかったよ。」
サンキュ、手短にそう言うと凛太郎は食事を口に運ぶ。
凛太郎と天音のそのやり取りは、微笑ましく。茨の道が待っているなど、誰も想像できないほどだった。きっと彼らはこの先、どんな困難が訪れても、2人でどうにかやり過ごしてしまうのだろう。
『明日の残業はお前がよろしく。あと、俺の車の回収も、俺の家に置いといて。場所は、moonlight』
その文面を見て、静かに舌打ちをする。どうして他人の車を回収に行かなければならないのか、凛太郎に対し、昴は時折、こういった無茶を言う。恩人ではあるが、腹立たしいのには変わりない。それに、凛太郎には、同棲している彼女、天音がいる。それがわかっているのに残業を押し付けるあたり、少し意地が悪いとさえ思ってしまう。でも、彼女を優先するあまり、最近は、仕事に関することは疎かにしていたことは、間違いない。その皺寄せが部下や昴がきていることも、少しは理解している。
どう足掻いても、たまには以前のように働く他ないだろう。昴への返事はもちろん『了解』の2文字だ。
翌朝、凛太郎は、いつも通り天音とともに家を出る。
以前、会社までの送り迎えを申し出たことがあったが、丁重に断られ、今ではマンションのエントランスまでが2人共通の通勤路となった。
「じゃあね、凛ちゃん。行ってらっしゃい。」
天音は、元気にそう言い、凛太郎とは別の出入り口へと向きを変える。
「天音さん。」
凛太郎は、そう呼びかけ、天音の手を握る。不思議そうに凛太郎を見つめる天音は、次に起こることを察して、目を閉じる。
すぐに額に柔らかいものが触れる。凛太郎は、天音の額にちゅっと口付ける。
「今日、遅くなる。ご飯先に食べてて。」
「うん、わかった。気をつけてね。」
名残惜しそうに凛太郎は、天音の手を離す。去っていく天音を見送ると、すぐにマンションの駐車場へと向かう。
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仕事は順調に進んでいたが、残業を回避するのは困難だった。腕につけた時計の針が一刻と過ぎていく。
「はぁ。」
思わずため息が漏れる。その声に部下は、ただならぬ空気を感じたように、背筋が伸びる。
「すみません。手際が悪くて。」
そう言った1人の顔を凛太郎は、じっと見つめる。ここで何か小言を言って変わるのか、以前の自分なら問答無用に叱咤していたところだが、今は違う。天音と暮らし始めたことで、人間らしい慈しみの気持ちを多少なりとも取り戻した、気がした。もちろん、怒りが制御できないこともあるのだが。
「あぁ。」
そう答えると、凛太郎は、部下の仕事ぶりを監視しながら、自らは手に持った電子端末を見つめる。今日の仕事の出来高は、良好だ。残業した甲斐があったものだ。あと小一時間もすれば帰れる、そう思った時刻は午後10時を過ぎていた。
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午前中に昴の車の移動を終え、午後からは残業や土日に出てくることを避けたかったので、無心で働いた。
そして、マンションの駐車場に到着したのが午後11時18分だった。日付を跨ぐ前に帰宅できたことに胸を撫で下ろす。この時間だと、まだ彼女は起きていると確信できた。軽い足取りで駐車場内を移動していると、違和感を覚える。凛太郎の目の前には、今朝回収を終えたはずの車が停車していた。その場所は、マンションに訪れた客人のための駐車スペースだった。まさか、と思い、凛太郎は、コンシェルジュにも目をくれず、急足でエレベーターに乗り込む。高層階に移動する時間でさえも心が波立つ。
チン、そう音が鳴り、エレベーターの扉が両側にスライドし、開く。開き切るのを待たずに、エレベーターを降りる。あの車は間違いなく、アイツのだ。家の鍵を鍵穴に差し込む。が、思った方向に回らない。鍵はすでに開いていた。鍵を抜き、ポケットに押し込むと、扉を開ける。玄関には二足の見慣れない靴が置いてあった。誰がきている、凛太郎の脳内に疑問符が浮かぶ。後ろ手に鍵を閉めると、大股でリビングルームまで歩く。扉をゆっくりと開ける。
「あ、おかえり、凛ちゃん。遅かったね?」
そう言ったのは、天音だった。
そして、その両隣には、昴、ウイが座っていた。
「何で2人が……」
呆然と立ち尽くす。やっと気持ちを休ませることができると思った矢先に、凛太郎にとっては、少し面倒な面子が揃っていた。
「あら、ごめんなさい。私も天音と過ごしたかったの。」
「……天音に言ったのか。」
「凛ちゃん、聞いたよ。ウイは、翼なんだよね。」
「わりぃ、凛太郎。ウイの気持ちを察してやれ」
「天音さんが笑ってるから良いものの、受け入れられなかったらどうするつもりだったんだよ」
今にも掴み掛かりそうな勢いで凛太郎が言う。凛太郎は、天音のことが心配でたまらないのだ。翼の過去と今を知って、自暴自棄になったりでもしたら、とても見ていられない。
「大丈夫だよ。私はね、翼が翼らしく生きてくれていたら、それで良かったから。ね、凛ちゃん、ご飯食べよ?」
宥めるように凛太郎の顔を覗き込む。
「…手洗ってくる。」
そう言って、背を向ける凛太郎に、昴は、苦笑いをしている。
「お前、アイツの相手大変じゃね?」
「まるで猛獣使いね。」
くすくすと笑い始める2人を見て、天音もつられて笑う。
「凛ちゃん、すごく優しいでしょ」
そう言いながらキッチンへ向かい、夕食が乗った皿をレンジへ入れ、電気ケトルのボタンを押す。凛太郎の食事を準備し始めたところで、凛太郎は、すぐにリビングへ戻る。相変わらずムッとした表情だ。凛太郎、昴、ウイがテーブルを囲む姿を見ることができるとは、天音も思ってはいなかった。
「凛ちゃん、食べて。」
天音は、凛太郎の前に夕食が載った皿とお茶を出す。
「昴とウイが買ってきてくれたんだぁ。美味しかったよ。」
サンキュ、手短にそう言うと凛太郎は食事を口に運ぶ。
凛太郎と天音のそのやり取りは、微笑ましく。茨の道が待っているなど、誰も想像できないほどだった。きっと彼らはこの先、どんな困難が訪れても、2人でどうにかやり過ごしてしまうのだろう。
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