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2.幻となった大陸
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それは、海面が夕日に紅く染まる頃の事――
突然、ゴボッと音をたて、ルシェが大きな泡を吐いた。
喉を抑え、苦しそうに体をくの字に折るルシェの腕を掴み、慌てて海面に上げようと強く引く。
しかし、僕よりも頭二つ分小さいルシェのその体は、どういう訳か巨大な沈没船のように重く、全く持って浮力を感じさせない。
何かに引っかかっているのかと思い、改めてルシェの体を見れば。その体には青白く光る太い鎖がいつの間にか、きつくきつく巻き付いていた。
最後にコホッと小さな気泡を吐いた後は、ルシェはもう苦しそうな様も見せず、まるで幼子がするように眠たげに目を擦りながら、
「たった一日だけでも、最期にまたレリに会えて本当に嬉しかった」
と、そんな意味の分からない事を言った。
最期って何だ。
ここでルシェの未来が閉ざされるだなんて、そんな、そんな馬鹿な話があってなるものか。
何でも持っているルシェの素晴らしい未来が、僕なんかに魅入られたせいで閉ざされるような事等、絶対にあってはならない。
そう思い僕はルシェの腕を掴み、必死に足掻いたのだけれど……。
そんな僕の願いを置き去りに
「おやすみ、レリ」
小さくそう呟いた後、ルシェは、そっと僕が焦がれてやまないそのダークグリーンの瞳を瞼の下に隠した。
そして、その後僕がどれだけ強く願っても。
彼がその瞼を開いて見せてくれる事は二度と無かった。
ルシェを縛る鎖が、自然の理に還って行く事を許さないのだろう。
決して少なくない時間が流れても、その体が腐敗する事は無かった。
そうして、まるで永い永い夢を見るように死せるルシェの傍で。僕はルシェが残した古い古い科学書のページを、彼を悼むように、ゆっくりゆっくり捲った。
ある日、僕はその本の中に、古い装置の記述を見つけた。
大きな地場嵐を意図的に引き起こすその装置を用いれば、量子の縺れが起こり、重ね合わせの原理により観測されなかったはずの事象の観測が可能……。
早い話が、過去を改変する事さえ出来たのだという。
もっとも、それによる周囲への影響は甚大で。
今日では、その装置はもちろん、それに関する研究の記録の一切が破棄され久しいらしい。
しかし、こんな本にさえ、その存在の記述が残っているくらいだ。
きっと、世界のどこかにその装置のまだ何台かはコッソリ隠されているに違いない。
人間というものは、概してそういう業の深いものである事を僕は良く知っている。
明日目が覚めたら、その装置を探しに行こう。
そうして、ルシェが僕を見つける前に、僕なんかに魅入られる前に、僕は僕自身の“廃棄”を願うんだ。
そうすれば、ルシェがこんな所にむざむざ死にに来ることも無い。
僕はルシェに、彼が享受すべきだった輝かしい未来を返すのだ。
ルシェの僕の物と余り変わらないくらい大きくなっていた手に触れながら、重くて仕方がない瞼を閉じる。
ずっと。
ずっと、彼の体温で火傷したって構わないから、いつだってガラス越しに僕に向けて懸命に伸ばされるルシェのその手に、直接触れてやりたいと思っていた。
しかし、ようやく自由に触れられるようになったルシェの手は、冷たい海の水ですっかり冷やされ、触れても微かな痛みさえ感じられないくらい冷たく凍えてしまっていて……。
僕はそれがどうしようもなく哀しく、また同時にそうなってなお、その手がどうしようもなく愛しく思われて仕方がなかった。
******
次に目が覚めた時、僕は人間の子どもの姿をしていた。
物心ついた頃には既に前世の記憶はほとんど戻っていたが、この世界の常識も、言葉も、本当に何も分からなくて。
「ねぇ、これは何の機械? 嵐は? これで嵐は起こせる?!」
「嵐?? これは、お父さんがお仕事のお手紙を書いたり調べものをする機械だよ。明日の天気を知る事は出来るけど、嵐は起こせないなぁ」
「僕ね、ずっと嵐が起こせる機械を探してるの! ねぇ、それどこにあるの?! 早く教えて! 早く!!!」
焦りを上手く言語化出来る術もなく、長い事酷く歯がゆい思いをすることとなった。
そんな僕が、人間の子供達が通う学校になんて馴染める道理は当然無くて。
僕は父母、そして先生達の諦念に近い理解の元、義務教育と言われる時間の大半を、通っていた小中学校と同じ敷地内にある大学附属の図書館で過ごした。
図書館の地下にあるシンと静まり返った書庫の隅っこで、ルシェもこうして少なくない時間を過ごしていたのだろうかと、かつての主を恋しく思いながら、僅かにかび臭い古い本のページを捲る。
耳をつんざくような甲高い子供達の声と、煩わしいばかりの大人の心配げな視線から逃れられるこの空間だけが、僕の慰めだった。
かつて滅んだとされる、幻の大陸について書かれたこの本を開くのは、これで何百回目になるだろう。
大人達が言うように、僕が前世だと信じているあれは、僕が知らず知らずに作り上げていた夢物語なのではないかと、自分で自分が信じられなくなる度にこの本を開いていたから。
幻の大陸があったとされる海域にある島には人魚伝説が残っていて、人の上半身を切断しサメの下半身を繋げたと思しきミイラが数体見つかっていると書かれたページには、すっかり開き癖が付いてしまっていた。
突然、ゴボッと音をたて、ルシェが大きな泡を吐いた。
喉を抑え、苦しそうに体をくの字に折るルシェの腕を掴み、慌てて海面に上げようと強く引く。
しかし、僕よりも頭二つ分小さいルシェのその体は、どういう訳か巨大な沈没船のように重く、全く持って浮力を感じさせない。
何かに引っかかっているのかと思い、改めてルシェの体を見れば。その体には青白く光る太い鎖がいつの間にか、きつくきつく巻き付いていた。
最後にコホッと小さな気泡を吐いた後は、ルシェはもう苦しそうな様も見せず、まるで幼子がするように眠たげに目を擦りながら、
「たった一日だけでも、最期にまたレリに会えて本当に嬉しかった」
と、そんな意味の分からない事を言った。
最期って何だ。
ここでルシェの未来が閉ざされるだなんて、そんな、そんな馬鹿な話があってなるものか。
何でも持っているルシェの素晴らしい未来が、僕なんかに魅入られたせいで閉ざされるような事等、絶対にあってはならない。
そう思い僕はルシェの腕を掴み、必死に足掻いたのだけれど……。
そんな僕の願いを置き去りに
「おやすみ、レリ」
小さくそう呟いた後、ルシェは、そっと僕が焦がれてやまないそのダークグリーンの瞳を瞼の下に隠した。
そして、その後僕がどれだけ強く願っても。
彼がその瞼を開いて見せてくれる事は二度と無かった。
ルシェを縛る鎖が、自然の理に還って行く事を許さないのだろう。
決して少なくない時間が流れても、その体が腐敗する事は無かった。
そうして、まるで永い永い夢を見るように死せるルシェの傍で。僕はルシェが残した古い古い科学書のページを、彼を悼むように、ゆっくりゆっくり捲った。
ある日、僕はその本の中に、古い装置の記述を見つけた。
大きな地場嵐を意図的に引き起こすその装置を用いれば、量子の縺れが起こり、重ね合わせの原理により観測されなかったはずの事象の観測が可能……。
早い話が、過去を改変する事さえ出来たのだという。
もっとも、それによる周囲への影響は甚大で。
今日では、その装置はもちろん、それに関する研究の記録の一切が破棄され久しいらしい。
しかし、こんな本にさえ、その存在の記述が残っているくらいだ。
きっと、世界のどこかにその装置のまだ何台かはコッソリ隠されているに違いない。
人間というものは、概してそういう業の深いものである事を僕は良く知っている。
明日目が覚めたら、その装置を探しに行こう。
そうして、ルシェが僕を見つける前に、僕なんかに魅入られる前に、僕は僕自身の“廃棄”を願うんだ。
そうすれば、ルシェがこんな所にむざむざ死にに来ることも無い。
僕はルシェに、彼が享受すべきだった輝かしい未来を返すのだ。
ルシェの僕の物と余り変わらないくらい大きくなっていた手に触れながら、重くて仕方がない瞼を閉じる。
ずっと。
ずっと、彼の体温で火傷したって構わないから、いつだってガラス越しに僕に向けて懸命に伸ばされるルシェのその手に、直接触れてやりたいと思っていた。
しかし、ようやく自由に触れられるようになったルシェの手は、冷たい海の水ですっかり冷やされ、触れても微かな痛みさえ感じられないくらい冷たく凍えてしまっていて……。
僕はそれがどうしようもなく哀しく、また同時にそうなってなお、その手がどうしようもなく愛しく思われて仕方がなかった。
******
次に目が覚めた時、僕は人間の子どもの姿をしていた。
物心ついた頃には既に前世の記憶はほとんど戻っていたが、この世界の常識も、言葉も、本当に何も分からなくて。
「ねぇ、これは何の機械? 嵐は? これで嵐は起こせる?!」
「嵐?? これは、お父さんがお仕事のお手紙を書いたり調べものをする機械だよ。明日の天気を知る事は出来るけど、嵐は起こせないなぁ」
「僕ね、ずっと嵐が起こせる機械を探してるの! ねぇ、それどこにあるの?! 早く教えて! 早く!!!」
焦りを上手く言語化出来る術もなく、長い事酷く歯がゆい思いをすることとなった。
そんな僕が、人間の子供達が通う学校になんて馴染める道理は当然無くて。
僕は父母、そして先生達の諦念に近い理解の元、義務教育と言われる時間の大半を、通っていた小中学校と同じ敷地内にある大学附属の図書館で過ごした。
図書館の地下にあるシンと静まり返った書庫の隅っこで、ルシェもこうして少なくない時間を過ごしていたのだろうかと、かつての主を恋しく思いながら、僅かにかび臭い古い本のページを捲る。
耳をつんざくような甲高い子供達の声と、煩わしいばかりの大人の心配げな視線から逃れられるこの空間だけが、僕の慰めだった。
かつて滅んだとされる、幻の大陸について書かれたこの本を開くのは、これで何百回目になるだろう。
大人達が言うように、僕が前世だと信じているあれは、僕が知らず知らずに作り上げていた夢物語なのではないかと、自分で自分が信じられなくなる度にこの本を開いていたから。
幻の大陸があったとされる海域にある島には人魚伝説が残っていて、人の上半身を切断しサメの下半身を繋げたと思しきミイラが数体見つかっていると書かれたページには、すっかり開き癖が付いてしまっていた。
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