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昔話
無題
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これは、自分が選んだことだ。後悔なんてして良いはずがない。
・・・でも何故、過ぎ去った日々はあんなにも美しく、あの時感じた憎しみすらも
名残惜しく思ってしまうのだろう。
そして、こんな時でも君のことを考えてしまう自分がとても醜く思えてしまうのは
何故だろう。
―――静かな部屋の中、隅に蹲る一人の男。
かつて《どっちつかず》であり《武神》であったその男は、名を刀谷といった。
「病んでいる貴方は面倒臭い」
幼馴染であり《武神》である利斧が、そう言って溜息を吐く。
「・・・煩い」
ボソリと刀谷は言う。
妖に堕ちてから不安定になっていた体は落ち着いてきた。突然気を失ってしまう
こともなくなった。・・・だが、心は依然安定しないままだ。
「また来ます」
「もう来なくていい」
利斧の言葉に、刀谷は顔を上げることなく言う。
溜息を吐いて無言で部屋を出ていった利斧。部屋に残された刀谷は、静寂の中
考えを巡らせた。
・・・自分は逃げたのだ。ずっと逃げ出したいと願っていた、《武神》の使命
から。存在が消える直前に、従者である雪華と幸せに生きたいと願った。結果、
自分は妖として目を覚ました。だから、これが自分の願った幸せなのだ。
そう、そのはず。なのに、何故心がざわつくのだろう。自分は生きることに
しがみついて、何を忘れてしまったのだろう。
「・・・ああ、苛々する」
刀谷は呟く。その言葉が聞こえていたのか、扉の外にずっとあった気配が部屋の
中に入ってくる。
「雨谷様」
雪華の声に、刀谷は少し顔を上げた。
彼女はもう神の従者ではない。なのに、自分が信者を拒絶していた時期に命じた
雨谷と呼んでくれという命令を忠実に守ってくれている。
「少し、外に出ませんか?ずっと籠っていては、体調を崩されますよ」
「煩いっ!!!!」
伸ばされた雪華の手を振り払い、刀谷は叫ぶように言う。
苛々する。君の優しさも、その温かい手さえも。自分はもう君を守れない、
君が傍にいても君に何もしてあげられない。
君を傍に置いておく勇気もないのに、君に触れていたいという気持ちが湧き
上がってくるのが無性に腹立たしい。
「・・・申し訳ありません」
悲しそうな顔で手を引いた雪華に、刀谷は言葉を返さずただ俯く。
君にどう思われても良い、自分の事を嫌いになってしまっても良い。言えるわけが
ないのだ、君の優しさを散々切り捨てたくせに、見放さないで、なんて。
・・・もう、弱音なんて吐けないのだ。
「夕飯ができましたら、お持ちしますね」
そう言って、雪華は部屋から出ていく。
・・・静寂が、再び部屋の中を包み込んだ。
―――ずっと部屋に籠ったまま、何年経ったのだろう。
思い出せない。雪化粧も、紅葉の色も、夏の匂いも、桜の数も、何一つ思い出せ
ない。
「・・・・・・」
ある日無言で立ち上がった刀谷は、扉にそっと手を添える。
鎖に縛られている訳でもない、体は自由なのだ。なのに、扉を開けるのが怖い。
外へ出るのを、腹の底から込み上げてくる恐怖が許さない。
「はあ・・・」
小さく息を吐いて、刀谷は再び部屋の隅に蹲る。
彼にとっても、限界だった。グチャグチャになった心が、新たな憎しみを生み
出していた。
・・・ふと、刀谷は笑みを浮かべた。悲しそうな、絶望したような、それでいて
全てを諦めたような笑みを。
「そうだ、逃げよう。全部、捨てれば良いんだ」
誰も居ない部屋の中、刀谷がボソリと呟く。
《どっちつかず》で刀作りの神であった自分の地位も、《武神》として積み
あがっていた名誉も、今となってはただのゴミ屑なのだ。
この現状を打破するための答えは出ていたはずだ。・・・さあ、回答を。
「ははっ・・・」
乾いた笑みが零れる。神の力の名残で手元に出現させた小刀を、自分の喉元へ
向ける。
自分を慕ってくれていた、かつての信者の姿が脳裏をよぎる。何が愛だ、思い
通りが良いくせに、保護者面するんじゃない。
全部敵だ、全部捨てよう。自分さえも、自分が願った幸せさえも、敵なのだから。
・・・・・・最期に思い出すのは、やっぱり君の姿なんだね、雪華。
「刀谷様っ!!」
刀の切っ先が喉元に刺さる直前、勢いよく開け放たれた扉と共に雪華の力強い声が
聞こえる。
一瞬のうちに刀谷の腕は雪華に掴まれ、小刀は地面に叩き落とされた。
「あ・・・」
刀谷の光を映さない目が、雪華の目を捕らえる。流れ込んできた感情の波に、脳の
処理が追い付かず刀谷の動きが止まる。
「何故、何故貴方はっ・・・」
涙ぐんでいる雪華に、刀谷は一言呟くように言った。
「何で邪魔するの」
・・・刀谷が自身の目から涙が溢れ出ているのに気付くのは、それから少しして
からのことだった。
刀谷が妖に堕ちてから、雪華が彼の事を刀谷と呼んだのは後にも先にもその時だけ
である。
そしてその日以降、刀谷が雪華を拒絶することはなくなった。
・・・でも何故、過ぎ去った日々はあんなにも美しく、あの時感じた憎しみすらも
名残惜しく思ってしまうのだろう。
そして、こんな時でも君のことを考えてしまう自分がとても醜く思えてしまうのは
何故だろう。
―――静かな部屋の中、隅に蹲る一人の男。
かつて《どっちつかず》であり《武神》であったその男は、名を刀谷といった。
「病んでいる貴方は面倒臭い」
幼馴染であり《武神》である利斧が、そう言って溜息を吐く。
「・・・煩い」
ボソリと刀谷は言う。
妖に堕ちてから不安定になっていた体は落ち着いてきた。突然気を失ってしまう
こともなくなった。・・・だが、心は依然安定しないままだ。
「また来ます」
「もう来なくていい」
利斧の言葉に、刀谷は顔を上げることなく言う。
溜息を吐いて無言で部屋を出ていった利斧。部屋に残された刀谷は、静寂の中
考えを巡らせた。
・・・自分は逃げたのだ。ずっと逃げ出したいと願っていた、《武神》の使命
から。存在が消える直前に、従者である雪華と幸せに生きたいと願った。結果、
自分は妖として目を覚ました。だから、これが自分の願った幸せなのだ。
そう、そのはず。なのに、何故心がざわつくのだろう。自分は生きることに
しがみついて、何を忘れてしまったのだろう。
「・・・ああ、苛々する」
刀谷は呟く。その言葉が聞こえていたのか、扉の外にずっとあった気配が部屋の
中に入ってくる。
「雨谷様」
雪華の声に、刀谷は少し顔を上げた。
彼女はもう神の従者ではない。なのに、自分が信者を拒絶していた時期に命じた
雨谷と呼んでくれという命令を忠実に守ってくれている。
「少し、外に出ませんか?ずっと籠っていては、体調を崩されますよ」
「煩いっ!!!!」
伸ばされた雪華の手を振り払い、刀谷は叫ぶように言う。
苛々する。君の優しさも、その温かい手さえも。自分はもう君を守れない、
君が傍にいても君に何もしてあげられない。
君を傍に置いておく勇気もないのに、君に触れていたいという気持ちが湧き
上がってくるのが無性に腹立たしい。
「・・・申し訳ありません」
悲しそうな顔で手を引いた雪華に、刀谷は言葉を返さずただ俯く。
君にどう思われても良い、自分の事を嫌いになってしまっても良い。言えるわけが
ないのだ、君の優しさを散々切り捨てたくせに、見放さないで、なんて。
・・・もう、弱音なんて吐けないのだ。
「夕飯ができましたら、お持ちしますね」
そう言って、雪華は部屋から出ていく。
・・・静寂が、再び部屋の中を包み込んだ。
―――ずっと部屋に籠ったまま、何年経ったのだろう。
思い出せない。雪化粧も、紅葉の色も、夏の匂いも、桜の数も、何一つ思い出せ
ない。
「・・・・・・」
ある日無言で立ち上がった刀谷は、扉にそっと手を添える。
鎖に縛られている訳でもない、体は自由なのだ。なのに、扉を開けるのが怖い。
外へ出るのを、腹の底から込み上げてくる恐怖が許さない。
「はあ・・・」
小さく息を吐いて、刀谷は再び部屋の隅に蹲る。
彼にとっても、限界だった。グチャグチャになった心が、新たな憎しみを生み
出していた。
・・・ふと、刀谷は笑みを浮かべた。悲しそうな、絶望したような、それでいて
全てを諦めたような笑みを。
「そうだ、逃げよう。全部、捨てれば良いんだ」
誰も居ない部屋の中、刀谷がボソリと呟く。
《どっちつかず》で刀作りの神であった自分の地位も、《武神》として積み
あがっていた名誉も、今となってはただのゴミ屑なのだ。
この現状を打破するための答えは出ていたはずだ。・・・さあ、回答を。
「ははっ・・・」
乾いた笑みが零れる。神の力の名残で手元に出現させた小刀を、自分の喉元へ
向ける。
自分を慕ってくれていた、かつての信者の姿が脳裏をよぎる。何が愛だ、思い
通りが良いくせに、保護者面するんじゃない。
全部敵だ、全部捨てよう。自分さえも、自分が願った幸せさえも、敵なのだから。
・・・・・・最期に思い出すのは、やっぱり君の姿なんだね、雪華。
「刀谷様っ!!」
刀の切っ先が喉元に刺さる直前、勢いよく開け放たれた扉と共に雪華の力強い声が
聞こえる。
一瞬のうちに刀谷の腕は雪華に掴まれ、小刀は地面に叩き落とされた。
「あ・・・」
刀谷の光を映さない目が、雪華の目を捕らえる。流れ込んできた感情の波に、脳の
処理が追い付かず刀谷の動きが止まる。
「何故、何故貴方はっ・・・」
涙ぐんでいる雪華に、刀谷は一言呟くように言った。
「何で邪魔するの」
・・・刀谷が自身の目から涙が溢れ出ているのに気付くのは、それから少しして
からのことだった。
刀谷が妖に堕ちてから、雪華が彼の事を刀谷と呼んだのは後にも先にもその時だけ
である。
そしてその日以降、刀谷が雪華を拒絶することはなくなった。
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