神と従者

彩茸

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第四部

記憶

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―――思ったよりも広い祭り会場に、隅の建物を探すのにも苦労する。太陽は頭上を
照らしており、朝食抜いてきたから腹減ったな・・・なんて考えていた。

「あ、これか・・・?」

 そう呟いて、まるで物置小屋のような大きさの小さな建物へ近付く。中から物音が
 したので警戒して柏木を出しそっと扉を開けた。

「あっ」

「・・・・・・?」

 扉を開けて真っ先に目に入った、糸繰の姿。彼はいつもの着物の上から少し装飾の
 施された羽織を着ていた。
 糸繰は俺を見て、きょとんとした顔で首を傾げる。その姿に何だか違和感を覚え、
 俺は周囲を警戒しながら建物の中へ入った。

「・・・お前だけか?」

 建物の中に糸繰以外の姿はなく、気配すらしなかったので糸繰に近付きながら
 問う。彼は一瞬怯えたような顔をした後、小さくコクリと頷いた。

「糸繰、何でこんな所に居るんだ」

 そう聞くと、糸繰は不思議そうな顔をする。何が不思議なんだろうと思って
 いると、彼はメモと万年筆を取り出しサラサラと文字を書いた。

〈神事の準備中なんです。えっと、はじめまして。オレの名前知ってるってことは、
 主のお知り合いですか?〉

「は・・・?」

〈会ったこと、ありましたか?ごめんなさい、お話したことのある神様の顔は覚えて
 いるはずだったんですけど。〉

 困ったような顔でメモを渡してきた糸繰は、申し訳なさそうに頭を下げる。
 もしかして、記憶を失っているのか・・・?そんな答えに辿り着き、持っている
 柏木を落としそうになった。

「あー、えっと・・・いや、俺が一方的に知っているだけだな。その・・・俺と
 呪いの神、あんまり仲が良くなくてさ。怒られそうだから、俺がここに来たって
 こと黙っててくれるか?ついでに匿ってくれると助かるんだけど・・・」

 糸繰の記憶をどうにかして元に戻そうと考えながら、俺は適当な嘘を吐いて
 その場を凌ごうとする。糸繰は少し訝しげな眼を向けてきたが、頼むよと
 苦笑いを浮かべるとコクリと頷いた。
 内心ホッとすると同時に腹が鳴る。糸繰はそれを聞いてクスクスと笑うと、
 メモと共に彼の隣に置かれていた包みを渡してきた。

〈オレの分で良ければ、神様にあげます。全部どうぞ。〉

「糸繰の分は?」

〈オレは別に良いです。主の知り合いならご存じでしょうが、オレは道具なので。
 気に掛ける必要はありませんよ。〉

「・・・気に掛けるだろ、お前だって生きてるんだし」

〈道具を気に掛けるなんて、変な神様ですね。だから主と仲悪いんですか?〉

 面白そうに息を漏らしながら笑う糸繰に、何だか悲しくなってくる。
 包みを開けるとおにぎりが二つ入っていたので、一つを糸繰に差し出した。
 首を傾げた糸繰に、俺はおむすびを押し付けるように渡しながら口を開く。

「一緒に食べよう、そっちの方が美味しいんだ」

 その言葉に、糸繰は困惑したような表情を浮かべながらおむすびを頬張る。
 冷えて少し硬くなっていたおむすびを俺も頬張ると、彼は俺をチラチラと
 見ながらおむすびを飲み込んだ。

「どうした?」

〈いえ、すみません。何故か、前にも同じことがあったような気がして。〉

 ・・・確かに、糸繰と一緒におむすびを食べた事は何度もある。こんな状態に
 なったおむすびは・・・ああ、一度だけ夜食としてこっそり二人で食べたん
 だったか。あの時は令に見つかって、太るぞと冷めた目を向けられたな。
 完全に記憶を失っている訳ではないのか?そんなことを考えつつ、どうしたもの
 かと思考を巡らせていた。



―――時間はあっという間に過ぎていく。気付けば神事の時間になっており、糸繰は
部屋の中央で並べた人形を一つずつ手に取りながら小さく口を動かしていた。時折
息を吐いては、数名の名前が書いてある紙に目を通しながら何かをメモする様子を
見せる。

「おい糸繰、大丈夫か・・・?」

 先程から顔色の悪い糸繰に、声を掛ける。糸繰はこちらをちらりと見ると、メモに
 ペンを走らせた。

〈お気になさらず。ちゃんと隠れていないと見つかりますよ?〉

 部屋の隅で物陰に隠れていた俺にそっとメモを渡してきた糸繰は、部屋の中央に
 戻って呪いを再開する。
 ・・・今この瞬間も、誰かが糸繰の手によって殺されているのか。そんなことを
 考えていた矢先、糸繰が激しく咳き込んだ。
 ゴポリと音を立てて、糸繰の口から血が吐き出される。彼は赤く染まった自分の
 手を見ると、何の感情も抱いていないような顔で着物に手を擦り付けた。そして
 再び、呪いを再開する。
 飛び出して助けたい思いはあったが、もし飛び出したタイミングで呪いの神や
 信者が来てしまえば、ここまで来たのが全て水の泡になってしまう。
 ふと、動き続けていた糸繰の口が止まる。再び血を吐いた彼は、胸の辺りを
 ギュッと掴みながら苦しそうな顔で息を吐いた。

「糸く・・・」

 声を掛けようとした瞬間、糸繰の口が動く。

 大丈夫、動ける、まだ、動ける・・・

 荒い呼吸を繰り返しながら、自分に言い聞かせるようにゆっくり、ゆっくりと
 口が動かされる。見ているこちらまで苦しくなってくるような彼の様子に、
 何もできない自分が嫌になってきた。
 大量の血を吐いた糸繰に、我慢ならないと飛び出そうとする。・・・その瞬間、
 扉の向こうから土を踏む音がした。
 隙間に隠れると同時にすらりと扉が開かれる。部屋に入ってきた仮面を着けた男を
 見て、ハッとした。

「おや、かなり吐いたんだねぇ」

 仮面の男・・・呪いの神だ。糸繰は虚ろな目を呪いの神へ向けると、小さく口を
 動かす。呪いの神はそんな糸繰に顔を向けると言った。

「ここで吐くのは別に構わないんだけどさぁ・・・糸繰、どこまで進んだ?」

 呪いの神の問いに、糸繰は名前が書いてある紙を渡す。呪いの神はそれを見ると、
 少し嬉しそうな声音で言った。

「へえ、思ったより早いねぇ。頑張ってるじゃないか」

 呪いの神の手が、糸繰の頭へと伸びる。
 表情を一切変えない糸繰の頭を、呪いの神が撫でた。

「・・・・・・!」

 途端に、糸繰の頬が緩む。
 嬉しそうな顔で頭を撫でられていた糸繰は、残りも片付けといてねぇと呪いの神が
 部屋を出ていった後も、自身の手を頭に当てて頬を緩めていた。
 ・・・再び、糸繰が呪いを掛け始める。時折苦しそうに息を吐くが、その度に
 思い出すように頭に手を当てて笑みを浮かべていた。
 以前、神事のときは主がいつもより少し優しいと言っていたが、これのこと
 だったんだろうか。そんなことを考えながら、俺は糸繰に近寄る。

「大丈夫か?」

 そう聞くと、糸繰はきょとんとした顔をした。

〈何で気に掛けるんですか?オレは道具なんですよ?〉

「当り前だろ、お前そんな状態じゃ・・・」

〈本当に変わった神様なんですね。〉

 クスクスと笑う糸繰は、視界がぼやけているのか乱れた文字のメモを渡してきた。
 俺は涙が出そうになるのを耐えながら、静かに微笑む。
 目の前で咳と共に血を吐き出した糸繰の背を擦ると、彼は申し訳なさそうな顔で
 小さく頭を下げていた。
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