神と従者

彩茸

文字の大きさ
上 下
105 / 115
第五部

ごめんなさい

しおりを挟む
―――池に着くと、蹲っている糸繰の姿が目に入った。

「糸繰?どうしたんだよ、急に走り出して・・・」

 そう言いながら近付くと、嗅ぎ慣れてしまった臭いが鼻を突く。

「糸繰!!」

 急いで糸繰に駆け寄る。
 彼の口からは血がボタボタと零れており、足元に血溜まりを作っていた。
 無理して妖術を使った時と似ているが、妖術を使う素振りなど見せなかった。
 じゃあ何故?と思いながら、糸繰の様子を伺う。

「大丈夫か・・・?」

 そう聞くも、糸繰は答えない。・・・いや、答えられないのか。
 糸繰は喉を両手で抑えたまま荒い呼吸を繰り返しており、時折激しく咳き込んでは
 血を吐き出していた。
 少しでも楽になるようにと、糸繰の背中を擦る。糸繰は苦しそうな顔で俺を見ると
 口を動かした。
 ・・・いつも通りなら、吐息しか聞こえないはず。そう、聞こえないはずなのだ。

「う・・・あ・・・げほっ、ごほっ」

「いと、くり?」

「あ・・・うぅ・・・ごぼっ」

 確かに、聞こえた。咳で掻き消され言葉にはなっていないが、あれは糸繰の声だ。
 何がどうなっている?糸繰は呪いで声が出せないはずだ。それ自体が嘘、という
 のはまず考えられない。
 じゃあ自分で呪いを解いた?妖術として呪いを扱う糸繰なら可能かもしれないが、
 何故今?
 ・・・そうこう考えている間にも、糸繰の足元に広がる血溜まりは大きくなって
 いく。彼の呼吸もどんどん荒くなっていき、満足に息も吸えない状況なのだと
 分かった。

「えぁ・・・げほっ、ごほっ」

「何か伝えたいのか?待ってろ、すぐに御鈴を呼んで・・・」

 立ち上がり駆け出そうとした俺の服を糸繰が掴む。俺は驚いて立ち止まり、彼を
 見る。ゼエゼエと荒い呼吸を繰り返しながら、彼は絞り出すような声で言った。

「ごめ、なさっ・・・」

 今にも泣き出しそうな顔の糸繰は、それだけ言うと服から手を離し再び喉を
 押さえて蹲る。
 何で謝るんだ、何も悪いことしてないだろ・・・。そう思っている俺の目の前で、
 突如として糸繰から黒い靄が発せられた。手や足、そして首の辺りから立ち昇る
 ようにして出現した靄に、俺は驚きつつも既視感を覚えていた。
 ・・・ああ、まるでみたいだ。



―――それから俺は急いで御鈴の元へ戻り、状況を説明しながら糸繰のいる池へと
向かった。池に着くと糸繰は気絶しており、付いてきた芽々が血溜まりを見て小さく
悲鳴を上げていた。

「・・・何がどうなっているのか、俺にもさっぱり」

 糸繰を背負いながら言うと、御鈴は困ったような顔で唸る。

「御神酒を飲んだ直後から様子が変だったよな」

「でも、私達も飲んだけど何ともなかったよ?」

 令の言葉に芽々が言うと、御鈴がボソリと呟いた。

「御神酒だったから、か・・・?」

 その言葉で、ふと清蘭が言っていた言葉を思い出した。
 浄化をしてもらいに行った時、しっかりとマーキングされてて清めてあげられ
 ないと糸繰が言われていた。さっきの黒い靄のことも考えると・・・まさか。

「呪いの神・・・あいつの所為か」

 ボソッと呟く。意外にもその言葉に反応したのは芽々だった。

「呪いの神って、もしかして仮面を付けた男の神様?」

「そうだけど・・・何で知ってるんだ?」

 俺の問いに、芽々は気まずそうな顔をする。そして御鈴をちらりと見ると、
 申し訳なさそうな顔でボソボソと言った。

「御鈴様にもね、黙ってたんだけど・・・私の両親、呪いの神様の信者なの」

 静寂がその場を包む。御鈴は驚いた顔で固まっており、令は警戒するように芽々
 から離れた。

「あっ、あのね!誤解しないでほしいんだけど、私は御鈴様の信者だから!両親の
 考え方が気に入らなくて、家出したというか・・・」

「確かに、道に迷っていたお主を信者にならぬかと誘ったのは妾じゃが・・・そんな
 過去が」

 慌てて言った芽々に、御鈴がそう言いながらそっと近付く。

「芽々は、呪いの神の名を知っておるか?」

 御鈴のそんな問いに、芽々は首を横に振った。

「両親の話、嫌いだったのでちゃんと聞いてなくて・・・。お父さんが重役みたいな
 立ち位置だったから、呪いの神様と話している所はたまに見かけていたんです」

 そうだったのかと思っていると、背負っていた糸繰が目を覚ます。
 ケホッケホッと何度か軽く咳込んだ糸繰は、俺を見て口を開いた。・・・彼の口
 から、息が漏れる。どうやらまた声が出なくなったようで、悲しそうな顔で自身の
 首に片手を添えた。

「大丈夫か?」

 そう聞くと、糸繰は小さく頷く。そして御鈴を見ると、ゴソゴソと動いてメモを
 渡した。

〈迷惑掛けてごめんなさい。〉

「何故謝る。お主は悪くないじゃろう?」

 メモを見た御鈴がそう言うと、糸繰は首を横に振った。肩をポンポンと叩かれ、
 降ろしてくれってことかな?なんて思いつつ糸繰を地面に降ろす。糸繰に立って
 いるだけの元気はないようで、その場にストンと座った彼はメモにペンを走ら
 せた。

〈気付かなかったオレが悪いんです。捨てられたから、もう主は干渉してこないもの
 だと思ってた。〉

「どういうことじゃ?」

〈御神酒を飲んだ後、突然苦しくなって。あそこで倒れるのは迷惑になると思って、
 ここまで走ったんです。走っている途中に喉が痛くなって、それから心臓も痛く
 なって。気付いたら血を吐いてて・・・その時に、主の声が聞こえたんです。〉

 そこまで書いた糸繰は、御鈴にメモを渡し俺を見る。首を傾げると、彼は俺の足に
 寄り掛かって息を吐いた。どうやら起きているのもしんどくなってきたようで、
 俺がしゃがんで頭をそっと撫でるとゆるゆると首を横に振ってメモを書き始める。

〈まだ使うんだから、死なれたら困るって聞こえて。幻聴だと思いたかったけど、
 主の気配もしたんです。人生の大半を主と過ごしていたから気配を間違えるはずが
 なくて。〉

 糸繰は一度万年筆を動かす手を止め、息を吐く。そして、サラサラとペンを
 動かした。

〈それから、蒼汰が来る直前に気配が消えたと思ったら声が出せることに気付いて。
 オレの勝手な予想ですけど、主に掛けられた呪いが御鈴様の御神酒で一時的に少し
 弱まったんだと思います。主、御鈴様を警戒しているみたいだったので。その後の
 ことは、蒼汰から聞いてください。オレ、その時の記憶あんまりなくて・・・。〉

 やっぱり、呪いの神の所為だったんだ。それにしても、御神酒ってそんな力が
 あったのか・・・。

「口を挟んじゃうんですけど・・・さっきから、糸繰くんが主って呼んでるのって」

 芽々の問いに、御鈴は糸繰を見る。グッタリとした様子で俺に寄り掛かっている
 糸繰が頷くと、御鈴は芽々を見て言った。

「ここだけの話じゃぞ。糸繰はの、元々呪いの神の従者だったんじゃ。主に捨て
 られ、今は妾の信者として、蒼汰の兄弟として傍に置いておる」

「え・・・」

 芽々は言葉を失ったように口をパクパクと動かしながら糸繰を見る。糸繰が
 自嘲気味な笑みを浮かべると、彼女は糸繰に詰め寄るようにして近寄った。

「従者なら、主を止めてよ!何でっ、何であんな神様を野放しにしてるの!!」

「お、おい・・・」

 止めようとするも、芽々は糸繰に掴みかかる勢いで言葉を続ける。

「あんなの、狂ってる!!信者も信者だよ、何であんな命を何とも思ってない奴を
 信仰し続けるの!ねえ、何で皆を止めなかったの!!」

〈煩い。〉

 糸繰が、芽々にメモを押し付け睨む。それに動じることなく芽々が言葉を続け
 ようとすると、糸繰は苦しそうに息を吐きながらメモにペンを走らせた。

〈主が間違ってるんだって、御鈴様の信者になって初めて知ったんだ。もし知ってた
 としても、オレは止められない。主のことを少しでも知っているなら分かるだろ?
 あの方にとって妖はただの物だ、オレも例外じゃない。オレは主の道具だった、
 逆らい方なんて教わってない。〉

「でも、だって・・・!」

〈じゃあお前が止めろよ!オレに何を求めてるんだ、要らないって言われて、弱い
 からって捨てられて、それでもまだ道具として利用されてるオレに!!〉

 書き殴ったメモを芽々に叩き付けるように渡した糸繰は、メモを見て悲痛な
 面持ちで固まった芽々を鋭く睨み付ける。

「こんなの、あんまりだよ・・・」

 涙を流し始めた芽々を御鈴が宥める。糸繰は疲れ果ててしまったのか、俺に
 寄り掛かったまま目を閉じた。

「いと」

 そう呼ぶと、糸繰は薄く目を開けて俺を見る。そして、小さくゆっくりと口を
 動かした。
 ・・・ちゃんと唇の動きを読み取れていたのかは分からない。だけど、何度も
 糸繰と二人で練習した成果は出ていたと思う。

 ごめんなさい、兄様

 本当に兄様なんて言われた自信はないが、今までにも似たような口の動きを見て
 いるなと思い出す。
 だけどそれ以上に、今の俺にはごめんなさいという言葉の方が重く響いた。

「何で、謝るんだよ・・・」

 そう呟いた俺の声は、眠ってしまった糸繰の耳に届くことはなかった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界でカフェを開店しました。

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:837pt お気に入り:5,929

思い出は小糠雨と共に

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:8

悪役令嬢、国外追放されて小国王子の侍女になる。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:38

記憶喪失で婚約破棄された聖女は隣国の王子に溺愛されます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:99

処理中です...