神と従者

彩茸

文字の大きさ
上 下
74 / 159
第二部

しおりを挟む
―――深夜、ふと目が覚める。部屋の中を見回すと、違和感を感じた。
手を伸ばし、電気スタンドのライトを点ける。ほんのりと明るく照らされた部屋の
中に、糸繰の姿がないことに気付いた。

「糸繰・・・?」

 名前を呼ぶも、反応が無い。部屋が寒いことに気付き窓を見ると、窓が少し開いて
 いた。
 まさか逃げたんじゃないだろうな。そう思いながら、窓を大きく開ける。そこから
 見える月明かりに照らされた庭を見ていると、庭の隅で蹲っている糸繰の姿を
 見つけた。何をやっているんだと思いながら、玄関で靴を履き防寒のジャケットを
 羽織って外に出る。

「糸繰、そんな所で何してるんだ」

 そう言いながら、糸繰に近付く。近付くと同時に鼻腔を掠めたニオイに、俺は
 驚いて駆け出した。

「糸繰?!」

 そう言いながら駆け寄ると、糸繰が顔を上げる。彼の口からは血が滴っており、
 足元には赤い水溜りができていた。

「・・・・・・」

 虚ろな目で俺を見た糸繰は、視線を外して俯く。それと同時に口から吐き出された
 大量の血が、足元に広がる赤を更に大きくさせる。

「一体何が・・・」

 そう呟くと、糸繰は懐から万年筆とメモ帳を取り出す。万年筆が汚れないようにか
 血の付いた手を着物で拭った糸繰は、ちぎったメモにサラサラと文字を書いて
 渡してきた。

〈気にするな、よくある事だ。〉

「よくあるって・・・ちょくちょく血吐いてんのかよ」

 俺がそう言うと、糸繰は一度血を吐いてから頷いて文字を書く。

〈無理して妖術を使うと、こうなる。昔からそうだから大丈夫。〉

「・・・本当に大丈夫なのか?」

 どう見ても大丈夫には思えず、俺は聞く。糸繰はケホッ、コホッと咳をした後、
 苦しそうに深く息を吐いて文字を書いた。

〈大丈夫。オレはまだ動けるから、大丈夫。〉

「大丈夫の基準がおかしいだろ・・・」

 メモを見てそう呟くと、糸繰は虚ろな目のまま立ち上がろうとする。フラリと
 揺れた糸繰の体を支えると、彼の口からゴポリと音を立てて血が溢れ出した。

「うおっ!?」

 思わず驚いた声を上げる。糸繰はハッとした顔をすると、慌てて俺から離れて
 蹲った。口元を押さえている糸繰の手から、ボトボトと血が零れ落ちる。
 我慢できなくなったのか糸繰は口から手を離し、先程吐いていたものよりも
 鮮やかな赤を吐き出した。今にも死んでしまうんじゃないかと思える量の血を
 吐き出した糸繰は、ゼエゼエと苦しそうに息をしながら再び着物で手に付いた
 血を拭って文字を書く。

〈前言撤回。今回は動けないかも・・・。〉

 意識が朦朧としているのか、メモに書かれた字は先程よりも乱れていた。

「糸繰・・・」

〈落ち着いたら、戻るから。逃げないから。〉

 名前を呼んだ俺をちらりと見た後、糸繰はそう書かれたメモを俺に渡して再び血を
 吐いた。

「そうじゃなくて!・・・落ち着くまで待ってるから、一緒に戻ろう」

 そう言うと、糸繰はゲホッゲホッと咳をして不思議そうな顔で〈何で。〉と書いた
 メモを渡してくる。

「何でって・・・そんなに苦しそうにしてるのに、放っておける訳ないだろ」

 俺の言葉に糸繰は虚ろな目のままペンを動かすと、口元を袖で覆いながらメモを
 渡してきた。

〈もう少しかかる。待ちたいなら、任せる。〉

「分かった、待ってる」

 メモを見てそう答えると、糸繰は俯いてゴポリと血を吐き出した。



―――正直、舐めていた。案外すぐ落ち着くだろうと高を括っていた。

「・・・大丈夫か?」

 数十分経った頃、やっと落ち着いたのか糸繰が肩で息をしながら俺を見る。
 辺りは糸繰の吐き出した血で真っ赤に染まっており、尋常じゃない吐血量だったの
 だと悟る。

〈多分、もう大丈夫。吐いた血も暫くすれば消えるから、安心してくれ。〉

 俺の問いに糸繰はそう書いたメモを差し出し、フラリと立ち上がる。今にも倒れて
 しまいそうな程フラフラとした足取りで歩いて家に戻ろうとする糸繰を見て、俺は
 言った。

「待て、糸繰。お前は歩くな」

 糸繰は立ち止まり、振り返って俺を見る。暗い目に俺を映し、じゃあどうしろと?
 と言いたげな顔をした。
 俺は糸繰の前まで行くと、背を向けて屈む。

「ほら、乗れよ。おぶってやるから」

 あんなのを見せられて、放っておける訳がなかった。昼前まで敵だった糸繰を
 信用する気にはならなかったが、それとこれとは話が別だ。
 早く。そう言うと、糸繰はおずおずと俺の背に体重を預ける。

「お前、意味分かんねえくらい軽いよな・・・」

 そう言いながら立ち上がると、糸繰はモゾモゾと動いて背中越しにメモを差し
 出してきた。

〈食事を与えてもあまり意味がないって主に言われるくらいには、吐いてるから。〉

「・・・よく生きてるな」

〈最低限は食べてると思う。まあ、自死って判定になれば死ぬことはない。〉

 ゆっくりと歩きながら言った俺の言葉に糸繰はそう返すと、少ししてから再び
 メモを見せてくる。

〈死ねないから、命令なら何でもする。オレは道具だから。〉

「は・・・?」

 思わず足を止める。首を回し糸繰の顔を見ると、彼はきょとんとした顔をして
 いた。

「道具って、どういうことだ」

 そう聞くと、糸繰は何でもないような顔でメモを書いて渡してきた。

〈オレは道具なんだって、主に習った。だから、持ち主の言う事は絶対。〉

 書いてあった言葉に絶句する。いくらなんでも、これは・・・。

「あの仮面の男、なんて教育してんだよ・・・」

 俺はボソリと呟く。すると糸繰は、新たに書いたメモを俺に見せてしっかりと
 抱き着いてきた。

〈御鈴様と令は嫌だって言ったから、オレの持ち主は蒼汰。壊れるまで使って
 くれると嬉しい。〉

「・・・糸繰はそれで良いのかよ」

 メモを見てそう問うと、糸繰は悩む様子を見せる。

〈蒼汰と話してると、色々と考えさせられる。考えてもよく分からないけど、嫌な
 気持ちになってないから多分良いんだと思う。〉

 少ししてから渡されたメモには、そう書いてあった。下の方を見ると小さな文字で
 〈蒼汰だから、良いのかもな。〉と書かれていて。そこを指さしながら糸繰を
 見ると、彼は恥ずかしそうに俺の肩に顔を埋めた。

「何だこいつ、可愛いな」

 お前のことは信用できないけど、持ち主にはなってやるよ。そう思いながら口から
 出た言葉に、自分で驚く。
 ・・・あ、これが本音と建前が逆になるってやつか。そう気付いたら、かなり
 恥ずかしくなってきて。耳が熱くなるのを感じながら、俺は糸繰を背負ったまま
 早足で家に戻るのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

奇妙な日常

廣瀬純一
大衆娯楽
新婚夫婦の体が入れ替わる話

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

処理中です...