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終
しおりを挟む母親の口座に入金しても、感謝の連絡がくることはなかった。
でも催促の電話が一つも来なくなったことを考えると、目当ての金額はちゃんと彼女の元に渡って、浮気相手の奥さんに渡されたのだろう。メールの受信を報せないスマホを睨みながら、俺は深いため息をつく。
これがきっと、きっかけになる。彼女に渡した200万は、絶縁するための手切金だ。ある程度貯金が貯まったらスマホを替えて、母親からの連絡を全て遮断しようと決意する。
結局、俺は大学を休学することにした。
当然あれから、急に200万の学費を稼げる目処がなかった。就活の遠征費などを考えても、大学へ通いながらでは思い通りに稼げない。
なので休学中に日中も働いて、学費やその他諸々の資金を稼ぐことにしたのである。
学費入金締め切り前日。俺は朝らか学生課に行き、休学手続きをしようとした。
のだが……。
「三年生の加藤旺太くん? え、来年分の学費なら一括で振り込まれてますよ」
200万、と。窓口担当のお姉さんは目を瞬きながら言った。
え、と声を裏返しながら、俺も瞬きを繰り返す。その反応が、事務作業も担うお姉さんの不安を煽ったのだろう。彼女は慌てて目の前のパソコンと向き合うと、凄まじい速さでキーボードを打ち始める。
そしてディスプレイに映し出された情報を、俺に震える声で語り始めた。
「一昨日くらいに、銀行から振り込まれてます……、全く身に覚えがないですか?」
「全く……振り込み用紙が届いてたのは知って、」
知ってたけど、と。
腕を組み考え込もうとしたところで、「あ、」と声が出た。
「もしかしたら、思い当たる節が……」
俺の言葉にお姉さんは「ああーよかった!」と胸を撫で下ろす。振込金額の処理に誤りがあったのかと、気が気じゃなかったのがありありとわかった。
お騒がせしました、と後頭部を苦笑いしながらかく。すぐに俺は大学を出て、自分のマンションを目指した。
自分のマンションの、自分の部屋……ではなく。
その隣の部屋の住人は確か今日、有休消化のために仕事を休んで、部屋にこもっているはず。
そんな隣人に話があって、俺は急ぐあまりバスも使わず、走ってマンションまで帰った。
階段を駆け上がり、自分の部屋の前を通過して隣人の部屋の扉を躊躇いなく開ける。鍵がかかってない部屋へ上がり込み、ベッドでうつ伏せになり寝ている野田さんの体を勢いよく揺すった。
「勝手に持ってったんですか!?」
俺がそう叫ぶと、枕へ埋めていた顔を、野田さんは「うぐうぅ……」とうめきながら上げる。メガネが取られた目では視力が弱いからか、彼の鋭い目は一段と細く険しいものになる。
一瞬睨まれている気にもなったが、ここで怯んではダメだと口を引き結び、「振込用紙!!」と強い口調で言った。
「最近やたらと部屋に来ると思ってたら、学費の振込用紙探してたんですか!?」
例の危険なバイトを辞めてから凡そ一週間。野田さんはよく好物のチョコ菓子を持って俺の部屋にやってきていた。
彼の部屋へ上がることはよくあったけど、野田さんが俺の部屋に上がるのはそれが初めてで、彼は手土産を机に置くと、すぐ俺の散らかった部屋なんかを片付け始めていた。
社会人にそんなことをさせるわけにもいかず何度も止めたのだが、結局大雑把で掃除が得意ではない俺の部屋は、野田さんのおかげに整頓された住みやすい環境に様変わりしていた。
でもそれは、口実だったんだろう。
本当の目的は、俺の目を盗んで学費振込用紙を奪うことだったのだ。
俺は一応、大学を休学する旨は野田さんには伝えていた。休学が多少就活の結果を左右すると分かった上での決断だった。
野田さんは俺の考えをちゃんと理解してくれていた、と思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。幼気な学生の俺が、いっぱい悩んで出した答えを、彼はいとも簡単にあっさりと覆してしまったのだ。
「ねぇ野田さん、前も聞いたと思うんですけど、何でなんですか?」
「……」
頭だけ上げた状態で髪を掻いていた野田さんは、虚な目で枕元にあったメガネを手にしてかける。
そして普段通りの目つきになると、これまた普段通りの淡々とした口調で、こういった。
「下心」
「……はい?」
「この前のバーのオッサンと、そう大差ない下心」
言われている意味を理解し始めると、徐々に頬が赤くなっていく。
「な! 何言ってるんですか急に!!」
恥ずかしさのあまり、手近にあった枕を彼の顔めがけて投げつけた。顔面にそれを受けた野田さんは「うぷっ」と衝撃に悲鳴をあげている。でもすぐに枕を手に取ると、目を細めて楽しそうな笑みを浮かべた。
そんな笑顔を見せられると、強く言い返せない自分がいる。ぐ、と喉を詰まらせ、彼をジト目で見ることしかできなかった。
「し、下心だけでそんな、簡単に200万も使えるものなんですか……?」
「大人になればわかるよ。それに俺、高給取りやし。あ、でもオッサンみたいに無理強いはせんから」
枕を定位置へ戻し、再びベッドへ横になる野田さん。今度は仰向けになり、俺の顔をジッと見つめ口元を綻ばせる。
「ちゃんと卒業してええ仕事就いて、しっかり稼ぎや」
「……ありがとうございます」
野田さんの優しさに、じわじわと涙腺が刺激される。俺の今後の人生を想像してみても、おそらく彼以上に親切にしてくれる人は決して現れないだろう。
マンションで初め会った時の、怖い思いをした場面が、今となればいい思い出だ。あの出会いがなければ俺は、一生野田さんと関わることなんてなかったのだろう。
「絶対、一生かけて返していくので、俺の目の届く範囲にいてくださいね」
笑って言えば、野田さんは目を見開いて驚いていた。でも次の瞬間には「ふ、」と吹き出して笑いだす。
「何やそれ、ちょっと楽しそうやんか」
怖いだけかと思っていた彼との縁は、当分切れることはないだろう。
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