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6.男の子

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 治癒魔法はユーリカに教わった。彼女ほどうまくできないけどある程度は使える。
 水魔法はたくさん練習したけど使えなかった。
 お風呂、飲用。水の魔法は絶対にほしかったけど適性がないみたい。適性のある人間自体が少ないとか。
 代わりに精霊文字の術を覚えた。

 世界を漂う精霊たちに、こういう風に働いてってお願いする文字。特別な金属を使って刻むのに時間がかかるから即興ではできない。
 場の精霊が十分にいれば、魔石や自分の魔力を注ぐと魔法の代わりになる。
 ここでは井戸水をろ過して汲み上げる水道とお風呂で活躍してくれている。
 数少ない精霊文字の術者から学んでおいてよかった。最初の頃は文字の間違いでお湯が沸騰したこともあったけど。


 ルカーシャ様に一人でお風呂に入ってもらった後、私もお風呂に。
 色々考えてみても、下の世に関わるのは怖いのと面倒なのと。なんだか考えがまとまらない。
 たくさんの人間がここまでくるようなら容赦なく迎撃するとして、そうでないなら今のままでいい。
 私の理想のスローライフは完成しているのだもの。
 今さら、面倒事に首を突っ込む必要はない。ミルティエが滅びるならそれで……


 ――ネネ? 貧相な名だな。これからはネネリアと名乗るがいい。

 勝手なこと言って、そのくせ自分は私をネネって呼び捨てたりしてたくせに。

 ――お前は秋月の雫。ネネリア・オルティア。ミルティエはお前と俺の……

 バカじゃないの。似合わないことしないでよ。
 国の名前なんてずっと残るんでしょ。洒落で決めるなんてバカじゃない。
 ルカーシャ様の話を聞いていたら思い出してしまって、つい長湯。


 私がお風呂から上がったら、ルカーシャ様はソファにもたれかかって寝てしまっていた。
 さっき私が座っていた辺りに柔らかなほっぺを乗せて。
 目尻から伝う涙の痕も、薄っすらと。

 相変わらずこの国、この世界は神秘的なものにすがる風習が根強いのだろう。
 魔法があって精霊がいて、治癒の奇跡もあれば魔物も湧き出る。
 国に天災が続けば生贄を捧げて鎮めようという発想も不思議はない。
 十歳の少年が、王族の責任だからと背負わされてここに来た。

 そう、そんな国なら滅んでしまえばいい。
 権力争いでも侵略でも私には関係ない。もうこの国にルーヴィッドもクーファーもいないのだから。

 少年の冒険はここでお終い。
 理想のスローライフに辿り着いた王子様は、そこで静かに暮らしました。

 私が用意してあげられるたった一つの優しい答えだよ。
 傷ついたり苦しんだりするより、ずっと幸せでしょ。

 だけどルカーシャ様がそれを選ばないなら。
 私は……?


  ◆   ◇   ◆


「ご厚情に感謝を、ネネリア様」
「じゃ、それで――」
「ですがそうは参りません。僕はこれでもミルティエの王太子。次代の王です」

 翌朝、まだ雨。
 明日には雨も上がるだろう。今日はもう一日ここに。なんならそのままここで。ずっと。
 私の提案にルカーシャ様は首を振った。
 そうなるだろうな、と思った通り。

「悪いんだけどルカーシャ様、言わせて。あなたが国に戻って何ができるの?」
「何ができるか、ではないと思います。王としての姿を見せることが僕の責任です」

 意地の悪い私の質問に、小さいのにしっかりと答えるルカーシャ様。

「あなたの責任ならもう果たした。天災を鎮める為に禁じられた地に来て、私に命を捧げたんでしょ」
「ネネリア様が災いを呼んだのではないなら、ミルティエの民はこれからも苦しみます。不当なネネリア様の噂も払拭しなければなりません」
「あーっもう!」

 クーファーと話してるみたい。
 こんなに幼いくせにああ言えばこう言う。いちいち正論なのも腹が立つ。


「私に捧げるって言ったんだから守りなさい、二言があるの?」
「僕の心は偽りなくネネリア様に。ですが」
「ですが?」
「ネネリア様が祖王ルーヴィッドと共に立て、英雄クーファーと守ったミルティエが災厄に苦しみ沈むのを見ないフリをするのは、違うと……ネネリア様の御心をお助けすることにならないと、僕は思うんです」
「……」
「ネネリア様の優しさ、お気持ち、本当に嬉しく思います。できるのならそのお言葉に甘えたいのも本当です」

 雨上がりの朝日が窓から差し込む食卓で、ルカーシャ様は少し気恥ずかしそうに微笑んで頷く。

「それでは僕はあなたの伴侶とはなり得ない。祖王ルーヴィッド、英雄クーファーに代わりネネリア・オルティア様の隣に立つ男になれません」
「……」
「僕だって男……王家の男児です。あなたに……格好悪いと思われたく、ないですし……」

 びしっとした姿勢から少し俯いて呟いてから、もう一度顔を上げて、

「ルカーシャ・ミルティエは、あなたと、あなたが愛した人たちの国を救いたい。成し遂げた暁には、もう一度ここを訪ねる許可をいただければ十分です」
「今すぐじゃなくてもいいじゃない。この山で稽古でもしてから」
「明日になれば、今日救えたかもしれない人がこの手から零れます。人の命は取り返しがつかないと、ネネリア様がそう仰ったと聞いていますから」


 この世界に流されてから、たくさんの血が流れ簡単に人が死ぬのを見て、ショックだった。
 それまでの常識とは違う。
 ここでは当たり前のことかもしれない。だけど。
 だからって粗末にしていいはずがない。
 命を大切にできない人は、その人の命も大事にされない。きっと宿業は繰り返す。

 ルーヴィッドは、たくさんの敵対者を殺したけれど、不必要に殺すことはなくなっていった。
 話をして、折り合えるところがなければ容赦はなかったにしても。
 無法の犯罪者に対しては徹底的に厳しく当たったけど、立場が敵というだけで一族皆殺しみたいなことはやめた。
 混乱の時代でみんなバカな人たちだったから、まず一発拳でわからせてから話し合い、というのはよく見た。話し合いに座らせる為の武力行使。


「罪のない民が悲嘆の中で死んでいくのを知りながら安穏とは暮らせません。僕は……恥を知らない者にはなりたくない」
「……わかった」

 私が私の生き方を選んだように、ルカーシャ様はルカーシャ様の選ぶ道がある。きっと王道とかそういう。
 力ずくで歪めるものじゃない。
 まあ、ルーヴィッドにもクーファーにも似た頑固さだから変わらないと思うし。

「好きにすればいいわ」
「はい」
「獣避けの護符は私の予備を。荷物袋と道具も用意する」
「感謝します、ネネリア様」

 国の乱れの原因がここじゃないならルカーシャ様の用事は終わり。
 彼は国に帰り、動乱の時代を生きる。
 私は元通り静かな引きこもりスローライフ。
 ミルティエがどうなろうと関係ない。


  ◆   ◇   ◆
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