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 清水希(しみず のぞみ)は、どこにでもいる普通の会社員である。両親は早くに他界して一人っ子で、自分が慎ましく生きるために仕事をし、休日はドラマやアニメを観て、もしくは小説を読んで過ごす。人生に大きなイベントなど無くてもいい。結婚は出来たらしたいけど、出来なかったらそれでもいい。普通の人生が送れればいい。
 そう、思っていたのに。
 希は手足を縛られ、口に布を突っ込まれた状態で森に転がされていた。決して希の趣味というわけではない。バタバタと陸に打ち上げられた魚のように暴れるが、手足を縛る布はびくともしなかった。地面とこすれる頬っぺが痛い。
 
「んん~~!!! ううん!!!」

 てめぇ!!! 解け!!! と、不自由な口を精一杯動かして叫び、目元しか見えない白い布を全身にまとった誘拐犯らを睨み付けるが、聞き入れられるわけもない。彼らのうちの一人が希の前にしゃがみ込んで、その目に穢れたものを見る光を宿して言った。

「お前はこの世界に存在してはいけない。魔物の餌がお似合いだ――聖女様の、出涸らしが」

 じわり、と目に涙が滲む。望んでこんなところに来たわけでもないのに、この仕打ちはなんだ。聖女様の出涸らしってなんだよ。私は私以外での何者でもない。
 夜の森を、希を置いて去っていく集団を留めることもできず、希はことの経緯を思い出していた。
 
 会社からの帰宅途中で、夜道が急に明るくなったから閃光弾でもぶち込まれたかと思いきや、次の瞬間、全く知らない場所に投げ出されていた。
 目の前に広がる空間はテレビで見たことのあるヨーロッパの教会のようなところで。真っ白な衣をまとったたくさんの人が冷たい床に座り込む希のことを見下ろしていた。これはもしや異世界召喚というものでは、とアニメで見た知識から冷や汗をかいていると、白装束のなかで一際目立つ豪奢な服装の、王子様と形容するに相応しい金髪碧眼の青年が人垣から一歩踏み出してきて。

 「お待ちしておりました、聖女様――」

 彼は碧眼を甘く蕩けさせて、希の前に跪いてうやうやしくその手を取る、わけではなく。希を華麗にスルーして通りすぎた。
 え? と振り返ると、そこにはもう一人、床に座り込む少女がいた。高校生だろうか、制服を着ている。ふわふわの茶髪とお揃いの栗色の瞳が、王子様然とした青年の挙動を理解できずにさまよい、青年の跪く動きに合わせて舞い上がったマントの隙間から、希のそれと交わった。
 交わった瞬間、いや青年にスルーされた瞬間に分かっていた。主人公は、彼女だと。
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