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【第八章.お姉ちゃんの生き方】
【八十三.要らない子】
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平成二十三年五月十六日。月曜日。午前九時二十七分。わたし、四歳。かいちゃん、三歳。
幼稚園をお休みして、お母さんに連れられて、小児科へ行った。
あれから血が止まらなくて、ティッシュをお母さんにねじ込められた。痛くて痛くてたまらないけど、どうしてか、お母さんは泣くとほっぺたを叩く。だから、もう泣くのはやめにした。
泣かない強い子になれば、お母さんは優しいお母さんにもどってくれる。そう思って耐えることにした。
……
お医者さんの鈴木先生──お母さんより若い、女の先生──は、わたしの傷を見て、絶句した。
「どうしてすぐに連れてこなかったんですか!」
お医者さんはお母さんをとっても大きな声で怒った。
「この子にとってこんなに大きな傷を負うことが、どれほど負担になっているか。身体的にはもちろん、精神的にも。警察に連絡します」
「待ってください、治療はして欲しいけれど、警察は待ってください」
お医者さんは、赤いメガネの奥で、目を見開いた。
「お母さん、何を仰っているかわかってますか」
「わかります。わたしがそうでしたから。ずっと、父親に性的虐待を受けてました。この子も、父の子なんです」
「は……?」
お医者さんが、また絶句する。
「夫には内緒にしておいて下さいね。わたしは、小学生の頃から父に逆らえません。初めては小学二年生の時でした。今も、実家に帰ると相手をさせられます。信じられないかもしれませんけど。……かいりは、間違いなく夫の子ですが、この子は、父の子なんです」
わたしは、何をお母さんが言っているのかわからない。父って、おとうさん……じゃないの? お母さんのお父さん……って、所沢の、あのおじいちゃん……?
なぎさは、おじいちゃんとおかあさんのこどもなの?
「もう、ずっとずっと、地獄みたいな人生でした。この子にもそれが遺伝してしまった。私の地獄が、この子にも。だから諦めました。もう、私もこの子も、この先は地獄しかないんです」
「……お母さん、お母さんにとってはそうかもしれませんが……医者として、この子の受けた暴力は見過ごせません」
「いいって、言ってるじゃないですか。もう、仕方の無いこと。もうこの子に、先はないんです」
その後も、しばらくけんけんがくがくとやり取りがあったけど、警察に言ったら訴えますからとヒステリックに怒鳴って、その後はお医者さんは何も言えなくなってしまった。
治療の最後に、八王子市の性暴力ホットラインの案内の紙だけ渡して、その日は終わりになった。
……
帰りのくるまの中で。今日は朝から雨だった。ぽつぽつと、雨の雫がくるまの屋根を叩いた。
「おかあさん……なぎさのおとうさんって、ところざわのおじいちゃんなの?」
「そうだよ」
ウイーン、ウイーン。ワイパーが右に左にいったりきたり。
「なぎさのこと、すきじゃないの?」
「……」
ウイーン、ウイーン。
「ねえ、なぎさのこと、すき?」
「……」
ウイーン、ウイーン。
「……おとうさんに、いってもいい?」
「なぎさの好きにすればいいよ。もうじきに、お母さん出てくからね」
「でてく……?」
ウイーン、ウイーン。
くるまは、いつの間にか家に着いていた。
「……ねえ、なぎさのこと、すき……?」
お母さんは、ハンドルに顔を埋めて、叫ぶように言った。
「好きだったら、好きだったらどんなによかったか!」
そして、わたしの方を向き直り、言った。
「おまえみたいな要らない子、産みたくなかったよ、ほんとは!」
はっきりと、そう、言った。
幼稚園をお休みして、お母さんに連れられて、小児科へ行った。
あれから血が止まらなくて、ティッシュをお母さんにねじ込められた。痛くて痛くてたまらないけど、どうしてか、お母さんは泣くとほっぺたを叩く。だから、もう泣くのはやめにした。
泣かない強い子になれば、お母さんは優しいお母さんにもどってくれる。そう思って耐えることにした。
……
お医者さんの鈴木先生──お母さんより若い、女の先生──は、わたしの傷を見て、絶句した。
「どうしてすぐに連れてこなかったんですか!」
お医者さんはお母さんをとっても大きな声で怒った。
「この子にとってこんなに大きな傷を負うことが、どれほど負担になっているか。身体的にはもちろん、精神的にも。警察に連絡します」
「待ってください、治療はして欲しいけれど、警察は待ってください」
お医者さんは、赤いメガネの奥で、目を見開いた。
「お母さん、何を仰っているかわかってますか」
「わかります。わたしがそうでしたから。ずっと、父親に性的虐待を受けてました。この子も、父の子なんです」
「は……?」
お医者さんが、また絶句する。
「夫には内緒にしておいて下さいね。わたしは、小学生の頃から父に逆らえません。初めては小学二年生の時でした。今も、実家に帰ると相手をさせられます。信じられないかもしれませんけど。……かいりは、間違いなく夫の子ですが、この子は、父の子なんです」
わたしは、何をお母さんが言っているのかわからない。父って、おとうさん……じゃないの? お母さんのお父さん……って、所沢の、あのおじいちゃん……?
なぎさは、おじいちゃんとおかあさんのこどもなの?
「もう、ずっとずっと、地獄みたいな人生でした。この子にもそれが遺伝してしまった。私の地獄が、この子にも。だから諦めました。もう、私もこの子も、この先は地獄しかないんです」
「……お母さん、お母さんにとってはそうかもしれませんが……医者として、この子の受けた暴力は見過ごせません」
「いいって、言ってるじゃないですか。もう、仕方の無いこと。もうこの子に、先はないんです」
その後も、しばらくけんけんがくがくとやり取りがあったけど、警察に言ったら訴えますからとヒステリックに怒鳴って、その後はお医者さんは何も言えなくなってしまった。
治療の最後に、八王子市の性暴力ホットラインの案内の紙だけ渡して、その日は終わりになった。
……
帰りのくるまの中で。今日は朝から雨だった。ぽつぽつと、雨の雫がくるまの屋根を叩いた。
「おかあさん……なぎさのおとうさんって、ところざわのおじいちゃんなの?」
「そうだよ」
ウイーン、ウイーン。ワイパーが右に左にいったりきたり。
「なぎさのこと、すきじゃないの?」
「……」
ウイーン、ウイーン。
「ねえ、なぎさのこと、すき?」
「……」
ウイーン、ウイーン。
「……おとうさんに、いってもいい?」
「なぎさの好きにすればいいよ。もうじきに、お母さん出てくからね」
「でてく……?」
ウイーン、ウイーン。
くるまは、いつの間にか家に着いていた。
「……ねえ、なぎさのこと、すき……?」
お母さんは、ハンドルに顔を埋めて、叫ぶように言った。
「好きだったら、好きだったらどんなによかったか!」
そして、わたしの方を向き直り、言った。
「おまえみたいな要らない子、産みたくなかったよ、ほんとは!」
はっきりと、そう、言った。
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