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【第八章.お姉ちゃんの生き方】

【八十二.封をした記憶・三】

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 五月十五日。日曜日。午後四時十五分。わたし、四歳。かいちゃん、三歳。

 なぎさ、このまましんじゃうのかな。

 五月の風が爽やかに渓流を吹き抜ける。五月にしては特に暑い日だったけど、山の香りをたっぷり含んだ風がキャンプで楽しむ人々の肌をひんやりと冷やしてくれる。
 わたしは、そんなひんやりとした人目のつかない、駐車場からもキャンプ場からも離れた、林道の封鎖された入口の脇の、ちょっと広くなってくるまを何台かとめられそうな、そんな場所で倒れていた。お兄さんがわたしをその砂利の上に寝かせたきり、お腹の奥と、裂けてしまった下腹部があんまり痛くて、そのまま動けないままでいた。
 痛くて痛くて。
 お腹が裂けてしまったみたいな激痛で。
 下半身からは、血がずっと流れ続けてて、止まらなくて。

 わたしはもう、このままだれにも見つからずに、死んでしまうと思っていた。

 ……

 わたしを見つけたのは、お母さんだった。
 無機質な砂利の上で、下半身血まみれで倒れているわたしを見て、ひと目で、自分の娘に何が起こったのか、わかったようだった。

「なぎさ! あんた!」

 わたしは心底ホッとした。
 優しいお母さんが来てくれたから。
 大好きなお母さんが、やっと気付いてくれたから。

 あのね、おかあさん、なぎさね、こわかったんだよ。
 なぎさね、いたかったんだよ。
 あのね、おかあさん、なぎさね、よんだんだよ。
 ……よんだんだよ。

「うえーん、おがあざあんー……うえーん」

 わたしは地面に寝転んだまま、泣き叫んだ。
 今まで怖くて我慢してた分、安堵の反動で涙が噴水みたいに溢れ出した。
 お母さんは、わたしを抱きしめてくれる。
 お母さんは、わたしをよしよししてくれる。
 お母さんは、わたしに怖かったねをしてくれる。
 お母さんは……

「あんた、あんたまで、そんなんなるなんて! あんたまで!」

 え……?

 お母さんは抱きしめる代わりに、わたしを立ち上がらせた。

「いた……いたくてたてないよう……」

 すがりつこうとしたら、手を払われた。

「ほら、立って! もう、泣き言言うんじゃないっ! ほら、足見せて。拭くから。……ほら、早くしなっ」
「……うえーん……」
「泣くな」
「だって、だってぇ……うえーん」
「泣くなっ!」

 ぱしんっ!
 ほっぺたをはたかれた。
 また、わたしは、自分が何をされているのかわからなくなった。

「自分だけがそんな目にあったって、思わないで! お母さんだって、お母さんだってね! そうやって生きてきたんだからっ!」
「うえーん、うえーん!」
「泣くなったら! ほら、足、拭くから!」
「いたいよー、いたいよぉ、おかあさん……うえーん」
「泣くなーっ」

 ぱしんっ。

 ……

「なぎ、どこ行ってた? 心配したぞ……服に血が付いてるじゃないか」
「鼻血。泣いてるうちに鼻血だしたみたい」

 お父さんが駆け寄る。お母さんは素っ気なく答える。

「ようこさん、大丈夫かい?」
「うん、ゆきひこさん、大丈夫……なぎさがいなくて、わたし、怖かったわ……」
「わかるよ、ようこさん。こわかったね」

 お母さんはゆきひこ叔父さんにべたべたしている。
 ゆきひこ叔父さんは、胸の大きなお母さんに引っ付かれて、嬉しそう。

 みんな知らない。
 いちばん怖かったのは、わたしだったこと。

「おねえちゃん……まいご……だいじょうぶ?」

 黄色い服が可愛いかいちゃんは、くりくりした目で、お姉ちゃんを見つめてくる。
 わたしは、可愛いおとうとを抱きしめた。

 みんな知らない。
 次に怖い目に遭わされるのは、かいちゃんだってこと。

 そして、泣いた。
 かいちゃんがそんな目にあったら、いやだから。

 いやだから。
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