わたしの大切なおとうと

杏樹まじゅ

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【第五章.令和五年】

【五十三.春の夢】

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 令和六年。四月八日。月曜日。午前八時二十分。わたし、十六歳。かいちゃんは、もういない。
 春になった。
 森田りく君は、わたしを追って同じ学校に入学してきた。だからわたしの日常は何も変わらない。情事の場所がわたしの高校になっただけ。もう「〇.〇三」の箱を買うのも疲れ始めていた。有ったって、んだから、買っても仕方なかった。最近は友達を誘ったり、ビデオまで回したりし始めた。応募するんだ、賞金は山分けな。
 あれ? この子。こんな汚く笑う子だったっけ。かいちゃんが応援してたサッカー部のエースって、こんな子だったっけ。

 わからない。
 思い出せない。

 ……

 夜寝ると見る夢も、四歳のころから変わらない。
 ワゴン車の中に閉じ込められている、あの夢だ。小さな頃は、外にいるかいちゃんが気づかないんだと思っていた。でも、どうやら違うらしい。
 くるまに閉じこもっているのはわたしだ。自分で鍵をかけて、自分から閉じこもっている。そして、開けようとすると泣き叫ぶ。
 眼窩がぽっかり空いた眼球の無い目で。涙を流して、悲鳴をあげる。裸のわたしを見た、あの日のあの時と、同じ声で。きたない、見たくない、来ないで、と。泣き叫ぶ。

 なんでだっけ。
 思い出せない。

 ……

 わたしは、間違えてない。正しいことをしていた。
 わたしは、おとうと想いだ。こんなに愛している人はいない。

 おとうとは、勘違いをしていただけ。その誤解も解いた。
 おとうとは、元気を取り戻していた。笑っていた。
 おとうとは、わたしの行いを見ても何も言わなかった。

 おとうとは、優しい子だ。誰にでも優しい天使だ。
 おとうとは、臆病な子だ。校舎から飛び降りたりなんかしない。
 おとうとは、痛がりだ。前歯を二本も、折ったりなんかしない。

 おとうとは、自殺なんかしない。優しいから出来っこない。
 おとうとは、世界でたったひとりだけの、わたしのおとうとだ。
 おとうとは、姉思いのいい子だ。わたしをひとりになんかしない。

 じゃあなんで。
 じゃあなんで。

 じゃあなんで、電話を何度かけてもでないの。
 じゃあなんで、お線香の前の写真は、笑ってないの。
 じゃあなんで、胸に穴が空いてるみたいに、体の何かがすとんと落ちるような感じがするの。

 なんで。どうして。誰かおしえて。

 ねえ、森田りく君。わたし、気持ち悪いの。悲しいの。お願いだから少しはそっとしておいてよ。だれもあなた以外の相手をするって言ってない。普通に愛してよ。犬みたいにしないでよ。わたしもう、下腹部が痛くて痛くてたまらないんだよ。

 ねえ、川原さん。避妊、してって言いましたよね。いつの間にしなくなってるんですか。わたし、おもちゃじゃありません。なんでもかんでもわたしで試すのやめてください。ふつうに愛してください。わたしもう下腹部が痛くて痛くてたまらないんですよ。

 ねえ。ねえ。

 誰か助けて。

 ねえ。

 そこのあなた。ねえ。たすけて? 見てないでさ。読んでないでさ。助けてよ。ねえ。

 ねえ。……ねえってば! 呼んでんじゃん! ねえ!

 助けてよ! お願いだから助けて!

 ねえっ!

 ……

 ……わたしはだんだん、妄想と現実が分からなくなり始めていた。
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