わたしの大切なおとうと

杏樹まじゅ

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【第五章.令和五年】

【五十二.灰色】

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 令和六年。二月九日。金曜日。午後五時。わたし、十六歳。かいちゃんは、もういない。

 雨が降っている。まるで、かいちゃんのことを想って泣いているようだ。そんな例えは、安っぽいだろうか。使い古された表現だろうか。
 でも、魂の片割れを亡くした、わたしのような人間には、本当にそう感じるものなのだと、わたしは初めて理解した。

 ……

 まず、最初の感情は、なぜ? だった。

 わたしは最近、気持ち悪くなることが増えた。
 その日も、朝から吐き気が収まらなくて、高校を休んでいた。最近は勉強も疎かになるくらい、働いている。
 ……というか、川原さんが休ませてくれない。体目当てで、ろくに働かないで、勤務時間ずっと相手をすることもあった。変なおもちゃを、変なところに入れられて、そのままお客さんの前に出されて、リモコンで遊ばれたこともあった。そしてまた、業務時間の後で相手にする。
 ……正直、疲れが溜まっているのだろう。それくらいの認識だった。だから、気持ち悪くて横になっていた時。
 電話が鳴って、おばさんが出た。呑気でぼーっとしているおばさんだけど、みるみる顔から笑顔が消えていった。

「ええ。蒼井かいりちゃんは……はい、私の夫の、実子になります……ええっ! いつ……? えええっ! はい。……はい」

 がちゃん。

「どしたの? かいちゃんのこと、なんかいってなかった?」
「なぎちゃん、なぎちゃん」
「なあに、おばさん?」

 おばさんは、血の気の引いた顔で呟くように、言った。

「かいりちゃんが、亡くなったって。今、病院から」

 ……

 わたしの、なぜ? は、病院の遺体安置所についても変わらなかった。
 寝ているだけに見えた。声をかけたら、起き上がって来そうなくらい。
 死んでる? ……ちがうよ。かいちゃんは勘違いしてるだけ。みんなも勘違いしているだけ。何かの勘違いで、寝たフリしてるだけ。昔から、そうだった。喧嘩した時。仲直りしたくなくて、かいちゃんはすぐ寝たフリをした。
 そうよ。今だって。ねえ、かいちゃん。起きてよ。寝たフリ、お姉ちゃんには通用しないよ。ねえ。
 わたしは正しいことしかしていない。わたしは間違えていない。だから、これは、かいちゃんの勘違い。ねえ。そうでしょ。
 そう言ってかいちゃんの顔を見た時。

 血の気のない唇の薄く開いた口から、歯が二本、大きく折れてしまっているのが、見えた。

 その時初めて、わたしはおとうとを失ったのだと、初めて認識した。

 ……

 雨のお葬式には、森田りく君も来た。わたしは彼の胸を借りて、声の限りを尽くして泣いた。あんまり大きな声で泣くから、見ていた親族、関係者、みんな涙を流した。
 でも、森田りく君には、喪に服すわたしのことなんて関係なかった。斎場のトイレに呼び出されて、なし崩しに喪服として着ていた制服を脱がされた。この時も、ものすごく気持ち悪くて仕方なかった。
 でもそれは、だいすきなかいちゃんが死んでしまったからだろうと、そう思って、気持ちの整理がつかないまま、また毎日が始まった。

 でもなんだか、世の中が灰色一色になってしまったようで、中学校でも、牛丼屋の事務所でも、抱かれていてなにも感じなくなっていった。

 わたしのなぜ? も、そのまま。
 なぜ、のまま。
 世界から色が失せていった。
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