わたしの大切なおとうと

杏樹まじゅ

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【第四章.赤いメガネの少女】

【三十九.小山内裏公園・三】

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 七月五日。金曜日。午後一時二十五分。わたし、十六歳。
 しゃわしゃわと鳴くセミの声以外は聞こえない、しんとした公園の広場。ちゃぽん。コイが水面を跳ねる。わたしの叫び声がやけに響いて感じる。

「それはない、ないよ!」
「どうして無いと言えるんですか」
「だって、覚えてるもん! 先月の六日、告白されたの! それより前にふたりでなんてあったことないよ!」

 わたしはわめいた。ぱしゃんぱしゃん。水面に不穏な空気が漂う。

「告白された時の事だって、ちゃんと覚えてるもん。教室の窓枠に乗ってるときだった! 後ろから声をかけてくれて、それで」
「告白? 教室の窓枠?」
「そうだよ!」
「……はあ。……それ、どんなマンガの影響ですか」

 白鷺みそらさんはため息を吐いた。まるで聞き分けのない子どもの相手をしているかのように。

「思ったより重症ですね。ほんとに忘れちゃってる」

 はあ? 何を言ってるんだろう、この子は。わたしは、六月六日に、間違いなく告白されたんだ。大好きな、世界でいちばん大好きなりっくんに。それでも、白鷺みそらさんは断ずる。

「告白されたから付き合ったんじゃない。ある日を境になし崩し的に関係を持っていただけ」
「なによそれ……意味わかんないんだけど……」

 狼狽していて気が付かなかった。白鷺みそらさんは、赤い縁のメガネの奥でじいっと、冷たいその目でわたしを貫いていた。

「かいりの命日、いつだって言ってました?」
「だから令和五年の六月八日だってば!」
「それ、本気でそう信じてるんですか」
「え……」

 ……待って。

 待って。どういうこと?
 わたしのおとうとの、わたしの彼氏の、何を知ってるの?
 何でそんなにはっきりとものを言えるの?
 あなたは何を知ってるの?
 ねえ、白鷺みそらさん。ねえ……

 その時。ピピピピピピ。スマホの着信音がなる。わたしのじゃない。

「もしもし……ああ。ちょっと。うん。学校には居ない。小山内裏公園おやまだいりこうえんに来てる。うん。友達といっしょ。うん。じゃあ、待ってる。……それじゃあ」

 通話を切った白鷺さんは遠くを見たまま、止まってしまった。しゃわしゃわしゃわしゃわ。セミの声が合唱してるみたいに響き渡っている。
 五分ほどして──あるいはもっと短かったかもしれない──タクシーが入ってきた。

「みそら、心配したのよ」

 病院ですれ違った、あのお母さんが出てきた。

「あら、お友達?」
「まあね。……先輩。忘れちゃってること、自分で思い出せるといいですね? ……それじゃあ、失礼します」

 お母さんとタクシーの運転手の介助を受けて、白鷺みそらさんは黒いスライドドアのタクシーに乗り込んで、そして。

 私の前から去った。
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