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【玖】

【玖ノ参】

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 ベルベッチカ・リリヰは、脱衣所で服を脱いだ。血の気のない四肢で真っ暗な脱衣所に立つ。自分の両手を、じいっと見る。新月の目があれば真昼よりも明るく見えるのだ。
(あの子よりも、ずいぶん貧相な……)
 真っ白な肌。でも、五年生だったあの子のような健康的な白さではない。死体のような色なのだ。深海魚みたいだと思う。真っ暗闇の決して太陽の当たらない場所に生きる、魚。数万気圧の圧力に耐えながら、こいびとを待つ。七百年、血の出るような思いをして生きてきた。六百五十五年目にようやくこいびとを見つけた。深海に、光が差した気がした。愛しあった。精一杯生きた。子どもを授かった。
 追憶にふける。幸せだった、記憶。
 けれど、一筋のその光も、オリジンに吹き消された。えいえんに続いてと願った幸せは、半年で終わった。その手に抱くことの出来た幸せの結晶は、十三日で取り上げられた。
 鏡を見る……何も、映ってはいない。でも。胸をさする。あらゆる傷は治る不死身の躰のくせに、オリジンにひきずられ、棺に封印された時に打ち込まれた杭の跡は、未だに残っている。
 ……お前は新月の始祖。お前は決して、ヒト並みに幸せにはなれない。そう、この傷は語るのだ。
 額に神経を集中する。ゆっくり目を開く。新月の目を最大化する。何も映っていない鏡に、自分の姿が浮かび上がる。顔をよく見てみる。
 ……天使じゃん──! あの子が、初めてベルベッチカを見た時に、心の中でそう叫んだのだ。
(ふふ。天使、か……)
 あの時はまだあの子だとはわからなかったけれど。内心では嬉しかった。
(こんな、死人みたいな顔をしているのに)
 金髪碧眼が珍しい日本の、それも山奥の村だ。さぞめずらしく、綺麗に写ったに違いない。でも、ロシアでは、比較的オーソドックスな見た目だ。ベルベッチカだって、おおかみから逃げながら、目をあざむくため、学校に通ったことはある。ベルベッチカより美人な女の子は、沢山見てきた。みな、血色の良くて血の通った、可愛くて見た目をしていた。ベルベッチカは違う。七百年以上生きてきて、その体から生命の温もりは冷えきっていた。白い肌も、美しい白さではない。何も無い、「無」の白さなのだ。
(アレクと、あの子だけだ。私を綺麗だと言ってくれたのは。……返さなくては。あの子に……)

 がちゃり、と唐突にドアが開く。光が洪水のように目に入り、数瞬、目がくらんだ。誰かいるとは思っていなかった沙羅ちゃんが、きゃあと悲鳴をあげた。
「ああ、すまないね、少し……考え事をしていた」
 ベルベッチカは、全裸で、胸も下半身も隠さずに直立している。そんな吸血鬼を見て彼女が憧れのため息を漏らす。
「ベルベッチカちゃん……妖精みたい」
「きみの方が綺麗だよ。とても」
「えー……って、服着て、服!」
 沙羅ちゃんは赤面した後、引き出しから慌ててパジャマを出した。そして、あ、と気づく。
「ブラ……いる?」
「はは。要らないよ。ぺったんこだからね」
 あははは。笑いあった。そういえば。ベルベッチカは気がついた。
 誰かと笑ったのは、何年ぶりだろうか、と。
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