上 下
25 / 72
【肆】

【肆ノ参】

しおりを挟む
「みて、ベルベッチカ。僕らの家だよ」
「白にしてくれたんだ」
 少女の顔がぱあっと明るくなる。
 この村に来てふた月が経った。大好きな、愛しいアレクが誇らしげに新築の家を見せる。木で出来ているのは、ほかの家と同じ。でも、真っ白なペンキで塗ってある。せっかく新調したばかりの色鮮やかなダウンの胸元に、白いペンキが付いてしまっている。逃亡生活の中で奪ったSUVがいつもペンキの臭いがしていたのも、この為なんだろうとベルベッチカは思った。
「白、好きだろ? ぜーんぶ、塗ってみた!」
「ぷっ……あはははは……」
「え、ダメ? 変かなあ」
「ははははは、あはは……ううん、ちがうちがう。背の高いきみが、一生懸命しゃがんで、小さくなって下まで塗ってたのかと思うとね……あっははは」
 七百歳の吸血鬼はお腹を抱えて笑った。久しぶりだった、こんなに大きな声で笑ったのは。久しぶりだった、こんなにきれいな家に住むのは。あんまり笑うから。……笑うから。
 気持ちが悪くなった。急に、吐き気に襲われた。その場でうずくまって、吐きもどした。でも最近は何も食べて──血を吸って──いないから、胃液がでるだけ。
 苦しそうにえずく彼女に、愛しい彼が背中をさすりながら心配そうに覗き込んでくれる。
「ベルベッチカ! 大丈夫?」
「うん……大丈夫……たぶん」
 彼女には、思い当たるコトがあった。

 ……

 令和六年九月五日、木曜日。日本、岩手県、大祇村。
「相原ちゃんさ、ちょっと時間くれない?」
 女子唯一のメガネ少女でロングヘアに白のカチューシャ、みかが放課後声を掛けてきた。
「なに? みか」
「見てほしいものがあるんだよね」
 今日は九月なのに朝から猛烈に暑い。そしてみかの家は下町だから、行ったらそれだけで十五分、帰るのにも三十分は歩く。……なるべく、避けたい。恐る恐る聞いてみた。
「ううん、神社まで」
 神社なら近い。良かった。そう安心して彼女を見ると、何やら顔色が悪い。いつものおとぼけ天然の、忘れ物クイーンじゃない。
「みか?」
「あ、うん、大丈夫」
「おー、ゆう、帰るべ」
 翔が相変わらずのテンションで話しかけてきた。
「悪い、先に帰ってて」
「はー? なんでよ」
「ちょっと、今日はダメなんだ。……ごめん」
「ちぇっ、なんだよそれ。つまんね」
 翔は唇をとがらせて、帰っていった。
「ありがとう」
 みかは下を向いて少し、はにかんだ。
「内緒にしてくれて」
「……なんとなく、言って欲しくなさそうだったから」
「……うん、みんなには内緒にして欲しくて」
「いいよ。……じゃあ、いこっか」

 ……

 みーんみんみんみん、セミが大合唱。今日は本当に暑い。東北でも山間の盆地に位置するこの村は、暑くなるときは容赦しない。田んぼに面する道路では、ミミズが干からびていた。大人より背の低い子供には、アスファルトが鉄板みたいで、より一層暑かった。
 ゆうはこんな日にももちろん、キャップは欠かせない。目深に被って、決して人には髪を見せない。
「あぶないよ、クルマ来るよ」
「いいのいいの。真ん中歩きたくて」
 あれ以来、田んぼが怖い。
『それと、水を恐れる。水に近づきたがらない』
 おじいちゃんの言う通りだ。ここ数日は、手も顔も洗ってない。

 坂を登りきって、神社の下り階段が遠くに見えてきた頃。
「相原ちゃん」
 みかが下を向いたまま、つぶやくように口を開いた。
「大祇祭。どうだった?」
 ぎくり。ゆうは心臓を針でちくりと刺されたようだった。
「どうって……どういう意味……?」
「……本殿着いたら、話すね」
 長い階段を下りて、境内に着いた。川の音が聞こえる以外とても静かで、洞窟が近くにあるからか少しだけひんやりしている。仮の本殿も何事もなかったかのように洞窟の入り口に立っている。相変わらず嫌な雰囲気だと思って見ていると、みかが覗き込んで、何か見せてきた。
「相原ちゃん。これ」
 小さなジップロックに、黒い何かの毛みたいなのが束になって入っている。
「……これって。まさか……」
 こくり、とメガネの少女は頷いた。
「こっちが、私たちがお屋敷で最初に遭ったおおかみ。で、これが、祭りの日に現れたおおかみのもの。比べてみて」
 そう言って、もうひとつ、ジップロックを出した。……同じに、見える。
「だよね?」
 ここでゆうはハッとする。
 あの日、神社にいたヒトはみな噛まれおおかみになったか、食い殺されてしまっている。祭りのことを覚えているヒトは、ゆうとお父さんとお母さん、沙羅とおじいちゃんだけのはずだ。
「私、お祭りが始まるほんとすぐ前に、おなか痛くなっちゃってトイレに行ってたの。そしたら、本殿はもう閉まってるし、変なヒトたちがいっぱいいるしで入れなくて。仕方ないから外で待ってたら……」
「おおかみが本殿からあふれた……」
「うん。だから私、またトイレに駆け込んで、必死にドアを押さえたんだよ」
 みかは真っ青だ……あの日のことを思い出しているようだ。
「ばきばき、くちゃくちゃ。おおかみがヒトを食べる音がずっと、ずうっとして、怖くて怖くて。何時間かして、ドアを開けると、おおかみは居なくなっていたの。でも……」
 涙を浮かべて、ゆうの目を見た。
「パパもママも居なくて……たくさんの血があちこちに飛び散ってて。それでこの毛を、見つけたの」
 ゆうはお父さんとお母さんのことを、おそるおそる泣きそうな少女に聞いた。
「それが……怖くなって家に帰ると普通に居たんだ、おかえりって。……おかしいよね、一緒に行ってたんだよ、でも祭りのことを何も覚えてなくて……私、忘れ物クイーンだから、忘れっぽいよ? でも、こんなの変だよ、私でも覚えてるのに……それとも私が、変になっちゃったのかな……」
 そう言うと、ゆうの前で泣き始めた。
「言ってくれてありがとう。みかは……ヒトなんだね。この村で数少ない……」
 こくり、とみかはうなずいた。いつもの天然おとぼけキャラからは想像もつかない、この村の呪いを恐れるふつうの女の子、だった。ゆうはみかの肩を抱いてあげた。とても柔らかだった。

『きみ。愛しいきみ』
 ベルが唐突に告げる。
『気をつけて……奴の……オリジンの気配がする』
「えっ?」
『近い』

 ……

 気付くと、夕方遅い時間になっていた。一人で境内の仮本殿前で倒れている。ずきん、おなかが痛い。……みかがいない。
「みか? みかっ?」
 手にはおおかみの毛が入ったふたつのジップロック。それだけを残して、みかは消えた。
 ベルにも頭の中で呼びかけるが、彼女の気配もしない。

 夕焼けの田んぼ道を走った。下町のみかの家まで。なぜか今、新月の力が落ちていると感じる。いつものどんくさいゆうのスピードしかでないからだ。
(始祖が来て、ベルが戦って……負けたんだ。それでみかを連れていかれた。くそっ……くそっ! 僕はなんて……なんて無力なんだっ!)
 全力で走った。泣きそうになりながら走った。二十分ほど走って、みかの家に着いた。辺りは日が落ちてもう暗い。
 みかの家はお父さんが電気屋だ。木造の古い家屋に、白い看板。でも、シャッターが降りてる。
「あっ 電気に困ったら 岩崎電気」
 シャッターに古臭いキャッチコピーが書いてある。その脇の家に続く門を入って、玄関の呼び鈴を鳴らした。きーんこーん。
 はい、と木の古いドアを開けてみかが出てきた。
「みか……? さっきの神社の事だけど……」
「神社ぁ? なんのこと? 私なんだかすんごくさ」
 みかはそう言うとあくびをした。あの時の、美玲のように。
 ……ゆうは笑顔を作って、そして告げた。
「ううん。なんでもない。おやすみ、みか」

『すまない、愛しいきみ。きみを守るので、精一杯だった』

 帰り道。ゆうは帽子の下で泣きながら走った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おシタイしております

橘 金春
ホラー
20××年の8月7日、S県のK駅交番前に男性の生首が遺棄される事件が発生した。 その事件を皮切りに、凶悪犯を標的にした生首遺棄事件が連続して発生。 捜査線上に浮かんだ犯人像は、あまりにも非現実的な存在だった。 見つからない犯人、謎の怪奇現象に難航する捜査。 だが刑事の十束(とつか)の前に二人の少女が現れたことから、事態は一変する。 十束と少女達は模倣犯を捕らえるため、共に協力することになったが、少女達に残された時間には限りがあり――。 「もしも間に合わないときは、私を殺してくださいね」 十束と少女達は模倣犯を捕らえることができるのか。 そして、十束は少女との約束を守れるのか。 さえないアラフォー刑事 十束(とつか)と訳あり美少女達とのボーイ(?)・ミーツ・ガール物語。

意味が分かると怖い話 考察

井村つた
ホラー
意味が分かると怖い話 の考察をしたいと思います。 解釈間違いがあれば教えてください。 ところで、「ウミガメのスープ」ってなんですか?

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

カニバリズム症候群~人類を滅亡に向かわせる最悪の感染症

負け犬の心得(眠い犬)
ホラー
人が人の肉を食らう行動=カニバリズム。全世界で同時期に発生したカニバリズムを目的とした殺人事件は世界に大きな衝撃を与えた。犯人達は一様に被害者の身体を切り刻み、その肉を食したのだ。更にある事件が引き金となって、カニバリズムを目的とした殺人事件は一斉に広がりを見せる。SNS上で誰かが呟いたcannibalism syndrome。発生源も感染経路も不明の原因不明の感染症は、人類を滅亡へと向かわせる災厄なのかもしれない。 この物語はフィクションです。実在の人物・事件・団体とは 一切関係がありません。

FLY ME TO THE MOON

如月 睦月
ホラー
いつもの日常は突然のゾンビ大量発生で壊された!ゾンビオタクの格闘系自称最強女子高生が、生き残りをかけて全力疾走!おかしくも壮絶なサバイバル物語!

ホラー掲示板の体験談

神埼魔剤
ホラー
とあるサイトに投稿された体験談。 様々な人のホラーな体験談を読んでいきましょう!

その瞳には映らない

雨霧れいん
ホラー
裏の世界で生きる少年達の壮絶な殺し合いの話し ___ こっちも内容たいして決まってません。

真夜中の訪問者

星名雪子
ホラー
バイト先の上司からパワハラを受け続け、全てが嫌になった「私」家に帰らず、街を彷徨い歩いている内に夜になり、海辺の公園を訪れる。身を投げようとするが、恐怖で体が動かず、生きる気も死ぬ勇気もない自分自身に失望する。真冬の寒さから逃れようと公園の片隅にある公衆トイレに駆け込むが、そこで不可解な出来事に遭遇する。 ※発達障害、精神疾患を題材とした小説第4弾です。

処理中です...