14 / 72
【弐】
【弐ノ陸】
しおりを挟む
『こっちだよ』
ベルの声にゆうは本殿に向かって振り返る。血のように赤い扉が、いつの間にか開いている。
ゆうは声に従って本殿に入ったが、同時に何かとてもいやな臭いがした。
(なんだこれ。くっさ……)
ただ、分かったこともある。それは、本殿だと思っていた大きな建物はがらんどうで、お香をたく台以外何も無いということだ。すぐに洞窟に下りる階段への扉が開いている。
がちゃん。ゆうが入ってすぐ外への扉は閉められた。
洞窟の中は、外からは分からないほどに広かった。幅が二十メートル、奥行が五十メートル、高さも十メートルはありそうだ。左右に村人と子供たちが、片側だけでも七十人は並んで、敷かれたゴザと座布団の上に座っている。その前には何も乗っていないお皿が一枚置かれた、あし付きのお膳が置かれている。不思議なことに、おはしがない。背後には、鍾乳石が垂れ下がる洞窟の壁。壁にはガスランプが付いていて、洞窟内を明るく照らしている。
一番奥は白い漆喰の壁で行き止まりだ。真っ赤な柱とたらされた緑の布、金色の神具が所せましと置かれた祭壇があって、祭壇の奥にはさらに扉がある。ゆうは、ここが本当の本殿なのだとわかった。
がやがやと騒がしいので後ろをむくと、仮の本殿の脇の洞窟の内と外を隔てる赤の柵に、たくさんのあのなぞのヒトたちが群がっている。
「早く、早く食わせてくれ」
みな、口々にそう言って柵にすがりついている。それはまるで昔見た映画のゾンビのようだった。
ゆうはゆっくり、奥の祭壇に向かって歩きだす。左右に居るのは外と違って見知った顔ばかりだ。それもそうだ、座っているのは大祇小学校の子供たちとその親、村のみんなだけなのだから。列の中ほどに、翔が座っていた。何も知らないゆうは「翔、翔!」と友だちの名を呼んだが、ぼうっとしてうつろな目で座っているだけで、呼びかけには肩をゆすっても反応しなかった。翔以外にも茜や航をはじめ学校を休んでいたみんながいる。けれどみな、翔のようにぼんやりするだけだった。
列の奥に目をくばると、いちばん奥の座布団が空いている。
『ゆうちゃんにはなるべく美味しそうなやつあげるからさ……だから。いちばん最初に並んでよ。おねがい』
沙羅が空けてくれたのだろうか。ゆうはそこに座った。左となりに、オタク少女の美玲がいる。
「あ、ゆーくん! もうケガ、大丈夫なん?」
「……うん、大丈夫」
「そか! 良かったー……でも、なにの臭い。鼻がもげそう」
確かにひどい臭いだけれど、信じられないことに、周りのみんなはうっとりとしている。……みんなの瞳が、赤く光っているように見えたのは、見まちがいなのだろうか。
「まあでも、ごちそうは、待ちきれないよね」
美玲はそれでも、ほっぺたを赤くしてゆうに言った。
しゃらん。しゃらん、しゃらん、しゃらん。
しゃらんしゃらんしゃらんしゃらん。
五分ほど待っただろうか。鈴の大きな音が響いた。
「かけまくもかしこき おおかみのみかみ。みそぎはらえたまいしときに なりませるはらへどのおおかみたち。もろもろのこらの そだついのちあらんをば。そだてたまい みちびきたまえと もうすことをきこしめせと。かしこみかしこみも もうす」
沙羅のよく通る声が口上を述べる。洞窟の外にまでひびくような大きさだけど、心地よい、聞き入ってしまうほどのとても綺麗な声だった。
がらっ。祭壇の奥の扉が開けられた。巫女装束姿の沙羅を先頭に、十人くらいのお姉さんが並んでいる。見たことのある、大祇中学校の生徒さんだ。みんな大皿を持っていて、片側に座っている一人一人のお膳の前で、焼かれた何かの肉を長いお箸で取り分け、乗せていく。
『きみ、愛しい、きみ』
「ベルっ?」
また、ベルの声がした。
「どしたん?」
美玲が聞いてくるが、ゆうは答えなかった。
皿に乗せられた不思議な形をしている肉を見る。牛タン……のように見える。
『なるべく美味しそうなやつあげるからさ』
あの日の沙羅の言葉が蘇る。
五分ほどして全員の皿に肉は乗せられた。沙羅が、袴に差していた鈴を取り、しゃらんと鳴らす。
「もろもろのこら きこしめせ きこしめせ」
しゃらんしゃらんしゃらんしゃらん。
「きこしめせ きこしめせ」
しゃらーん。
それまでたましいが抜けたように座っていた村の人たちは、最後の鈴の音を合図に目の前の肉にかじりついた。お箸も、手も使わずに、顔をつっこんで。一心不乱にむさぼりついているその様はまるで……おおかみだった。
「うえっ、ぺっ、ぺっ」
となりの美玲が肉を口から出した。どうやら、おいしくないらしい。
「なにこれ、超まっず……って、ゆーくんっ?」
ゆうは、目の前の肉を手に持って、耳に当てている。耳をこうして当てると、愛しい愛しい女の子の声が、聞こえるのだ。会いたかった、その子の声が。
『生きて。生きて』
「うん、わかった。生きるよ、ベル。僕は生きる」
そう言って、ゆうはその肉をかんだ。甘い、何より甘かったあの、ベルベッチカ・リリヰの舌の味がした。
ベルの声にゆうは本殿に向かって振り返る。血のように赤い扉が、いつの間にか開いている。
ゆうは声に従って本殿に入ったが、同時に何かとてもいやな臭いがした。
(なんだこれ。くっさ……)
ただ、分かったこともある。それは、本殿だと思っていた大きな建物はがらんどうで、お香をたく台以外何も無いということだ。すぐに洞窟に下りる階段への扉が開いている。
がちゃん。ゆうが入ってすぐ外への扉は閉められた。
洞窟の中は、外からは分からないほどに広かった。幅が二十メートル、奥行が五十メートル、高さも十メートルはありそうだ。左右に村人と子供たちが、片側だけでも七十人は並んで、敷かれたゴザと座布団の上に座っている。その前には何も乗っていないお皿が一枚置かれた、あし付きのお膳が置かれている。不思議なことに、おはしがない。背後には、鍾乳石が垂れ下がる洞窟の壁。壁にはガスランプが付いていて、洞窟内を明るく照らしている。
一番奥は白い漆喰の壁で行き止まりだ。真っ赤な柱とたらされた緑の布、金色の神具が所せましと置かれた祭壇があって、祭壇の奥にはさらに扉がある。ゆうは、ここが本当の本殿なのだとわかった。
がやがやと騒がしいので後ろをむくと、仮の本殿の脇の洞窟の内と外を隔てる赤の柵に、たくさんのあのなぞのヒトたちが群がっている。
「早く、早く食わせてくれ」
みな、口々にそう言って柵にすがりついている。それはまるで昔見た映画のゾンビのようだった。
ゆうはゆっくり、奥の祭壇に向かって歩きだす。左右に居るのは外と違って見知った顔ばかりだ。それもそうだ、座っているのは大祇小学校の子供たちとその親、村のみんなだけなのだから。列の中ほどに、翔が座っていた。何も知らないゆうは「翔、翔!」と友だちの名を呼んだが、ぼうっとしてうつろな目で座っているだけで、呼びかけには肩をゆすっても反応しなかった。翔以外にも茜や航をはじめ学校を休んでいたみんながいる。けれどみな、翔のようにぼんやりするだけだった。
列の奥に目をくばると、いちばん奥の座布団が空いている。
『ゆうちゃんにはなるべく美味しそうなやつあげるからさ……だから。いちばん最初に並んでよ。おねがい』
沙羅が空けてくれたのだろうか。ゆうはそこに座った。左となりに、オタク少女の美玲がいる。
「あ、ゆーくん! もうケガ、大丈夫なん?」
「……うん、大丈夫」
「そか! 良かったー……でも、なにの臭い。鼻がもげそう」
確かにひどい臭いだけれど、信じられないことに、周りのみんなはうっとりとしている。……みんなの瞳が、赤く光っているように見えたのは、見まちがいなのだろうか。
「まあでも、ごちそうは、待ちきれないよね」
美玲はそれでも、ほっぺたを赤くしてゆうに言った。
しゃらん。しゃらん、しゃらん、しゃらん。
しゃらんしゃらんしゃらんしゃらん。
五分ほど待っただろうか。鈴の大きな音が響いた。
「かけまくもかしこき おおかみのみかみ。みそぎはらえたまいしときに なりませるはらへどのおおかみたち。もろもろのこらの そだついのちあらんをば。そだてたまい みちびきたまえと もうすことをきこしめせと。かしこみかしこみも もうす」
沙羅のよく通る声が口上を述べる。洞窟の外にまでひびくような大きさだけど、心地よい、聞き入ってしまうほどのとても綺麗な声だった。
がらっ。祭壇の奥の扉が開けられた。巫女装束姿の沙羅を先頭に、十人くらいのお姉さんが並んでいる。見たことのある、大祇中学校の生徒さんだ。みんな大皿を持っていて、片側に座っている一人一人のお膳の前で、焼かれた何かの肉を長いお箸で取り分け、乗せていく。
『きみ、愛しい、きみ』
「ベルっ?」
また、ベルの声がした。
「どしたん?」
美玲が聞いてくるが、ゆうは答えなかった。
皿に乗せられた不思議な形をしている肉を見る。牛タン……のように見える。
『なるべく美味しそうなやつあげるからさ』
あの日の沙羅の言葉が蘇る。
五分ほどして全員の皿に肉は乗せられた。沙羅が、袴に差していた鈴を取り、しゃらんと鳴らす。
「もろもろのこら きこしめせ きこしめせ」
しゃらんしゃらんしゃらんしゃらん。
「きこしめせ きこしめせ」
しゃらーん。
それまでたましいが抜けたように座っていた村の人たちは、最後の鈴の音を合図に目の前の肉にかじりついた。お箸も、手も使わずに、顔をつっこんで。一心不乱にむさぼりついているその様はまるで……おおかみだった。
「うえっ、ぺっ、ぺっ」
となりの美玲が肉を口から出した。どうやら、おいしくないらしい。
「なにこれ、超まっず……って、ゆーくんっ?」
ゆうは、目の前の肉を手に持って、耳に当てている。耳をこうして当てると、愛しい愛しい女の子の声が、聞こえるのだ。会いたかった、その子の声が。
『生きて。生きて』
「うん、わかった。生きるよ、ベル。僕は生きる」
そう言って、ゆうはその肉をかんだ。甘い、何より甘かったあの、ベルベッチカ・リリヰの舌の味がした。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
逢魔ヶ刻の迷い子3
naomikoryo
ホラー
——それは、閉ざされた異世界からのSOS。
夏休みのある夜、中学3年生になった陽介・隼人・大輝・美咲・紗奈・由香の6人は、受験勉強のために訪れた図書館で再び“恐怖”に巻き込まれる。
「図書館に大事な物を忘れたから取りに行ってくる。」
陽介の何気ないメッセージから始まった異変。
深夜の図書館に響く正体不明の足音、消えていくメッセージ、そして——
「ここから出られない」と助けを求める陽介の声。
彼は、次元の違う同じ場所にいる。
現実世界と並行して存在する“もう一つの図書館”。
六人は、陽介を救うためにその謎を解き明かしていくが、やがてこの場所が“異世界と繋がる境界”であることに気付く。
七不思議の夜を乗り越えた彼らが挑む、シリーズ第3作目。
恐怖と謎が交錯する、戦慄のホラー・ミステリー。
「境界が開かれた時、もう戻れない——。」
不労の家
千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。
世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。
それは「一生働かないこと」。
世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。
初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。
経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。
望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。
彼の最後の選択を見て欲しい。
コ・ワ・レ・ル
本多 真弥子
ホラー
平穏な日常。
ある日の放課後、『時友晃』は幼馴染の『琴村香織』と談笑していた。
その時、屋上から人が落ちて来て…。
それは平和な日常が壊れる序章だった。
全7話
表紙イラスト irise様 PIXIV:https://www.pixiv.net/users/22685757
Twitter:https://twitter.com/irise310
挿絵イラスト チガサキ ユウ様 X(Twitter) https://twitter.com/cgsk_3
pixiv: https://www.pixiv.net/users/17981561
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/horror.png?id=d742d2f035dd0b8efefe)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる