人形学級

杏樹まじゅ

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【朝の会】

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「おお、賑やかだね」
 灰島月子が、人混みの多さに驚いた。

 十一歳。十一月。
 吉祥寺に来た。
 グレーのワンピースを着た、ひすいと、二人で。
 西武バスに乗って国分寺駅まで出て、中央線で。

 国分寺駅にて。
 ママやパパ無しで、遠くに行くの、初めて。
 ひすいは月子の手を握った。
 月子も、吉祥寺みたいな遠くに行くのは初めてだった。
 迷路みたいなJR東日本の路線図を見て──初めは吉祥寺がどこにあるのかすら分からなかった──、緊張した。
 親と電車に乗る時は買って貰ってたから、切符の買い方もわからない。
 緊張がひすいに伝わった。
 月子も手を握り返した。
「大丈夫、百八十円だよ。あ、でも今日はママ居ないから……九十円だね!」
 ひすいは、ママと何度も行ったことがあるらしく、初めてでも落ち着いていた。
 丁度、オレンジの帯の電車が来ていた。
「あ、それだめ、吉祥寺に止まらないよ」
 危ない危ない。
 どうやら止まらない電車もあるみたいだ。
 少し待って、中央線の快速電車に乗った。
 そして待つこと五駅分。
 ひすいお気に入りの、月子は初めて来る、吉祥寺に到着した。

 日曜日だから当然なのかもしれないけれど、それでも人の多さには圧倒された。
 いつも出かけても地元の小平駅か一橋学園駅周辺くらい。
 その何倍もの人の多さは、月子の想像を遥かに超えていた。
「その……ユザワヤ……だっけ? どこにあるか、わかるの?」
 初めて来る月子はなるべく冷静さを保つようにした。
「うん、キラリナ京王吉祥寺の中だよ!」
「キラリナ……」
 なんだか可愛い名前だ。
 頭の中に、舞浜にある夢の国が浮かんだ。

 ふふ。
 人形の材料が、売ってるんだもんね。

 月子は、心の中で妄想して、勝手に微笑んだ。

 だけど、あっという間に着いてしまった。
 駅に直結している建物だった。
 まだ新しいのか、ほのかにペンキみたいな臭いがする。
 ぴかぴかの床には埃一つ落ちていない。
 八階と九階が、ユザワヤらしい。
 エスカレーターに乗った。
 ひすいが大好きな、毛糸売り場に着いた。
「わあっ! いつ来てもいいなあっ」
 色んな毛糸玉を手に取っては、これはどう? こんな色はどう? まるで小さい子みたいに聞いてくる。
 月子は、そんなひすいが大好きで大好きでたまらなかった。
「次は、どんな子を作るの?」
「ふっふっふー!」
 ひすいは、カゴに入った赤と、青と、ピンクと、黄色の毛糸玉を見せた。
「これ……いつものあの子たちの色じゃない?」
 月子が素直に疑問を口にした。
 ひすいは、うんっ、と元気よく首を縦に降った。
「つぎはねえ……ぜんぶミックスの虹色の、いちばん素敵なお友達を作るのです!」
「……虹色だったら、オレンジとか、水色とかもないと……」
「いいのー。あの子たちの集大成の、四色の女の子だよ!」
 ひすいは目をきらきらさせている。
 ……まあ、いっか。四色の虹が、あっても、いい。
 女の子が好きなあたしだって、いていいって、ひすいが言ってくれるんだから。

「月子ちゃん、お弁当、持ってきた?」
「うん、もってきたよ」
 二人は井の頭公園に来た。
 入口で大学生のパフォーマンスを見た。
 でっぷりとした鯉を、橋から覗いて笑った。
 ベンチでイチャつくカップルを見て、隣のベンチで同じようにイチャついた。
 キスをした。
 通行人が皆見てることに気がついて、気まずくなってお弁当を食べることにした。
 お母さんのお弁当はいつも冷凍食品ばかりだけど。
 ひすいのお弁当は全部手作りで羨ましかったけど。

 楽しかった。

 公園の遊具で思いっきり二人で遊んでいたら、気がついたら夕方になっていた。

「……帰ろっか」
「うん」

 月子は、吉祥寺もキラリナも井の頭公園も大好きになった。
 ひすいは、そんな月子が大好きな吉祥寺を、もっともっと好きになった。
 手を繋いで、吉祥寺駅まで歩いた。
 疲れてしまったのか、座っていたらひすいにもたれてうとうとと寝てしまった。
「国分寺駅だよ」
 ひすいに小さな声で起こされて、すずっとヨダレを啜った。
 帰りのバスの中でも、吉祥寺の話、新作人形の話で盛り上がった。

 ぴんぽーん。
「あ、団地前だ! 月子ちゃん、ありがとう! 今日はとっても楽しかった!」
「うん、あたしも。……また行こうね?」
「うん、また行こう!」
 ひすいはバスをとんとんと小気味よいリズムで降りていった。
 外はもう暗い。
 月子も、降りたひすいに手を振った。
 見えなくなるまで、ずっと。

 ふふふ。
 楽しかった。
 楽しかったなあ……
 また、行きたい。
 吉祥寺に、ユザワヤに、井の頭公園に。

 ひすいが死んだのは、その二週間後。
 寒い寒い、白い空の日。
 あの銀の窓枠から、飛び立った。
 月子が二度とひすいと吉祥寺に行くことは、出来なくなった。
 井の頭公園の入り口で、楽しいパフォーマンスを見ることも。
 池を泳ぐ鯉を見て可愛いと言うことも。
 キラリナのユザワヤで毛糸を選ぶことも。
 ベンチに座ってキスすることも。

 何もかもが叶わなくなった。

 それでも、月子は吉祥寺に一人で通った。
 彷徨っていた、という方が正しかったかもしれない。
 ひすいに似ている子を見かけては、声をかけた。
 声をかけられた全ての女の子は、怪訝な顔をするだけだった。
 それでも、止められなかった。

 それから十年経ったある六月。
 立川で実習をした帰りに、寄った。
 また、ひすいに似た子を探しに。
 ふらふらすること、二時間。
 ──そろそろ、帰ろう。
 そう思ってパルコの前を通った時。
 ショーケースの中に──ひすいがいた。
 身長はスラリと伸びて、月子と同じくらいの歳になっていたけれど。
 あの日の、グレーのワンピースを着て、立っていた。
「ひすい、ひすい!」
 泣きながらマネキンの飾られたショーケースを叩いた。
 それを咎める人は、誰一人として居なかった。

 月子は暫くして冷静になって、そしてパルコの店内に入って、あのブランドの服を探した。
 ……あった。
 あの日のひすいが来ていたのとソックリなワンピースが。
 教育実習も、もうすぐ終わり。
 それが終わったら、これを着よう。
 ひすいを感じながら、吉祥寺を歩こう。
 ひすい……ひすい……
 早くあなたに会いたいよ──

 月子がそのワンピースを着て吉祥寺に行くことは、出来なくなった。
 その代わり、パルコの袋にはひすいの編みぐるみを詰めた。
 そして、講義棟の九階の階段を登った。

 そういえば、あの日も、吉祥寺駅のホームに続く階段をこうして登った。

 楽しかったね。

 ふと、ひすいがそう言ったような気がした。
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