茜坂病院前バス停にて・拝島ぼたんの退魔録─壱─ 僕の彼女は幽霊で胸に秘める九つの秘密

杏樹まじゅ

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【愛さんとお姉ちゃん】

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「うわあ、美味しそう、お姉ちゃん!」
「にひひひ、だろう、姉ちゃんのお好み焼きはお父さん直伝だからなー! ね、お父さん」
「ああ、もう一人で全部作れるな、瞳は凄いなあ」
「あー、お姉ちゃんばっかり、愛は? 愛はぁ?」
「ほらほら、二人とも、お父さんを巡って喧嘩するんじゃないよ。あなた、切ってあげて」
「あっ、この大きなの、あたしのねーん」
「ああっ、お姉ちゃんずるいよぉっ、それ愛のー」
「にひひひ、姉の特権なのだー!」
「ずるいよ、お姉ちゃんばっかり」
「なーんてね、ほら、半分こ!」

 ……

 ずるいよ、お姉ちゃんばっかり。

 ……

「ごめんね、愛。母さんだけじゃ、二人は面倒見きれないんだよ……健おじさん家でも、いい子で居るんだよ」
「ずるいよ、お姉ちゃんばっかり。うわーん、うわーん」
「大丈夫、遊びに行くからさ、姉ちゃんがまたお好み焼き作ってあげるからさ、泣くなよー、愛」
「ずるいよ、ずるいよ。うわーん」
「ほら、瞳、行くよ」
「大丈夫、愛、姉ちゃんが絶対行くから、ね」
「二人とも、大丈夫。時々愛ちゃんのことも、おじちゃんが瞳ちゃん家に連れてってあげるから」
「そうよ、愛。母さんだって瞳連れて、会いに行くから、絶対ね……ほら、行くよ」

 ……

 姉ちゃんが絶対行くから、ね。そう言ったのに。

 ……

 お父さんが死んで、健おじさんに引き取られたのが小学二年生の頃。
 お姉ちゃんが、健おじさんに引き取られた私の所に来ることは、無かった。
 約束したのに。
 大人は、その約束を、守ってはくれなかった。
 健おじさんが言っていた。
 お母さんが再婚したと。
 だから迎えに来てくれると信じてた。
 新しいお父さんと、お母さんと、お姉ちゃんでまた生きていける、そう信じてた。
 けど、一向にそんな気配はない。
 それどころか、週に一回書いたお手紙も、年賀状も、返事が来ることは無かった。

(ずるいよ、お姉ちゃんばっかり)

 そう思って生きてきた。
 ずっと、そう思って生きてきた。

 ……

 ある時、おばさんと喧嘩をした。
 五年生の時だ。
 些細なことがきっかけだったけど、もうこの家にはいられないって思った。

(お姉ちゃんに、会いたい)

 愛の住んでいる健おじさんの家は川越。
 お姉ちゃんの住所は前に聞いていた。
 そこは東京都練馬区の上石神井。
 西武新宿線で一本だと知った。
 なけなしのお小遣いで切符を買って、黄色い電車に飛び乗った。
 交番で、お巡りさんに住所を伝えて──今にして思えば、よく家に帰されなかったと思うが──道を聞いた。
 あと少しで会える、その気持ちで胸が高鳴った。

「そこの大きな通りを歩いてって、三つ目の、コンビニエンスストアの角を曲がって、すぐのとこだよ」

 お巡りさんは、確かにそう言っていた。
 でも、そこにあったのは、古ぼけた二階建ての小さな小さなアパート。
 一戸建てで庭も広い川越の健おじさん家とは、何から何まで反対の、小さな家だった。

(ほんとに、ここにお姉ちゃんが住んでるの?)

 半信半疑で、電柱の影から、アパートを見ていた。
 二〇三号室だということはわかっていた。
 あの、角部屋だ。
 灯りがついている。
 行ってみようかな……どうしようかな。
 そう思っていると、背後から大きなおじさんがのそりと愛の傍を通った。
 酒臭くて、顔は真っ赤で、しゃっくりをしながら歩いている。

(うわあ、やだなあ)

 そう思って見ていると、なんとそのアパートの二〇三号室に入っていった。

(ええっ、あの人が「お父さん」なの?)

 何か、すごく嫌な予感がして、アパートの部屋の前まで行った。
 がしゃん。
 すごい音がして、怒鳴り声が聞こえた。

「酒買っておけっつっただろうがっ!」
「子供には売れませんって言われたんだよ、おとうさん……」
「嘘つけ、忘れてただけだろうがっ!」

 ぱしん。

「また『お仕置』してやらねえとだめだな」
「い、いやだ、それはやだ、やだよお!」
「うるせえ、このメスガキが、ベッドから出てこい!」
「やだ、やだあーっ!」
「このっ! 身体付きだけはいやらしくなりやがって!」
「いやっ、やめてっ、ぎあっ、いだっ、いだいよお、やめてよお!」
「愛っ、たすけて、たすけてよぉ、愛ーっ!」

(お姉ちゃんが呼んでる……助けに行かなきゃ)

 でも、怖くて、ノブに手が伸びなかった。
 それから、魂が抜けたみたいに家に帰った。
 健おじさんとおばさんには、友達の家に行っていたと嘘をついた。

 ……

 それから一年後、「おとうさん」は死んだと聞かされた。
 病気だと、健おじさんは、それだけ言った。
 詳しいことは教えてくれなかった。

 その更に一年後、今度はお母さんが死んだと聞いた。
 愛が中学一年生、お姉ちゃんが中学二年生の時だ。
 お葬式に行ったけど、お姉ちゃんは居なかった。
 病気で入院していたと聞いた。

「会わない方がいい」

 お姉ちゃんの何かの事情を知っている健おじさんが、そう言った。
 愛は、それとは関係なく、行く勇気が持てなかった。
 あの時の、あの「おとうさん」の怒鳴り声とお姉ちゃんの悲鳴が、あれ以来片時も耳から離れなかったからだ。

 いつか、会いに行こう。
 子供の頃から会えなかったけど、お姉ちゃんは、許してくれるはず。
 いつか、会いに行こう。
 おとうさんに酷いことされてる時も会えなかったけど、お姉ちゃんは、許してくれるはず。
 いつか、会いに行こう。
 病気の今も会えてないけれど、お姉ちゃんは、許してくれるはず。
 いつか、いつか。

 ……

 お姉ちゃんが死んだと聞いたのは、その次の夏の日だった。
 遺体安置所に行った。
 骨みたいにやせ細ったお姉ちゃんを見て、泣いた。

「ごめんね、ごめんね」

 がしっ。
 お姉ちゃんが手を掴んだ。

「許せるわけないじゃない。あたしはおとうさんに酷いことされたのに」
「ごめんなさい、お姉ちゃん。ごめんなさい、許して」
「許せるわけないじゃない。あたしはお母さんに見て見ぬふりされたのに」

 そう言いながら起き上がったお姉ちゃんが、愛を押し倒して馬乗りになった。
 そして、やせ細りもう体温のない冷たい手で、首を絞めてきた。

「許せるわけないじゃない。あたしは……あれから何度も愛を呼んだのにっ! あれから! 何度も!」

(ごめんね、お姉ちゃん、ごめんね)

 首を絞められ、涙を流しながら、愛は許しを乞うた。

(わたしも連れて逝って……お姉ちゃん)

 そして、愛は気を失った。

 ……

「愛……?」

 瞳さんは、自分がしでかした事の意味に気がついた。

「うそ、起きて、起きてよ」

 けれど、それはもう「手遅れ」だった。

「愛、起きてよっ! 愛っ! いや、いや」

 きぃああああああ──!

 鼓膜が張り裂けるような悲鳴をあげて、瞳さんは消えた。

 がちゃりっ。

 また七星剣・魔断の歯車が回った。
 剣の柄の「よん」の大字が「さん」に変わった。

「逢沢瞳は、ずっと、待ち続けていた。お父さんとお母さんを。そして妹も。でも、誰も来ることはなかった。淡い期待と希望はいつしか憎しみに代わり、霊を魔に変えた」

 誰もいなくなった埃まみれの遺体安置所で、拝島ぼたんが博巳に、そう告げた。

 七星剣・魔断の抜刀まで──のこり三回。
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