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【桃原サクラ】
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「おにいちゃん、あそぼ」
ウェーブのかかった黒のショートヘア。
ママが髪の毛が抜ける前と同じウィッグを買ってくれた。
おでこには大きな傷がある。
三歳の頃、保育園で仲良しのいくこちゃんとはしゃいでロッカーの角にあたまを打って出来た傷だ。
桃原サクラは、四歳の脳腫瘍患者だ。
あたまを打った時、お医者さんに連れていかれて、それで脳腫瘍が見つかった。
今年になって、右目が斜視になってしまった。
或る男のひと──名前は知らない──と同じ病室に入院している。
名前は知らないけれども、彼のことをおにいちゃんと呼び、心の底からだいすきなのだ。
でも、おにいちゃんは気づかない。
一度も、その呼びかけに気づいたことはない。
もちろん、サクラがおにいちゃんがだいすきなことも。
……
どういう訳か……
ある日を境に、だれもサクラのことに気付かなくなった。
不思議だった。
その日は……確か……
あたまがすごくいたくなって、痙攣して、食べたものを全部吐いて、それが喉に詰まって息が出来なくなって、おいしゃさんが来て……
それから?
そこから先は、覚えていない。
(確か、ママが呼んでた気がする。確か、パパがおててを握ってた気がする)
そして。
気がついたら、一人でベッドに座っていた。
病室には、誰もいない。
ママも。
パパも。
かんごふさんも。
おいしゃさんも。
(ううん、違う。知らないおにいちゃんが一人、向かいのベッドにいる。誰だろう? ここ、女の子のお部屋だよ。お部屋、間違ってるよ)
「おにいちゃん」
呼んでみた。
でも聞こえないのか、サクラの方を見たことがない。
(さびしいなあ)
あそんで欲しかった。
「おにいちゃん、あそぼ」
でも、その声が届いたことは無い。
……
おにいちゃんは、いつも頭がいたそうだった。
いたくていたくてたまらないのか、ベッドでうなってばかりの日もあった。
(おんなじ、だ)
サクラは思った。
サクラも、おんなじようにあたまがいたかったから。
「いたいよね、くるしいよね」
「サクラもだったよ」
色々話しかけてみた。
けれどもやっぱり、おにいちゃんは気づかないのだった。
そして来る日も来る日もおにいちゃんを見ているうちに……
(けっこう、かっこいいじゃん)
おにいちゃんのことがだいすきになった。
……
春になった。
ある日。
おにいちゃんの所に、知らないおねえちゃんが駆け込んできた。
真っ赤なお洋服が良く似合う、すてきなおねえちゃんだった。
お花の、いい匂いのするおねえちゃんだった。
(びじんだなあ)
お姉ちゃんはおにいちゃんの手を引いて、窓の外に出て行った。
(どこに行くのかな……あ! かえってきた! おにいちゃんは……なんだかとても嬉しそう。サクラがはなしても、ちっともふりむかないのに)
ずるいよ。
サクラの小さな心臓に、くろいもやもやが生まれた。
……
それから毎日、赤い服のいい匂いのおねえちゃんはおにいちゃんのベッドの下に隠れた。
それでいっつも、手を引いて、窓の外に行ってしまう。
(おにいちゃんはサクラのなのに。サクラがさいしょに、だいすきになったのに。おねえちゃんはずるい。ずるいよ)
いつの間にか。
いつの間にか、サクラのくろいもやもやは、ちっちゃな心臓には収まりきらずに溢れ出して、おねえちゃんを包み込み始めていた。
それは日に日に。
日に日に大きくなって、濃くなって。
絵本で見た、巨人さんが大きな手で握りつぶすかのようにはっきりと見えるまでになった。
この頃、サクラはその巨人さんになって、おねえちゃんの後をついていけるようになった。
……
おにいちゃんとおねえちゃんは、あるあついなつのひ。
バスがとまるところ?
みたいなとこでたっていた。
「ほら、いまだよ」
こえがきこえた。
「あなたは、だあれ?」
「さくら、だよ」
「サクラはサクラだよ」
「それよりさ、つぶしちゃいなよ」
「なーに?」
「きらいなんでしょ、そのおねえちゃん」
「……うん」
「かんたんだよ。そのおててで、ぷちっとすればいいの」
「ぷちっと?」
「そう、ほら、やってごらん。……ほら」
サクラは、おててで、ぷちっと。
おねえちゃんのいのちをにぎりつぶした。
ごほっ。
おねえちゃんはきゅうに「ち」をはいてたおれちゃった。
これでじゃまなおねえちゃんはいなくなった。
これで、おにいちゃんはサクラのもの。
ほら、おにいちゃん。
こっちをむいて。
ほら。
ほら。
なのに。
なのに。
なんで、なんでまいにちないてるの?
なんでサクラのことみないの?
なんで。
こっちみてよ。
みてよ。
みて。
さびしい。
さびしいよ。
「さびしいよぉぉおお、おにいちゃぁぁあん……!」
かんっ。
あれ。
「ぷちっと」したはずなのに、うでがない。
ちょんぎられてる。
だれ?
あかい……もえてる、かみの?
ざんっ。
あ……
もやもやが、きえる。
どんどんきえて。
あれ。
サクラのおかお、とれちゃった。
でも。
でも……なんでかな。
さびしくないや……あ、ママ、あのね……
……
「これで、あと、千八十一……」
拝島ぼたんは剣をゆっくりと鞘に納めた。
光は消え、一メートル八十センチあった刀身は四十五センチの鞘に収まった。
がちゃりっ。
七星剣・魔断の歯車が回り、剣の柄の「零」の大字が「無」に還った。
「はーい、私の勝ちね」
背後で看護婦さんがにっこり笑っている。
七星剣・魔断の力で拝島ぼたんの姿は彼女らには見えない。
「起きたからには今日こそは食べて……って、言うまでもなかったかな?」
「生きる気になったか」
拝島ぼたんは横目で少年を見た。
「子供の魔を斬るのは、いつまでたっても……」
「ナンダ、ぼたん」
「いや、なんでもない」
赤毛の退魔師は、小さくそう言うと、脳腫瘍患者用の病棟を後にした。
ウェーブのかかった黒のショートヘア。
ママが髪の毛が抜ける前と同じウィッグを買ってくれた。
おでこには大きな傷がある。
三歳の頃、保育園で仲良しのいくこちゃんとはしゃいでロッカーの角にあたまを打って出来た傷だ。
桃原サクラは、四歳の脳腫瘍患者だ。
あたまを打った時、お医者さんに連れていかれて、それで脳腫瘍が見つかった。
今年になって、右目が斜視になってしまった。
或る男のひと──名前は知らない──と同じ病室に入院している。
名前は知らないけれども、彼のことをおにいちゃんと呼び、心の底からだいすきなのだ。
でも、おにいちゃんは気づかない。
一度も、その呼びかけに気づいたことはない。
もちろん、サクラがおにいちゃんがだいすきなことも。
……
どういう訳か……
ある日を境に、だれもサクラのことに気付かなくなった。
不思議だった。
その日は……確か……
あたまがすごくいたくなって、痙攣して、食べたものを全部吐いて、それが喉に詰まって息が出来なくなって、おいしゃさんが来て……
それから?
そこから先は、覚えていない。
(確か、ママが呼んでた気がする。確か、パパがおててを握ってた気がする)
そして。
気がついたら、一人でベッドに座っていた。
病室には、誰もいない。
ママも。
パパも。
かんごふさんも。
おいしゃさんも。
(ううん、違う。知らないおにいちゃんが一人、向かいのベッドにいる。誰だろう? ここ、女の子のお部屋だよ。お部屋、間違ってるよ)
「おにいちゃん」
呼んでみた。
でも聞こえないのか、サクラの方を見たことがない。
(さびしいなあ)
あそんで欲しかった。
「おにいちゃん、あそぼ」
でも、その声が届いたことは無い。
……
おにいちゃんは、いつも頭がいたそうだった。
いたくていたくてたまらないのか、ベッドでうなってばかりの日もあった。
(おんなじ、だ)
サクラは思った。
サクラも、おんなじようにあたまがいたかったから。
「いたいよね、くるしいよね」
「サクラもだったよ」
色々話しかけてみた。
けれどもやっぱり、おにいちゃんは気づかないのだった。
そして来る日も来る日もおにいちゃんを見ているうちに……
(けっこう、かっこいいじゃん)
おにいちゃんのことがだいすきになった。
……
春になった。
ある日。
おにいちゃんの所に、知らないおねえちゃんが駆け込んできた。
真っ赤なお洋服が良く似合う、すてきなおねえちゃんだった。
お花の、いい匂いのするおねえちゃんだった。
(びじんだなあ)
お姉ちゃんはおにいちゃんの手を引いて、窓の外に出て行った。
(どこに行くのかな……あ! かえってきた! おにいちゃんは……なんだかとても嬉しそう。サクラがはなしても、ちっともふりむかないのに)
ずるいよ。
サクラの小さな心臓に、くろいもやもやが生まれた。
……
それから毎日、赤い服のいい匂いのおねえちゃんはおにいちゃんのベッドの下に隠れた。
それでいっつも、手を引いて、窓の外に行ってしまう。
(おにいちゃんはサクラのなのに。サクラがさいしょに、だいすきになったのに。おねえちゃんはずるい。ずるいよ)
いつの間にか。
いつの間にか、サクラのくろいもやもやは、ちっちゃな心臓には収まりきらずに溢れ出して、おねえちゃんを包み込み始めていた。
それは日に日に。
日に日に大きくなって、濃くなって。
絵本で見た、巨人さんが大きな手で握りつぶすかのようにはっきりと見えるまでになった。
この頃、サクラはその巨人さんになって、おねえちゃんの後をついていけるようになった。
……
おにいちゃんとおねえちゃんは、あるあついなつのひ。
バスがとまるところ?
みたいなとこでたっていた。
「ほら、いまだよ」
こえがきこえた。
「あなたは、だあれ?」
「さくら、だよ」
「サクラはサクラだよ」
「それよりさ、つぶしちゃいなよ」
「なーに?」
「きらいなんでしょ、そのおねえちゃん」
「……うん」
「かんたんだよ。そのおててで、ぷちっとすればいいの」
「ぷちっと?」
「そう、ほら、やってごらん。……ほら」
サクラは、おててで、ぷちっと。
おねえちゃんのいのちをにぎりつぶした。
ごほっ。
おねえちゃんはきゅうに「ち」をはいてたおれちゃった。
これでじゃまなおねえちゃんはいなくなった。
これで、おにいちゃんはサクラのもの。
ほら、おにいちゃん。
こっちをむいて。
ほら。
ほら。
なのに。
なのに。
なんで、なんでまいにちないてるの?
なんでサクラのことみないの?
なんで。
こっちみてよ。
みてよ。
みて。
さびしい。
さびしいよ。
「さびしいよぉぉおお、おにいちゃぁぁあん……!」
かんっ。
あれ。
「ぷちっと」したはずなのに、うでがない。
ちょんぎられてる。
だれ?
あかい……もえてる、かみの?
ざんっ。
あ……
もやもやが、きえる。
どんどんきえて。
あれ。
サクラのおかお、とれちゃった。
でも。
でも……なんでかな。
さびしくないや……あ、ママ、あのね……
……
「これで、あと、千八十一……」
拝島ぼたんは剣をゆっくりと鞘に納めた。
光は消え、一メートル八十センチあった刀身は四十五センチの鞘に収まった。
がちゃりっ。
七星剣・魔断の歯車が回り、剣の柄の「零」の大字が「無」に還った。
「はーい、私の勝ちね」
背後で看護婦さんがにっこり笑っている。
七星剣・魔断の力で拝島ぼたんの姿は彼女らには見えない。
「起きたからには今日こそは食べて……って、言うまでもなかったかな?」
「生きる気になったか」
拝島ぼたんは横目で少年を見た。
「子供の魔を斬るのは、いつまでたっても……」
「ナンダ、ぼたん」
「いや、なんでもない」
赤毛の退魔師は、小さくそう言うと、脳腫瘍患者用の病棟を後にした。
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