茜坂病院前バス停にて・拝島ぼたんの退魔録─壱─ 僕の彼女は幽霊で胸に秘める九つの秘密

杏樹まじゅ

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【博巳と七星剣・魔断】

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「バイちゃ! きーん!」

 七月の茹だるように暑いお昼前。
 雑草だらけの中庭で、小さな花のチャームの付いた白いサンダルに履き替えた瞳さんが、坂を駆け下りる。
 両手をめいいっぱい広げて。

「きーん!」

 あの国民的アニメの女の子の真似をして。
 ユリの花の香りを振り撒いて。

「はあっはあっ。あっはははは!」

 とても幸せそうな顔で、笑う。
 博巳はいつも、後ろから追いかける。

「瞳さん、待って、瞳さん!」
「やーだよーん!」

 きーん。
 ロボットの女の子になった瞳さんは、百万馬力だ。
 二百メートルなんて、あっという間に走ってしまう。

「ききーっ! とーちゃく! にひひ、今日もあたしの勝ちー」
「瞳さん、速すぎですよお、僕、頭痛くて……」

 脳腫瘍のせいで、走ってがんがん頭が痛い。

「ボクー、お姉さんに負けちゃうなんて、男の子らしくないゾー」

 なんて憎ったらしいことを言いながら、白いレースの日傘を差した。

「瞳さん」
「んー?」
「瞳さんは、どうしてバスを待つんですか」
「にひひ。内緒だよん」

 きっきっき。
 せっかくの美人が台無しな笑い方だ。
 もっと可愛く笑えばいいのに。

「教えて下さいよお、ずっと一緒にバスを待つ仲じゃないですかかあ」
「ずっと一緒? ……そだっけかー?」

 うーん。
 瞳さんは物忘れがすごい。
 覚えて居てくれた試しが……

「うん、そうだったね! 一緒だった!」
(……え? え? 瞳さんが……覚えていてくれた?)
「えとね、一緒に行きたいんだぁー」

 瞳さんは遠くを見る。

「行きたい……? 違うなあ……えとね……えとね……あっ!」

 瞳さんは一人で相槌を打った。

「……連れて行きたいんだよね」
「誰を、ですか?」
「それが思い出せないんだよねえ……ホラ、オジサン歳だからさ……もうお年寄りなんじゃヨ……」

 よぼよぼのお爺さんのフリをする。
 でも、気になった。

「連れて行きたいって、誰なんです?」
「あ、ちょっと待ってね、バスが来た!」

 高身長の瞳さんが、日傘と旅行カバンを持ってバス停の横に凛として立つ。
 決してバスは停らないけど、それだけで絵になる美しさだ。
 西東京バスが真っ黒な排ガスを撒き散らしながら通過した。

「瞳さん……?」
「んー、なんだい、ボク?」
「さっきの話なんですけど、連れていくって……」
「……なんだっけ?」

 はああ。
 博巳は大きな、大きなため息を着いた。

「ですからー……バスで連れていきたいのって、誰ですか?」
「バスで連れていくぅ? あたしが?」
「はあ。……もう、いいです」

 どうせこの後は、「バイちゃ! きーん!」だ。
 まともに話なんて……
 ……けれど。
 おもむろに、瞳さんが膝立ちになって博巳の前にかがんだ。

「あたしでしょ。また何か、忘れちゃってるんでしょ」

 妙に真面目な顔をしている。

「教えて? あたしは何を忘れたの?」
「……いいですよ。気にしないで。瞳さんは瞳さんのままでいて……」
「それじゃあ、ダメだよ。ひろみくん、寂しいでしょ」
「いいんです、いつものままで居てください」
「ひろみくん……」

 困惑する瞳さんの肩を掴んで、後ろを向けさせた。

「さ、ほら、『バイちゃ! きーん!』してください」
「う、うん……バイちゃ! きーん!」

 瞳さんは走り出した。
 でも、さっきまでの元気がない。

 ……

 博巳は追いかけずに後ろを向いた。
 拝島ぼたんが、二人を見ている。

「聞き出そうとしても無駄だよ」

 拝島ぼたんが冷たく言う。

「彼女は残像だと言ったろ? 生きている時の行動を繰り返してるに過ぎない」

 ムッとした。
 まるで瞳さんを写真か映像かみたいな言い方が、腹が立った。

「いいえ。彼女は生きてます。聞きましたか。さっきだって、今までに無い反応だったんですよ。自分から思い出そうとしていた」

 はあ。
 わかってないね。
 そう言いたげだった。

「それも、残像だ。残像が見せるパターンのひとつ。たまたま見たことの無いパターンをだけさ」
「そんなことない! 瞳さんの意識は、まだこの病院に残されてるんだ」
「病院、じゃない」

 首を振りながら、博巳に近づいた。

「ここは、茜坂病院じゃない」
「なにを言ってるんですか、さっきから。瞳さんが残像だとか、ここは茜坂病院じゃない、とか」
「茜坂病院は、閉院した。君が、最後の患者だった」
「え……」

 ……

『倉敷くん、おめでとう』
『退院、おめでとう』

 何か声が、景色が、頭に蘇る。

『私達のこと、忘れないでね』
『茜坂病院のこと、忘れないでね』

 見覚えのある看護婦さんの涙ぐんだ声が聞こえる。
 院長先生が、涙を堪えて微笑んでいる。

(なんだ? この景色は……僕は知っている?)

 ……

「そして、君は退院した。二度と、ここには……茜坂病院には来なかった」

 ずきん。
 頭が、痛い。

「来なかったんじゃないね。来れなかったんだ」

 ずきん。ずきん。
 拝島ぼたんが近づく。

「思い出に蓋をしたかったから」

 がんっ。がんっ。
 どんどん痛みが増していく。

「何に蓋を、ですって……?」

「逢沢瞳が死んだ、その事実さ」

 がんっ。

「うああああああああっ」

 博巳は頭を押さえながら、突然叫び出して、そして拝島ぼたんに掴みかかった。
 拝島ぼたんは、それをひらりと躱し、鞘に納まった短剣のような物で博巳の首筋を打った。

「ぐっ」

 博巳は膝から崩れ落ちた。

「まだだよ。七星剣・魔断を抜くには、まだ早い」

 がちゃりっ。
 何か歯車の回る音がした。
 剣の柄に「きゅう」とカラクリで記されていた大字が「はち」に変わった。
 目玉のように見える太極図の彫られた、四十五センチ位の装飾の多い剣だ。
 古代の中国の宝刀の様に見える。

 ぴしぴしぴしぴし。
 バス停から音がする。
 見ると、血が滲むようにサビがどんどん広がって、もう字が読めない。

「こ……れは……?」
「病院が真実を取り戻そうとしているんだよ」

 拝島ぼたんが続ける。

「この剣は魔の真実しか斬れない。一つづつ魔のモノの理を紐解いた先にある真実の前で、ようやく剣を抜くことが出来る。そしてそこにある魔を絶つのが、わたしの使命。……果たして、今回はどんな魔が見られるかな。……楽しみだよ、倉敷博巳くん」

 アスファルトの上でのたうつ博巳を置いて、拝島ぼたんは剣を胸に仕舞って、颯爽と去っていった。
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