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短編・番外編
4 END
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あの方は少し世間知らずでずれたところがある。笑顔はとても愛らしいもので。可愛らしい人間性を、私は大切に守ってきた。
今まで全てをこちらに頼っていた少年が、世間を知らない大翔様が、アルバイトに加えて大学通学までできるとは思えない。考えが甘すぎる。
しかしあの方の笑顔に、私は何も言えなかった。私は黙って大翔様への送金を続けた。
あの方は笑顔を無くし、ぼんやりとどこかを見つめる。
「…あの子は今、塀の中で何を思っているだろう。あの子のために、私に何ができるだろうか」
あの方は呟き、騒ぎ立てるクソ女をなだめながら遠い目をしていた。馬鹿息子を想っているのだろうか。
当代が考えるべきは松本家の行く末と銀行の次期頭取についての2点のみだ。松本家のために、次期頭取への引き継ぎのために。
全ては私と、穏やかな生活を送るために。
あの方は心を病んだクソ女を介抱した。馬鹿息子にこまめに面会に行った。
そんな中、大翔様が大学を卒業された。就職先に決めたのは著名な大銀行だった。きっと我が銀行の未来を考えての選択だろう。あの方も私も、年甲斐もなく喜びはしゃいだ。
松本家は、銀行は、これで安泰だ。
あの方は笑った。
「これで私も、妻とあの子に専念できる」
あの子、とは、大翔様の兄だ。私は笑顔を作って頷いた。あの方の中に、私はいない。
大翔様が藤野佳奈多と同棲を始めた。私は藤野佳奈多に腹が立った。約束を忘れたのか。その上、松本家の口添えで就職した先でまだ働いているという。どこまで厚かましいのか。
藤野佳奈多の職場へ出向こうとした矢先、松本の家に大翔様が訪ねてきた。書斎へお通しし、あの方と共に大翔様を迎える。
「座りなさい」
椅子に腰掛けるあの方は大翔様に椅子を勧めた。腰掛けることなく大翔様は口を開く。
「藤野佳奈多と暮らすことにした。お前達は手出しも口出しもするな」
あの方はちらりと私を見た。藤野佳奈多のことはまだお伝えしていなかった。あの方は大翔様に向き直った。
「わかった。仕事は、どうだ?いつ頃こちらの銀行へ」
「彼の働く介護施設への寄付は止めるな。全て調べて、お前達がやったことは把握してる。彼からは何も聞いていない。これ以上、何があるようなら…わかってるな?」
低い声で威嚇する大翔様は、あの方から私に視線を移した。
「特にお前だ。彼に何かあれば真っ先にお前を疑う。お前の大切で大好きなこの家と銀行を、全てぶち壊してやる」
睨みつけてくる大翔様の瞳は嘘ではないと言っている。暗い表情に私は情けなくも震えてしまった。遥かに年下のこの青年が、心底恐ろしい。以前彼に殴られたことがある。あの時、私を殴ることに躊躇がなかった。精神的に参っている時だったから躊躇がなく、ブレーキがかけられなかったのだろうと思っていた。
しかし違ったようだ。大翔様は私を憎んでいる。その上で、私をどうこうすることをなんとも思っていない。そんな瞳をしている。
大翔様はあの方を見て、ふと笑った。
「あぁ…松本家よりも銀行よりも、コイツだな。コイツをどうにかしたほうが良さそうだ」
そうだろ?と、あの方を指さして、私に向けて笑みを深めた。
「もしも彼に…藤野佳奈多に何かあれば、お前の大事な大事なコイツを、俺の、父親を、ぶっ壊してやる。はは…ジジイが、ジジイに…くくく…長い事付き従って、ご苦労なことだ」
私は思わず顔を歪めてしまった。あの方は首を傾げてこちらを見ている。
「心底、気味悪い」
大翔様は笑っていた。無邪気で楽しげな大翔様の笑みを、初めて見た。笑顔はあの方にそっくりだった。
「幸せな夢でも見てろ、年寄り共」
笑顔を貼り付けたまま、大翔様は出ていった。あの方は大翔様の出ていった扉を見つめていた。
それから年月が経ち、幸せな夢の意味がわかった。
大翔様は、松本家の銀行には来なかった。二度と松本家に立ち寄ることもなかった。メガバンクへの入行は修行のためだったが松本家のためではなかった。松本大翔の頭取就任は、一時の淡い幸せな夢だった。
あの方も大翔様に連絡をした気配はなかった。銀行の頭取は松本家の親族外のものが立ち、松本家はゆっくりと衰退してく。
私はなにを、どこで間違えたのだろうか。
静かに松本家の行く末を見守っているあの方は、いつの頃からか、私にどうしたらいいか問わなくなっていた。
どうしたら良かったのか。私自身はあの方のために、何をしたら良かったのか。
私はあの方のそばで、まだ出ない答えを探している。
END
今まで全てをこちらに頼っていた少年が、世間を知らない大翔様が、アルバイトに加えて大学通学までできるとは思えない。考えが甘すぎる。
しかしあの方の笑顔に、私は何も言えなかった。私は黙って大翔様への送金を続けた。
あの方は笑顔を無くし、ぼんやりとどこかを見つめる。
「…あの子は今、塀の中で何を思っているだろう。あの子のために、私に何ができるだろうか」
あの方は呟き、騒ぎ立てるクソ女をなだめながら遠い目をしていた。馬鹿息子を想っているのだろうか。
当代が考えるべきは松本家の行く末と銀行の次期頭取についての2点のみだ。松本家のために、次期頭取への引き継ぎのために。
全ては私と、穏やかな生活を送るために。
あの方は心を病んだクソ女を介抱した。馬鹿息子にこまめに面会に行った。
そんな中、大翔様が大学を卒業された。就職先に決めたのは著名な大銀行だった。きっと我が銀行の未来を考えての選択だろう。あの方も私も、年甲斐もなく喜びはしゃいだ。
松本家は、銀行は、これで安泰だ。
あの方は笑った。
「これで私も、妻とあの子に専念できる」
あの子、とは、大翔様の兄だ。私は笑顔を作って頷いた。あの方の中に、私はいない。
大翔様が藤野佳奈多と同棲を始めた。私は藤野佳奈多に腹が立った。約束を忘れたのか。その上、松本家の口添えで就職した先でまだ働いているという。どこまで厚かましいのか。
藤野佳奈多の職場へ出向こうとした矢先、松本の家に大翔様が訪ねてきた。書斎へお通しし、あの方と共に大翔様を迎える。
「座りなさい」
椅子に腰掛けるあの方は大翔様に椅子を勧めた。腰掛けることなく大翔様は口を開く。
「藤野佳奈多と暮らすことにした。お前達は手出しも口出しもするな」
あの方はちらりと私を見た。藤野佳奈多のことはまだお伝えしていなかった。あの方は大翔様に向き直った。
「わかった。仕事は、どうだ?いつ頃こちらの銀行へ」
「彼の働く介護施設への寄付は止めるな。全て調べて、お前達がやったことは把握してる。彼からは何も聞いていない。これ以上、何があるようなら…わかってるな?」
低い声で威嚇する大翔様は、あの方から私に視線を移した。
「特にお前だ。彼に何かあれば真っ先にお前を疑う。お前の大切で大好きなこの家と銀行を、全てぶち壊してやる」
睨みつけてくる大翔様の瞳は嘘ではないと言っている。暗い表情に私は情けなくも震えてしまった。遥かに年下のこの青年が、心底恐ろしい。以前彼に殴られたことがある。あの時、私を殴ることに躊躇がなかった。精神的に参っている時だったから躊躇がなく、ブレーキがかけられなかったのだろうと思っていた。
しかし違ったようだ。大翔様は私を憎んでいる。その上で、私をどうこうすることをなんとも思っていない。そんな瞳をしている。
大翔様はあの方を見て、ふと笑った。
「あぁ…松本家よりも銀行よりも、コイツだな。コイツをどうにかしたほうが良さそうだ」
そうだろ?と、あの方を指さして、私に向けて笑みを深めた。
「もしも彼に…藤野佳奈多に何かあれば、お前の大事な大事なコイツを、俺の、父親を、ぶっ壊してやる。はは…ジジイが、ジジイに…くくく…長い事付き従って、ご苦労なことだ」
私は思わず顔を歪めてしまった。あの方は首を傾げてこちらを見ている。
「心底、気味悪い」
大翔様は笑っていた。無邪気で楽しげな大翔様の笑みを、初めて見た。笑顔はあの方にそっくりだった。
「幸せな夢でも見てろ、年寄り共」
笑顔を貼り付けたまま、大翔様は出ていった。あの方は大翔様の出ていった扉を見つめていた。
それから年月が経ち、幸せな夢の意味がわかった。
大翔様は、松本家の銀行には来なかった。二度と松本家に立ち寄ることもなかった。メガバンクへの入行は修行のためだったが松本家のためではなかった。松本大翔の頭取就任は、一時の淡い幸せな夢だった。
あの方も大翔様に連絡をした気配はなかった。銀行の頭取は松本家の親族外のものが立ち、松本家はゆっくりと衰退してく。
私はなにを、どこで間違えたのだろうか。
静かに松本家の行く末を見守っているあの方は、いつの頃からか、私にどうしたらいいか問わなくなっていた。
どうしたら良かったのか。私自身はあの方のために、何をしたら良かったのか。
私はあの方のそばで、まだ出ない答えを探している。
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