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佳奈多とは時々顔を合わせていた。別々の場所に帰宅する。別れる時の苦しさは何度経験しても慣れなかった。顔が見られるだけまだましで、佳奈多に急に仕事が入って会えない時もあった。
人の入れ替えの多い職場で、急に退職者が出て佳奈多が出勤しなければならなくなる。夜勤があるので体もきつく、体力勝負だと笑っていたことがある。佳奈多は体を動かすことが得意ではない。体力も、ある方ではない。佳奈多には過酷な仕事だと思う。
仕事を変えたほうがいいんじゃないかと思ったが、口には出さなかった。佳奈多はあまり自身の話はしなかった。大翔の現状を聞いてくることもなかった。当たり障りのないことを話して別れる。予定を合わせて顔を見せてくれる。それは佳奈多の優しさなのだと思う。だから大翔はそれ以上求めなかった。求めて、また離れていってしまったらと思うと怖かった。
夏の墓参りには毎回佳奈多から連絡をくれた。予定を合わせて母の墓へ行く。そんな日々が4年続いた。
大翔は大学を卒業し、就職もした。父の銀行とは別の銀行で、俗にメガバンクと呼ばれている銀行だ。父も秘書も驚いてはいたが、修行のためには丁度良い、それどころか箔が付くと喜んでいた。
佳奈多も、父の銀行でないことに驚いていたが、就職を祝福してくれた。
その年の墓参り、母の墓に長く手を合わせていた佳奈多はこちらを向いた。佳奈多は毎年、しっかりと母に手を合わせてくれる。佳奈多は表情を固くしていた。
「あのね。話したいことが、あって」
「…どこか、別の場所に、行く?」
佳奈多は首を横に振る。
「ううん。ここで、話したい」
朝早いとはいえ日差しはもう強い。佳奈多の体調が心配だ。しかしそれ以上に、話の内容が気になった。きっと、良くない話だ。大翔は佳奈多に向き合って、佳奈多の言葉を待つ。
佳奈多は少し間を置いて話し始めた。
「ひろくん、お母さんに、就職のこと、お話した?」
「話、ってほどじゃないけど…伝わったと思う」
さっき手を合わせながら、卒業したこと、就職のことを頭に浮かべた。佳奈多はまた少し間を置く。もぐもぐと佳奈多の口が動いていた。何かを考えてから話す時の佳奈多の癖だ。懐かしい仕草に胸が締め付けられる。
「銀行、あの、銀行に、就職、して、」
「うん」
「お父さんの所じゃ、ない所…いつか、お父さんの所に、転職、するの?」
「しないよ?」
大翔の返答に、佳奈多は目を丸くした。父の銀行への就職はありえない。大翔はそう思っていたが、佳奈多は違ったようだ。佳奈多は目を泳がせている。もぐもぐと動く口を見つめて、大翔は佳奈多の言葉を待った。
「で、でも、銀行、だから、お仕事…」
「銀行を選んだのはただの嫌がらせだよ。あの人達…もしかしたら今、かなちゃんも、経験を積むためと思ってるかもしれないけど。転職もするつもりだけど、また別の所に行くよ。松本家とは関係のないところ」
「そ…、なの?」
「うん。かなちゃんに、松本家と離れたほうがいいって言われたから、ってだけじゃない。俺もそう思ったから」
バイトもして自分の力で大学に通って、正直しんどかった。何度も松本に金をたかろうと考えた。食事や衣服、参考書。生きる為に金がかかる。実際、もらっていた現金に手を付けて、いらないと言ったのに毎月振り込まれた金も使った。
しかし、大学には金がなくてギリギリの生活を送っている者がいた。働いた先で、今日生きるだけで精一杯の人がいた。頭ではわかっていたが、実際に目で見て、自分がいかに甘えていたのかを知った。松本の金を使うことも権威を利用することにもなんの感情も湧かない。松本家の力を使って佳奈多と幸せを築く。それでいいと思っていた。ずっと、佳奈多が何からも傷つけられないように守る。そのために松本家を使う。
人の入れ替えの多い職場で、急に退職者が出て佳奈多が出勤しなければならなくなる。夜勤があるので体もきつく、体力勝負だと笑っていたことがある。佳奈多は体を動かすことが得意ではない。体力も、ある方ではない。佳奈多には過酷な仕事だと思う。
仕事を変えたほうがいいんじゃないかと思ったが、口には出さなかった。佳奈多はあまり自身の話はしなかった。大翔の現状を聞いてくることもなかった。当たり障りのないことを話して別れる。予定を合わせて顔を見せてくれる。それは佳奈多の優しさなのだと思う。だから大翔はそれ以上求めなかった。求めて、また離れていってしまったらと思うと怖かった。
夏の墓参りには毎回佳奈多から連絡をくれた。予定を合わせて母の墓へ行く。そんな日々が4年続いた。
大翔は大学を卒業し、就職もした。父の銀行とは別の銀行で、俗にメガバンクと呼ばれている銀行だ。父も秘書も驚いてはいたが、修行のためには丁度良い、それどころか箔が付くと喜んでいた。
佳奈多も、父の銀行でないことに驚いていたが、就職を祝福してくれた。
その年の墓参り、母の墓に長く手を合わせていた佳奈多はこちらを向いた。佳奈多は毎年、しっかりと母に手を合わせてくれる。佳奈多は表情を固くしていた。
「あのね。話したいことが、あって」
「…どこか、別の場所に、行く?」
佳奈多は首を横に振る。
「ううん。ここで、話したい」
朝早いとはいえ日差しはもう強い。佳奈多の体調が心配だ。しかしそれ以上に、話の内容が気になった。きっと、良くない話だ。大翔は佳奈多に向き合って、佳奈多の言葉を待つ。
佳奈多は少し間を置いて話し始めた。
「ひろくん、お母さんに、就職のこと、お話した?」
「話、ってほどじゃないけど…伝わったと思う」
さっき手を合わせながら、卒業したこと、就職のことを頭に浮かべた。佳奈多はまた少し間を置く。もぐもぐと佳奈多の口が動いていた。何かを考えてから話す時の佳奈多の癖だ。懐かしい仕草に胸が締め付けられる。
「銀行、あの、銀行に、就職、して、」
「うん」
「お父さんの所じゃ、ない所…いつか、お父さんの所に、転職、するの?」
「しないよ?」
大翔の返答に、佳奈多は目を丸くした。父の銀行への就職はありえない。大翔はそう思っていたが、佳奈多は違ったようだ。佳奈多は目を泳がせている。もぐもぐと動く口を見つめて、大翔は佳奈多の言葉を待った。
「で、でも、銀行、だから、お仕事…」
「銀行を選んだのはただの嫌がらせだよ。あの人達…もしかしたら今、かなちゃんも、経験を積むためと思ってるかもしれないけど。転職もするつもりだけど、また別の所に行くよ。松本家とは関係のないところ」
「そ…、なの?」
「うん。かなちゃんに、松本家と離れたほうがいいって言われたから、ってだけじゃない。俺もそう思ったから」
バイトもして自分の力で大学に通って、正直しんどかった。何度も松本に金をたかろうと考えた。食事や衣服、参考書。生きる為に金がかかる。実際、もらっていた現金に手を付けて、いらないと言ったのに毎月振り込まれた金も使った。
しかし、大学には金がなくてギリギリの生活を送っている者がいた。働いた先で、今日生きるだけで精一杯の人がいた。頭ではわかっていたが、実際に目で見て、自分がいかに甘えていたのかを知った。松本の金を使うことも権威を利用することにもなんの感情も湧かない。松本家の力を使って佳奈多と幸せを築く。それでいいと思っていた。ずっと、佳奈多が何からも傷つけられないように守る。そのために松本家を使う。
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