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その日の夜、華はベッドに横たわっていた。睡眠薬はなくなったものの、毎日規則正しく決まった時間に眠っていた体は22時を過ぎたあたりから座っていられなくなってしまった。電気をつけたままなのはせめてもの抵抗だった。華はうとうとと微睡みながら、時間がすぎるのを待つ。
扉が開き、部屋の電気が消えた。看護師が気づいて消してくれたのだろう。目を閉じたままの華は誰かの気配を感じていた。夜の見回りだ。今何時だろうか。ゆっくりと華の意識が濁っていく。中々人の気配が動かない。これは現実だろうか。腹部に違和感を感じて、華は手を伸ばした。
「うぉっ!?」
腹を触る手を握り華が顔をあげる。
「…裕司?」
眼の前に裕司がいた。月明かりの中、お互い目を見開いて暫く見つめ合う。昼に土屋が言っていた『旦那さん』はやはり裕司だった。
「悪い。起こした、よな。いつも寝てるから…びびった」
「今まで睡眠薬を飲んでたから…本当に、来てくれてたんだ」
裕司はしゃがみこんで大きく息を吐き出した。驚かせてしまったようだ。時計を見ると2時を回っている。何故こんな時間にここにいるのだろうか。
「ごめん、寝てるとこ邪魔して」
裕司が立ち上がる。華は立ち去ろうとする裕司の腕を離さなかった。
「待って、もう少し、」
病院の人間以外でやっと見知った顔に会えた。一番、会いたかった。華はベッドの上で体を起こす。裕司がスーツを着ていることに気づいた。
「なんで、そんな格好してるの?」
裕司がこんなにしっかりとした格好をしているということは、何か良くないことでもあったのではないだろうか。
裕司は椅子を引き寄せて腰掛ける。華は枕元の明かりを灯した。
「学校終わりに森之宮製薬でバイトしてる。制服じゃ夜中までいれないから。まぁ、スーツ着ててもだめなんだけどな。次期当主として、色々、勉強しようと思って。体調はどうだ?どっか辛いとこ、ないか?」
「体調は、つわりも落ち着いたから大丈夫…次期当主って、健司さんは」
「健司は、ベータだ」
華は青ざめてお腹に触れた。健司がベータだった。代々アルファが当主を務める森之宮の次期当主は、必然的に裕司になる。
華が入院している間、外の世界は大きく変わってしまっていた。
健司がベータなら、もしもお腹の子供がアルファなら。裕司の次の当主はこの子になる。華には今まで不安だったことがある。
「この子は産まれたら、どうなるの?」
華は健司と裕司の母、翠の歪んだ笑みを思い出す。翠にとって華は跡継ぎを生む腹でしかない。生まれたそばからあの人が、子供を連れて行ってしまうのではないだろうか。
「奥様に、赤ちゃん、取られ…」
「あいつは今別荘にいる。もうこっちには帰らせないし、華にも子供にも二度と会わせない。華と子供が暮らせるように、別の場所に部屋も用意してる。華をあの家に、戻したくない…華は、自分の体のことだけ考えていてくれればいいから」
裕司は相続したマンションの一室を準備してくれているそうだ。華はうつむく。知らなかったことがたくさんあった。
「ごめんなさい。僕は、裕司に甘えてばっかりだ」
もっと早く、裕司に連絡するべきだった。もしかしたら手伝えることがあったかもしれない。
「悪い、俺も、話に来るべきだった。色々忙しくて………いや、ごめん。華に会うのが、怖かったんだ」
華は顔をあげる。裕司はシーツを握りしめて手元を見つめている。その目は思い詰めていた。
「赤ちゃんの声が聞こえるって言ってただろ。ここに連れて来たせいで、子供、諦められなくなったんじゃないか?泣き声が…俺が、華を、追い詰めたんじゃ」
「違うよ、違う。僕も怖かったけど、赤ちゃんの声、嬉しかったんだよ」
華は裕司の言葉を遮って否定した。裕司がそんなことを考えていたなんて知らなかった。
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